9.  天狗伝説のない山
 日本の山々についての文献をひもとくと、修験道、修験者、神鬼、魔物、精霊、神霊界、呪術者などの言葉がよく出てくる。自然と文化がはっきりと分化されていなかった時代では神崇拝のアニミズム(多神教)が発達する。キリスト教などの一神教では教会しかないが、日本では土地ごとに異なる神を祀る神社がある。さらにその神との交流をはかるのがシャーマンで、いにしえの日本では超自然的霊力と交流できるものを呪術的職能者と呼んだ。 
 彼らは民衆を統べる術を持っていた。呪術的職能者は険しい山岳に入って超自然的能力を得たとされる修験者たちだった。しかし権力者にとって彼らは脅威でもあった。平安期以降、修験者は呪術的宗教に連なるものとして、国教たる仏教の正系からはずされていく。
 日本は国土の7割近くが山岳である。国土が日本の64%しかないイギリスでも平地は日本の1.8倍もあるし、イタリヤでは国土が日本の79%なのに平地は日本の2.7倍もある。
 日本人は山と森に囲まれたわずかな平地で暮らしてきた。有史以来、戦乱は絶えることがなく、戦乱では勝者と敗者が出る。敗者は奴隷として売られるよりはと山に逃げ込んだ。幸い日本の山々には、人間が生きていく上で不可欠な水と食糧が豊かだ。平家の落人伝説だけではなく、山に逃げ込んだ人々はさまざまだった。人の世がいやになったものはもちろん、障害者もライ病者もエタと差別を受けた化外の民も山に逃げ込むことが多かった。 
 こうした人々がそれぞれの職業を得て、山では生きていけた。日本の山の持つ懐の深さである。化外の人の代表格がサンカだろう。1950年ごろまで、サンカと呼ばれた人々は主に西日本の山々で生きていた。彼らには戸籍もなかったから、戦争中に軍隊に狩り出されることもなかった。江戸時代の紀行家・菅江真澄は、「いずこの嶺にも山鬼の路とて嶺の通路はありけるものなり」と記している。
 どこの山にも天狗伝説や神鬼伝説は存在する。太平山にも三吉(さんきち)と言う神鬼がいたという。しかし天狗伝説は西日本の山に多く、太平山にはないようだ。
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