8.  役小角が開祖?
 西暦350年頃に成立したとされる大和朝廷から、蝦夷を支配するために大軍を率いて土崎の港に阿倍比羅夫がやってきたのは658年。これを迎えた秋田蝦夷の族長・恩荷(おんが)たちは弓矢を携行していた。稲作技術が入ってすでに何百年も過ぎていたのに、当時、水稲稲作だけでは生活できなかったから、採集狩猟生活は重要な生活手段であった。
 登山の初登頂はよくニュースになる。しかしこと日本の山に関する限り、私はあまり問題にはならないと思う。ヨーロッパ・アルプスやヒマラヤなどの登山用の道具や技術の必要な高峰は別である。富士山をはじめ日本の山には氷河はないし、夏季に頂上に登れないような山などない。剣岳(2999m)に初登頂と期待され、1907年7月に陸軍の測量隊が登頂したときも、頂上には平安時代のものとみられる錫杖の頭と鉄剣、そこには生活した跡まであったという。このとき測量隊は長次郎雪渓にルートを取っている。これも山麓にいた修業中の行者から聞いたものである。何人もの人がすでに剣岳には登っていたのである。 
 槍ヶ岳(3180m)にも播隆が1828年7月、槍沢経由で登頂している。このときも地元の鷹庄屋中田又重郎がガイドしている。明治時代、日本の北アルプスを英文で世界に紹介したウエストンも、地元ガイドなしには登頂は不可能だった。日本の山々の初登頂は、ほとんど地元に住む狩人などの山人によって、既に登頂されていた山ばかりである。記録がなかっただけなのだ。
 太平山も役小角(えんのおづぬ・634−706)によって開かれたという説もある。
 木曽御岳(3063m)をはじめ全国の山の創建にもこの役小角の名が登場する。空海(774−835)と同じで、後世の人にとっては名前の利用価値が高かったのだろう。役小角は役行者とも呼ばれ、大和の葛城山(960m)に住んで山人となり、修業を積んで後に妖術使いと呼ばれ、大和朝廷の権威を笑った自由人であり民衆のヒーロー的な人物だった。朝廷は彼を嫌った。空海より140年も前の人である。空海は仏教のオブラートに包まれた修験道の開祖である。
 2013年に英国山岳会と英国王立地理学協会によって「世界の山岳大百科」が刊行された。5000年前頃の山男で、1991年にアルプスの氷河の中から発見されたアイスマン、エッツイ をはじめ世界中のおよそ100人の傑出したアルピニストが紹介されている。日本からは3人がその中に入っている。その一人が空海である。あとの2人は槙有恒と沢登りのトップ集団「ぎりぎりボウイズ」である。
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