26.  ツキノワグマ
 ツキノワグマの人里への出没のが新聞に載らない日はない。連日のように人間圏に姿を見せる。元来、ツキワグマは臆病な動物である。進んで人間の世界に姿を見せる動物ではない。クマの行動を決めるのはエサの有無だ。もともと奥深いブナ林などを棲み、人間とは隔絶した世界に棲んでいた。そのクマが人間の世界にビクビクしながらやってくるようになったのは、彼らの棲んでいる山にエサがなくなったからだ。
 一昔前、太平山に登るときにクマと遭遇するなど考えもしなかったことだ。クマはずっと奥山に棲んでいると思っていた。
 一昔前、秋田県の山々は見事なブナ林にすっぽりと覆われていた。1954年ごろから始まった拡大造林政策は、厚いブナ林で覆われていた奥山を次々に裸にし、その跡にスギ、ヒノキ、カラマツなどの針葉樹を植えることだった。針葉樹林に動物たちのエサは少ない。加えて河川にはダムや堰堤を乱造、水の流れていない河川が増えた。それがサケなどの遡河性回遊魚の山への遡上を遮断した。結果、奥山の木の実がならず、動物たちのエサがなくなっていった。
 「森は海の恋人」は同時に「海は森の恋人」なのである。さらに人間の経済活動によって大量に空中に放出されるSOX硫黄酸化物によって山々が酸性化してしまった。マツ、ブナ、ナラなどの樹木の枯れ死はその結果であろう。
 クマの人里への異常な出没は人間の仕業なのである。ブナの実の豊凶で説明のつくことではない。クマの出没が人間の社会活動を阻害している現実を放置しておくことはできないが、当面は、その傷口に絆創膏をべタベタ張るような臨時の対処策しかないかもしれない。
 毎日山に登っているとクマに遭うことはよくある。冬眠期間を除けば彼らは常に隣にいると思えばよい。お互いに不意に遭遇するとびっくりするから身構える。自衛のために傷つけることもある。しかし人間は彼らにとって捕食対象ではないから、彼らはすぐ逃げ去ってくれる。
 だから彼らにこちらの存在を察知させることが必要である。鈴などをつけて登ることが一番いい。ツキノワグマの視力はよくないが聴覚や嗅覚はいい。音や臭いで茂みに隠れ、じっと人間をやり過ごす。登山者は山菜取りと違って彼らのエサを採るために山に入るわけではない。基本的には誰しも山の動物と仲良くしたいと思っている。
 2016年、鹿角市でタケノコの季節に4人もの人がクマと遭遇し、運悪く死んだ。亡くなった人の家族や畑の作物を荒らされた人たちは、その苦悩をかくして「山のおかげで現在がある」「クマばかり悪いとはいわれない」「山に居づらいから食うために下におりてくる」とクマを弁護するような言葉も新聞に証言している。彼らと身近に暮らしている人々は、クマたちの苦しみもよく知っているのである。
 山の荒廃を放置して、やむなく里に下りてきたクマを駆除していけば、いずれツキノワグマはいなくなる。森林生態系の頂点捕食者であったオオカミを絶滅させた日本の山で、クマは重要な役割を演じている。
 ザブーン・ルートで前岳を目指していたとき、上空でポキポキ枝が折れる音がした。見たらイタヤカエデの上に伸びたサルナシの実を食べるクマがいた。私の鈴の音を聞いて、急いで木を降りようとしていた。立ち止まって観察していると、地上に降りる前にチラリとこちらを見てから、そばの薮に消えていった。
 下山の時、その同じ木にまた同じクマがいた。私の鈴に気がついて、またも急いで木を降り逃げ出した。私のために2度も同じことをさせてしまって。
 そんなこともあり、その後、1ケ月はコースを変えたこともあった。
 こうしたことは何度も経験したが、この経験の後は、登り途中でクマに遭ったときは潔く下山することに決めた。山はそこにすむ動物たちの唯一の家だ。人間が他人の家にずかずかと押し込り、「道をあけろ」というのはゴーマンである。
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