世界を知らない私と私を知ってくれている世界 |
私の経験上、数多ある日本人の留学体験記の中で意外にも留学した国の文化を認識できたというより、日本の文化を再認識できたという感想が多いような気がする。リトアニアに留学して3ヶ月が経った今、私も数多くの場面で日本を再認識することが多かったと思う。特に日本という国に誇りを感じることができるような経験に巡り会うことが多かった。 今さら陳腐だろうが、街を歩けばトヨタやホンダ、マツダなど日本の自動車が普及していることを改めて認識する。そしてショッピングモールの中でソニーやパナソニックといった日本の電機メーカーの商品や看板をよく目にする。また写真屋の店舗で富士フイルムが非常に普及していることは私にとって驚きだった。 2週間ほど前にアニークシチェイというリトアニアの地方都市へ小旅行する機会があった。その旅行にはカウナス近辺の大学に留学中の学生が参加していたが、日本人では私1人だけだった。バスの中で近くに座っていたエンジニアリングを学ぶインドの学生グループが、私が日本人だと知ると、「日本のことを楽器メーカー・ヤマハのドキュメンタリー番組を見て知っているよ」と話しかけてきた。彼らはヤマハ以外にも多くの日本の企業の名前を知っていた。世界のIT大国と称されるインドのエンジニアを目指す学生たちが日本の技術水準の高さを目標としているということも語ってくれた。 そして日本は伝統文化でも現代大衆文化でも世界の人々の耳目を集めている。伝統文化の中で特に日本食の海外でのブームは目を見張るものがある。リトアニアだけでなく、近隣国のラトビアやポーランド、ロシアでも主要都市には日本料理店が必ずと言っていいほどある。まず寿司という言葉を知らない人はいないと思うほどに寿司は日本の代名詞となっている。 以前、リトアニア・カウナスの寿司屋に立寄ったことがある。当然日本の寿司とは違う部分も見受けられる。例えばこちらでの寿司は多くがにぎり寿司ではなく、カリフォルニアロールのような西洋風巻き寿司である。しかし割り箸から醤油、ガリ、わさびに至るまで日本の寿司文化の細かい部分までしっかり徹底されていることにも驚いた。 そして現在、日本の文化のなかで最も熱い視線を注がれているのが、日本のアニメ・マンガ文化である。ドラゴンボール、ナルト、ポケモン、ハローキティ、スタジオ・ジブリ、銀魂など数え上げればきりがないほどに日本のソフトパワーは世界の若者の心を掴んでいる。「アニメやマンガばっかり読んでいると馬鹿になる」という一部で頑迷固陋な小言が通じるのは皮肉にもアニメ・マンガを生んだ日本だけなのかもしれない。アニメやマンガが世界の若者を動かしている現状から、日本の現代大衆文化の影響力の大きさをひしひしと感じる。 このように日本の大企業、食文化、アニメ、マンガなどさまざまな分野で日本は世界中の人々に知られている。ここ数年日本国内では「日本は駄目」という一点張りのお先真っ暗論が多いように感じるが、リトアニア人の友人や世界からの留学生の声で改めて日本の国の偉大さと大きさに気がつく。日本の再認識は少なからず日本の未来に希望を与えてくれるものである。 正直なところ、ここで文章を終えて、ありきたりな「日本もまだまだ捨てたものではない」論で締め括ることもできた。しかし、このような留学体験記は腐るほど巷にあふれており、「世界から見た時やはり今なお日本は凄い」というのはそれ以上でもなくそれ以下でもないただの陳腐な感想かもしれないと思う。私は別に日本の良さを再認識してそれらを築いてくれた先祖への感謝や母国への誇りを否定しようなどとは微塵も思っていない。ここで私は留学で感じた日本の再認識を誇りと自信という日本賛美だけではなく、そこにもう1つの側面を自分のある2つの体験談とともにお伝えしたい。それは日本に生まれた日本人の1人である私の「どれだけ私が世界を知らなかったか」という羞恥と「どれだけ世界が日本を知ってくれているか」という感謝についてである。 日本を旅立った1月25日の夜、私はリトアニア・カウナスに到着した。私は入寮手続きを済ませ、新しい寮に胸を躍らせていた。この寮にはヨーロッパだけではなく世界中からの留学生が住んでいると聞いていたからだ。私はすでにルームメイトがいると知らされた自分の新しい部屋に入った。私は新しいルームメイトに日本からのお土産を渡して、「日本から来ました。これからよろしくお願いします」と、一通り自己紹介を済ませた。そして彼の名前を聞いた後、私は出身地を尋ねた。彼は「ジョージアだよ」と答えた。そして、私は咄嗟に「アメリカのジョージア州だよね?」と確認して聞いてみたところ、「アメリカではなくて、ジョージアだよ」と答えた。ちんぷんかんぷんになって戸惑う私に、彼は「コケイジャのジョージアだよ」と付け加えた。私は留学初日早々自分の英語力の貧弱さを感じながら、これ以上聞くのも申し訳ないと思い、取りあえず理解した振りをしてその場を凌いだ。後から辞書で調べてみたところ、ジョージアとは日本語でグルジア共和国のことで、コケイジャとは日本語でコーカサスという黒海とカスピ海に挟まれた地方だと分かった。ジョージアと聞いたときアメリカ合衆国の州名としか思えなかった自分の勉強不足を恥じるとともに、失礼なことを言ってしまったと感じた。 そして留学から2ヶ月ほど経ったとき、カウナスのバスに乗車中、私はまたしても同じような過ちを繰り返してしまった。それは隣の座席に座った初対面の同じ大学の学生と自己紹介をし合ったときのことである。最初、私は「日本から来ました、どうぞよろしく」と自分の自己紹介をして、彼も続いて自己紹介をしてくれた。そのとき彼は「クルディスタン出身です。よろしく」と答えた。私は中央アジアのキルギスタンのことだと思って話を進めたが、会話をする中でどうも違うようだと察し、私は正直に「あなたの国ってどこの地域にありましたっけ?」と尋ねた。すると「中東のトルコやイランなどのあたりだよ」と答えてくれた。しかし私にはそれでもよく分からなかったので、これ以上の質問は失礼だと思ってやめてしまった。その後、彼は「日本のどこに住んでいる?」とか「日本語の挨拶の言葉は『こんにちは』だったよね?」といった日本についての質問した。日本の話題で話が盛り上がる一方で、彼の国が分からず、彼の国について何の話題も持ち合わせていない自分の不甲斐なさを感じた。後から分かったことだがクルディスタンとはトルコ東部からイラク北部、イラン西部にまたがるクルド人の住む山岳地域のことだった。国際的には独立国としての承認は受けていないが、20世紀後半の分離独立運動を経て、事実上広範な自治権を獲得しているとされている。 私はこれらの反省経験の原因を自分の英語力不足に求めることも可能かもしれない。ただもし万が一、ジョージアがコーカサス地方のグルジア共和国だと分かっていて、クルディスタンが中東のクルド人の国だと理解していたとして、果たして私はそれ以上に彼らの国について何を知っていたのといえるのだろうか。無知ということは非常に失礼なことであり、それ以上に恥ずかしいことだと思う。私にとって日本が大切なように、彼らに取って彼らの母国は大切なアイデンティティーの1つなのである。 そして私は自分が日本で生まれた日本人として改めて感謝しなければならないと思った。なぜなら彼らの自己紹介の前に私が日本人であることを名乗ったとき、彼らは日本がどこにあり、どんな国かを当然のように知ってくれていた。そしてそのとき確実に「日本ってどこですか」というような質問がなされることを想定していない自分がいることに気づいた。私はこれまで自分が日本人であると答えたときそれを説明したことなどなかったため、当然誰もが日本を知っていて当たり前だと思っていた。しかしそんな当たり前のことさえ、彼らの目線からいえば私は逆に身につけられていなかったのだと認識した。「あなたは私の国を知っているが、私はあなたの国を知らない。」留学が始まって約3ヶ月が経過した今、私にとってこれらの経験に対する深い後悔と反省は「日本人の日本人による日本人のための日本の良さ再認識」よりよっぽど重要に感じられた。 私たち日本人は日本を知ってくれている世界を知る必要がある。世界には極東のアジアのちっぽけな島国・日本のことをわざわざ知ってくれていて興味を持ってくれている人々がたくさんいる。その事実を日本人が日本の凄さを再認識するだけの材料にするのはあまりにも虚しいと感じた。今改めて、国際教養大学の創設者である故・中嶋嶺雄学長が留学前に仰しゃっていた餞の訓示を思い出す。「君たち1人1人は単なる国際教養大学の留学生としてだけではなく日本を代表するアンバサダーとして留学へ向かって下さい。」グローバル化と異文化交流が進むこれからの世の中で、日本人の代表者と見られてもおかしくない 留学生の1人として、私は日本に目を向けてくれている世界の人たちをもっと知りたいし、知らなければならないと心に決めた。 |
カウナス市街の目抜き通りであるライスヴェス通りにある富士フイルムの店舗 カウナスで開催された日本のアニメイベント「Anime Nights」のコスプレ大会の様子 ヴィタウタス・マグナス大学の留学生が住む学生寮 大学寮から見える聖ミカエル教会(ソボラス)とカウナスの町並み
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●No.1 リトアニアの3.11 |