4.  太平山にはじめて登った日
 はじめて太平山の奥岳(1170.4m)に登ったのは1958年9月29日。秋田大学の3年生だった。
 その夏に菊地正信君と2人、北海道の無銭旅行を楽しんだ。層雲峡から黒岳(1948m)に登り、足をのばして北鎮岳(2248m)と大雪山(旭岳 2290m)にも登った。
 だから正確には太平山は4回目の山ということになる。
 1958年は敗戦から13年目、なにもかも貧しかった。家庭教師を3つ掛け持ちしてなんとか小遣いを工面していたので、週6日はそのアルバイトにしばられていた。
 学友の新関正広君が、太平山には一度登ったことがある、というので同行してもらった。当時、奥岳へ登るルートはしっかりした山道が5つほどあった。現在、このうち廃道になったり、ヤブ化して辿れないコースが2つもある。
 太平山をめぐるマン・パワーの減衰は、農山村の過疎化と重なり、所得は20倍にもなったのに反比例して急加速している。当時、太平山に登ってもクマの話題など出ることはなかった。クマははるか奥山にいるし、広大なブナ林がまだ重厚に息づいていた。
 登山口へのアプローチはバスか自転車、それに徒歩だった。現在の旭又ルートを登ることにした。仁別森林鉄道のトロッコに乗せてもらうことにした。森林鉄道は、1943年に秋田駅前から23.3km延長され、1968年に廃止されるまで、仁別周辺の住民にとっては便利な営林局のサービスだった。
 そのころ仁別までの車道はなかった。務沢(現在の国民の森)で乗り換え、山ノ神(406m)までトコトコ、トロッコにしがみついて運んでもらったのだ。頂上までの山道はしっかりしていた。林立する巨杉に圧倒されながら、若かったから飛び跳ねるように登った。御手洗で「おお!甘露甘露」を連発した水のおいしさ。やがて深いブナ林を抜けて稜線に飛び出す。秋の美しい花々など嘆賞する余裕もなく頂上へ。
 奥羽山脈や鳥海山の山々の連なり、秋田の街そして日本海に男鹿半島の絶景、感動のあまり言葉が消えてしまった。頂上から見下ろす山腹のブナ林は錦秋の装いの一歩手前で輝いていた。1958年を境に、秋田県のブナ林はブナ退治という愚策の前に皆伐されていったが、思えばこの山行は逝きし世の面影をしのぶ記念すべきものとなったかもしれない。
 下りは弟子帰り、中岳と一気に稜線を飛ばし、木曽石集落のバス停まで歩いた。18km近い山道であるが、誰にも会わなかったし、道はしっかりしていたので、何の不安もなかった。
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