Vol.1272 2025年5月17日 週刊あんばい一本勝負 No.1264

久しぶりの東京出張は刺激的

5月10日 今週のHP写真は湯沢市愛宕町にあるケヤキの巨樹。樹齢400年で、私の通った湯沢高校のすぐそばにあるのですが、通学路が反対側だったため、学生時代はほとんど目にしていません。昨日ちょっと風邪気味で、体がだるく、ずっと寝ていました。多分疲労からくるもので、食欲もなく、寒気がずっと続き、厚着をしてストーブを焚き、うずくまっていました。

5月11日 ルポ「人が減る社会で起こること」(岩波書店)を一晩で読了。著者の工藤哲さんは毎日新聞秋田支局の記者。新聞連載ではなく個人が出版元のために書き下ろした本なのである。目次構成もなかなか興味を引く。1章が「人口減少の現在地」で2章が「迫るツキノワグマ」、3章は「しょっぱさの壁」、4章が「もったいない秋田」という4章構成だ。過疎の問題にクマや食文化、観光問題を、脇役ではなく主人公として取り上げているのが面白い。著者とは面識がある。秋田の前の赴任地が中国・上海で、そこでも数冊、連載ではない本を書いている。この本で特に面白いのは「しょっぱさの壁」で、塩分摂りすぎの弊害を社会問題として分析している。著者の両親は青森出身で、本人も東北の食の味の濃さは十分知っているつもりだったが、それにしても秋田は度が過ぎる、と嘆いている。

5月12日 週末は2日間とも事務所のソファーで寝てすごした。まだ少し身体がだるいのだが今日は平常な体調に近い。市販薬を飲んでじっとしているだけだが、この2日間でかなり正常に戻りつつある。音楽もテレビも本も食事もパソコンも事務所にいると自由に使える。熱が出た1日目はフルに休んだ。それで身体から熱が抜けた。2日目は汗が出て少し体が軽くなった。今日は3日目だが、だるさはまだ残っている。散歩は無理だし食欲もないから、まだ油断はできない。

5月13日 今日から東京2泊3日の東京出張。コロナ禍以降、5年ぶりだ。おまけに3日ほど前から風邪気味で、体調はまだ回復途上。東京では連日、大切な方々と会う予定だ。死ぬまでは何回か上京する機会が、まだあるのかもしれないが、本心を言うと、もうできるだけ秋田を動きたくない。これは高齢や体力的な理由ばかりではない。やらなければならないことが列をなして待っているので、東京の優先順位は自然に低くなるのだ。電車で読む本は、読みかけの吉川トリコ『余命1年、男をかう』(講談社文庫)。半分まで読んだのだが、あまりに面白く、電車に持ち込むことにした。

5月14日 東京初日。新幹線から降りて水道橋のホテルに直行。ここは常宿なのだが、なぜか1泊目と2泊の宿代が2倍違う。意味が分からない。神保町を散策して夜は地方小のK社長と一献。特筆すべきなのは、飲み会でノンアルを最後まで通したこと。ノンアルは結構うまいし、何よりも酒を飲みたいという気がまったく起きなかった。医者に止められているわけでもないし、健康のための節酒という気も全くない。もうノンアルで十分な身体になったのだ。ホテルに帰って、風呂に入って、明日の仕事のおさらいをして、10時には寝てしまった。風邪気味だったが、体調はほとんど元に戻った。本番は明日。新宿から1時間以上かけて神奈川秦野市まで行く予定だ。朝は6時半起き。酒が入っていないから逆にぐっすり眠れそうだ。

5月15日 朝6時半起き。水道橋のホテルを出て新宿駅へ。ここから小田急線で秦野市へ。小田急線にはほとんど乗ったことがないのだが、よく耳にする駅名が路線にはたくさんあることにまずは驚いた。秦野市からはタクシーで民俗写真家・須藤功さん宅へ。87歳になる須藤さんは独り暮らしで、その3LDKのマンションは「資料庫兼仕事場」になっていて、不思議なことに生活臭がみじんもない。整然と写真資料が整理され、このまま資料を持ち帰っても、図書館の一角に「須藤功民俗写真記念館」が一夜にしてできてしまいそうだ。須藤さんは今も月刊誌の連載や新刊が年1回は出版される現役の民俗研究家だ。体力的に写真を撮る機会は減ったが、かわって原稿を書くのが大好き、と嬉しそうにいう。師匠の宮本常一には「生活史を撮る写真家は、文章を書けなければ絶対ダメ」と徹底的に言われ続けたのだそうだ。だから今も、生まれ故郷のこと、菅江真澄のこと、昔のフィールドワークの思い出、書き洩らした民俗の話のあれこれ、を毎日休むことなく机に向かって書き続けている。その旺盛な執筆意欲には圧倒された。秦野から神保町まで戻り、須郷さんのエネルギーに吸い取られたエネルギーを補充するため200グラムのステーキを奮発したが、須郷さんのそれには足元にも及ばない。ご飯もお替りしたのに。夜は神保町周辺の本屋をはしご。刺激的な本には巡り合えなかった。宿に帰って『バッタを倒しにアフリカへ』(光文社文庫)を読みだしたらやめられなくなった。一昔前のベストセラーでカミさんの本棚にあったものを拝借してきたもの。著者の前野ウルド浩太郎さんの熱い「秋田魂」にベッドで大笑いしながら読了した。

5月16日 ゆっくり寝坊して、シャワーを浴びて10時チェックアウト。いつものように歩いて九段下から東京駅まで。途中で神保町隣の神田錦町にある「ほぼ日ビル」を見に行く。あの糸井重里さんの会社だ。このビルは元精興社があった場所で、精興社活字として有名な老舗印刷屋さんだった。ビルに併設したギャラリーで「蓮尾佳由個展」。このポスターの絵を見た瞬間、自分に「直球ドストライク」だとわかり、ためらわず入り、じっくり見てきた。なんと絵を描いた本人も会場にいて名刺交換までさせてもらった。ウキウキ気分のまま、東京駅まで歩きとおした。東京駅では大丸デパート7階の紳士服売り場「英国屋」カフェーで、去年なくなった石川好さんの奥さんと待ち合わせ。彼女は作家でもある。亡き夫のことを書いている本の取材も兼ねてのことだ。終わって1700円の幕の内弁当を買い込み、新幹線に乗り込み、ようやく三日間の東京出張は終わった。

5月17日 やはり緊張感があったのだろう、夜寝たのが11時で、起きたのは9時。熟睡した。気分のいい目覚めで、出張前のけだるい微熱のような体のほてりがすっかり消えている。東京でいっぱい汗をかいて、風邪は吹っ飛んだのだろう。また秋田での日常が始まった。やることは山のようにあり、その優先順位を考えるのも楽しい。しんどいことも多いが、それも含めて、仕事は楽しい。東京では3日間、アルコールを口にしなかった。これはたぶん初めての経験だ。外に出るとなるべく乗り物を使わず、自分の足で歩き回ったのだが、思った以上に体力が落ちていることを痛感した。やはり筋トレは必要だ。昔のように気楽に山歩きするのも、クマの問題もあり、難しくなっている。山に替わって「水泳」を復活してみようかと、近所のスポーツジムに入会してみることにした。まだ泳いではいないのだが、ジムは事務所のすぐそば、いつでも行ける気軽さが、逆に足を遠のかせている。自分の性格からして泳ぎ始めると夢中になってプール通いを始めるのは目に見えている。犠牲になるのは仕事だ。これもちょっと困る。はてされどうしたものか。
(あ)

No.1264

駄目も目である
(ちくま文庫)
 昭和のベタな私小説作家である木山捷平の本を読もうと検索したら、本書がヒットした。例のごとく困ったときの「ちくま文庫」頼みである。このアンソロジーもほかの例にもれず面白かった。木山は去年が生誕120周年で、「目立たぬように、ひたすら庶民の目線で」書き続けた。収録作品には「散歩」ものが多く、これも散歩好きな私には高得点を挙げるアドバンテージになった。とくに「軽石」という短編が印象に残った。庭で焚火をして木箱を燃やし、残った釘をくず屋に売り、得た金で物を買うためにうろつく話だ。得た金は2銭だったが、結局買えたのは軽石だった、というだけの話だ。仲の良かった太宰治のことを書いた「太宰治」という中編作品も、淡々と太宰を描きながら、その距離感が実にあっさりしていて、気持ちいい。この作品の中で、太宰の生家である斜陽館を文学仲間たちと訪ねる場面があった。この時の案内役というか世話係の編集者として「審美社の青年社員である高橋彰一」が登場する。私の出版の師匠ともいうべき、のちの津軽書房の社長である。若き日の編集者である高橋さんに、思いかけずもこの本で出逢ったのである。木山の作品はフィクションかノンフィクションか混然として、どこまでが現実なのかよくわからない。でも小津映画にも似た味わいがある。

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