Vol.1070 21年7月3日 週刊あんばい一本勝負 No.1062

県展・西和賀・冷やしうどん

6月26日 散歩の途中、小学生低学年のちびっこ娘たちと遭遇。西と東に分かれ「じゃ、急いでね!」「うん、わかった」と駆け出した。道路を隔てて「おしっこもらさねいでね」「大丈夫、間に合いそう」とエールを掛け合っていた。そこを過ぎると中学生の自転車小僧たちと遭遇。「そこのナタデココ坂、曲がれよ」「うん、わかった」。えっ、そんな名前の坂があるの。追いかけて、中学生に「そんな坂あるの?」と問い詰めると、「弟がここでナタデココをこぼしちゃって……そう呼ぶようになった」と教えてくれた。そうか、ソバ屋の裏道が「ナタデココ坂」か。なかなか良いセンスしてるなあ。

6月27日 岩手県境にある女神山に登ってきたが、リーダーの登山計画書には体力、危険とも「小」の評価だった。実際登ってみると、けっこうきつい山だった。途中で白糸の滝へ寄り道し、下山は大きく迂回して「ブナ見平」を散策した。すばらしい滝を見ながらの山歩きとは言うものの、水は2リットル消費し、左足裏の豆が痛くなり、前日の寝不足がたたった。自分的には体力、危険度とも「中」クラスの山だ。岩手側の山はよく整備され、登山道の下草はきれいに刈られて実に歩きやすい。自然や安全、清潔や環境への、登山客の目を気にした、行き届いた配慮が感じられた。

6月28日 好天が続いている。昨日の山行は風がなく、暑さにすっかり体力を奪われてしまった。今日も暑い。山行翌日は身体や頭から1週間分の塵や疲労が洗い流されリフレッシュされているのがうれしい。もう月末だ。でもまあ大事なことを一つや二つ忘れたところで、命を取られるような大ごとにはならない。現実はいつもと同じように淡々と過ぎていく。死ぬまでこんな日が続いてくれれば、それが一番幸せなのかもしれない。

6月29日 うちから4冊も詩集を出している宮城県のKさん夫妻が、5冊目の詩集の打ち合わせに。K さんは専業農家で自然保護運動家でもある。手土産で無農薬のお米と自家製コムギの乾麺(うどん)をいただいた。早速ランチは冷やしうどん。お米もグッドタイミング(古いなあ)。ちょうど米が切れていた。これも非常食用(山や夜食)に早速炊いて冷凍保存。山ではこれをチンしてアルミホイルにくるんで持っていくのだが、Sシェフにはいつも「握り飯が大きすぎる」と文句を言われる。年をとると米の飯がどんどん好きになる。これに塩と味噌をぬるだけで、りっぱな1回分の食事になるのだから魔法のようなものだ。

6月30日 先日、岩手の西和賀にある女神山に登ったが、今になって「秋田と深い関係のあった場所だった」ことに気が付いた。町中に巨大なわら人形があり、山中に「真昼岳・兎平方面」の表示があった。ここから昔は隠れキリシタンも山を越えて秋田側に逃げてきた。この山を越えた先には真昼岳のある美郷町がある。この町にも巨大な疫病退治祈願のわら人形があり、隠れキリシタンが集会を開いた洞窟がある。中世にこの地にやってきて町を作った高堂氏はもともと和賀の領主だった。高堂氏のつくった城跡や城回(町)は今も美郷の町に当時の姿をとどめている。美郷の巨大わら人形やキリシタン洞窟は、実は最近訪ねて感銘を受けたばかり。それなのにすっかり忘れていた。身体も頭もさび付きはじめたか。

7月1日 久しぶりに県展を観てきた。最近「書」に興味が出てきて、こんな機会でもなければ書道作品を一堂に見る機会はない。何点か「いいなあ」と思える作品があったが、紙の余白の使い方に素人ながら不満がのこった。他の展示も見てきたが、印象に残ったのは彫刻の成田哲也さん。いつもの作風とガラリと変わり、いきなり作家が抱える内奥の深い闇と煩悶を目の前に突きつけられたような衝撃があった。芸術家ってこんなにも振幅が激しいんだ。写真の加藤明見さん、工芸の石山敦子さん、黄八丈の三浦眞理子さんといった人たちの作品もそれぞれ素晴らしかった。やはりみんな賛助作品や賞をとっている常連者たちだが全員知り合いでもある。

7月2日 NYのLGBTのデモパレードや、サッカーのヨーロッパ選手権でウイルス感染のニュースを観ながら、2年前、ブラジル・サンパウロを訪ねた6月のことを思い出した。街中いたるところに男同士で抱き合っているカップルがいて、レインボーカラーのゲイパレードのシンボルフラッグがはためいていた。サッカーの南米選手権も真っ最中、一目で御上りさんとわかるコロンビアやボリビア、ウルグアイのサポーターたちが数百人単位で街角で気勢を上げていた。そこに年金引き下げ政策に反対する公務員の大規模デモが重なり、サンパウロはまるで革命前夜のような熱狂の渦の中にいた。でもこれは革命前夜ではなく国際都市にはよくある日常の一コマだ。ゲイパレードに100万人が集まり、公務員のデモですべての銀行が閉まり、街中に聴きなれないスペイン語が響き渡る。それでも当たり前のように淡々と時間が過ぎていく。大都市って、かっこいいなあ、と思いだしたのだ。
(あ)

No.1062

戦国の村を行く
(朝日新聞社)
藤木久志

 戦国の歴史は、どうしても領主が中心になって書かれる。それが本書では、村から領主を見るという新鮮な視点が貫かれている。横暴な領主、みじめな民衆、圧政と貧困という中世近世像が見事にひっくり返され、自立しながら、したたかな、村や農民の姿が描かれている。中世の農民たちは生命維持装置として集団をつくり、それに拠って領主とも対峙した。自分たちの自前の山城までもっていた村もあったという。自分の村が戦場になると、戦禍を避けようと敵軍に多くの米や銭を支払い、敵対を続ける双方の軍に年貢を半分ずつ払って、両属(半手・半納)の関係を結ぶことまでいとわなかった。長いこと戦国の民衆を戦争のみじめな被害者と同情してきたが、それはどうやら浅はかだったようだ。村の自衛力(城や契約)生命力には驚くべきものがある。さらに驚いたのは、戦に負けると村を代表して処刑されるのは庄屋ではなく、村に雇われていた乞食たちだった、というのだ。乞食たちは身代わりになる代わりに子孫を末代まで村の執行部に加えてほしい、自分の身分の扱いも高くするよう要求していたという。そのため村は戦いの犠牲に備え、犠牲者の遺児を養育し、田畑の耕作を維持し遺族に補償し、課役を肩代わりした。多彩な補償や法相のシステムを作っていたのだ。

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