Vol.1113 22年4月30日 | 週刊あんばい一本勝負 No.1105 |
週2回の山行で筋肉痛 | |
4月23日 この頃見る夢は決まって迷路系。帰りの道が分からなくなり、はてどうしようか悩んで終わる。ケータイも登場する。その使い方がよくわからない。そこでつまづいて迷子になってしまうケースが多いのだ。迷路系というよりケータイ系の夢といったほうがいいのかも。ケータイは日常で使うことはない。家電とパソコンメールで用は足りる。しかし心の奥底ではスマホを自由に使いこなし世界を飛び回る理想の自分がいる。 4月24日 今日は神宮寺にある西山三山(神宮寺岳・姫神山・伊豆山)。アップダウンの連続で身体にはこたえるが、ピークハンターではないので、山菜採りも自由にできる。ここのアップダウンが楽しくて、それにチャレンジするためだけに来る人もいる。ちょっと興ざめだったのは山を走るランナー(トレイルランというらしい)たちの増加だ(大会か練習会のようなものがあったようだ)。この人たちが正直なところうるさいのだ。山は静かな動植物が主役の世界だ。その静謐な自然を息荒く駆け回る。いや、そんなスポーツがあっても構わない。でもなんだかちょっと不自然だ。山は若さを爆発させるのに絶好のロケーションだが同時に年寄りたちの唯一残された聖地でもある。 4月25日 「貧困とは昼食にボンカレーを食べるような生活のことで、貧乏というのはボンカレーをうまいと思ってしまう感覚のこと。ついでに言えば、中流意識とは、ボンカレーを恥じて、ボンカレーゴールドを買おうとする意志のことだ」……これはコラムニスト小田嶋隆が30年前以上前に出した本の言葉だ。中流という今は消えた階層がちゃんと生きていた時代の言葉だ。言葉として普遍性はしっかりと残っている。当時この言葉を読んで手帳に書き留めておいたのだが、時々今もこうして思い起こして復唱してみる。 4月26日 先日の急坂による筋肉痛が残っている。今日も週日にもかかわらず山行である。八郎潟町にある高岳山へ。ここでも急坂を一気に登って、そこから下りながらお隣の浦城跡を見学。小さな山だがかなり汗をかいた。帰途は大潟村に寄り、温泉に入り、直売所で買い物し、菜の花ロードを堪能。新入社員は恒例の鳥海山・稲倉山荘に出店のため、早朝から不在だった。申し訳ない。午後からは雨になるとわかっていたので早めに切り上げてきたのだが、新入社員はすでに帰舎していた。 4月27日 山行の後の夕ご飯は、山で残った食料を事務所で食べるのが習慣だ。でも最近は毎回なにかを作るのが面倒になり、もっぱら「キャベツ鍋」で済ませている。キャベツ半玉に豚バラ肉を入れ、小さな土鍋で蒸し焼き。それをポン酢で食べるだけだ。同じような料理(?)にほうれん草鍋があるが、こちらはだし汁に大量の酒やニンニク、ショウガが必要で面倒だし、どちらかというと冬の鍋だ。 4月28日 今年の春はなんだかいつもと違う。「春だなあぁ〜」と心の底から感じてしまう迫力を感じるのだ。コロナ禍と関係があるのかどうかはわからない。自分だけの特別な感慨かナとも思いなおし、カミさんに訊いてみた。「たしかに今年は特別な春って感じがする」という返事だ。やっぱり。隣の家が引越しして空き地になった。そこからたっぷり太陽の光が差し込むようになり、家の中が明るくなった。もしかすると春の陽気と関係あるのかもしれない。 (あ)
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