5.  太平山の自然(T)
 日本にはじめて本格的な山岳会が創られたのは1906年(明治39年)。発起人8人のうちのひとりである高頭式編の『日本山嶽志』が、その翌年に博文館から刊行されている(1360頁の大著)。この本には全国2130山が紹介され、もちろん太平山も入っている。ちなみに日本山岳会創立100年に当たる2015年に『新日本山岳誌』が発行され(こちらは1992頁)。これには3200山が紹介されている。全国500人が執筆している。前書では太平山について「鳥海火山帯の森吉火山群の一峰だ」とあり、前岳についてはこう述べられている。
 「羽後の国南秋田郡の南西方にあり、太平(おいだら)村大字八田より4里にしてその山頂に達す。全山第3紀層よりなり、標高凡そ2万尺(606m)」。
 また後岳(奥岳)については「羽後の国南秋田・北秋田・河辺の3郡にまたがる。南秋田郡太平村大字山谷より3里にしてその山頂に達す。花崗岩および第3紀層よりなり山頂はまったく第3紀層よりなる。標高3452尺(1045.9m)」。
 この第3紀という地質年代は、およそ6500万年前から170万年前までをいう。この時代は造山運動が盛んでアルプス・ヒマラヤが形成された時期である。太平山もこのときに隆起したと思われるが、火山ではない。だから鳥海山や秋田駒ケ岳のように山腹に緩やかな平原や湖はない。全山が険しくそそり立ち、周囲を睥睨している感じである。稜線から流れ下っている沢は急崖が多く、滝が連続している。不帰の沢(篭滝沢)の入り口に入山禁止の柵がセットされていたくらいである。
 主稜線は奥岳から剣岳(1054m)、中岳(951,7m)前岳(774m)を経て金山の滝(100m)へと下り、蛇野にいたる。大蛇がくねくねと横たわっているように見えるので、1812年(文化9年)に太平山に登った江戸時代の紀行家、菅江真澄はこの山を「おろちね」と呼んだほどである。
 この主稜線は奥岳から南西に伸びている。冬季の季節風はこの稜線の西側の山腹に雪をたたきつけ、さらに稜線を越えて東側の山腹に大量の積雪をもたらす。秋田市内の平均年降水量は1700mm前後で、最新積雪もこれまで38cmくらいである。太平山の麓、藤倉の観測では、年降水量は2500mm前後だから、さらに標高が高い稜線部分は平地に比べて1000mm前後多い降水量になるものと思われる。平地より10m多い雪が年間降ることになる。しかし最近は地球温暖化の影響で、雪量はどんどん減少している。前岳・女人堂(714m)でも最深で2mくらい。雪が少なくなれば新たな問題が発生する。西日本などで農林業を放棄する人が急増し、山々では貴重な高山植物が死滅し、裸山化が進みシカ、イノシシが激増する。
 秋田も今から対策を考えておいたほうがよい。
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