Vol.1279 2025年7月285日 週刊あんばい一本勝負 No.1271

CDをUSBに落とし込む作業

6月28日 今日は岩手・国見側から秋田駒ヶ岳。何か月ぶりの山歩きだろうか。トレーニング不足から不安がいっぱいで、夜もよく眠られなかった。水は2・5リットル用意していくので、ザックの重さは普通の人のゆうに2倍。驚いたのは、国見の登山口駐車場で、駐車場はおろか路上駐車の車があふれ、そこから登山口まで15分近く歩かなければならなかった。金十郎長根までの長い階段上りは1時間20分、そこから尾根だがムーミン谷まで1時間半、まあこんなペースだろう、今の自分では。ムーミン谷で昼食をとり、男岳までは無理と判断して引き返してきた。このあたりが今の自分の適正な限界点。もう少しトレーニングをしなければ身体がパンクしてしまう。夜は早めに床について朝は10時まで、ほぼ12時間熟睡した。山に入ると余計なことは何にも考えない。「山の時間」はやっぱり自分には必要のようだ。

6月29日 和食Mはもう四半世紀通い続けている小料理屋。毎月一回は家族3人で会食するのが、わが家族の決まりだ。Mは驚くべきことに四半世紀というか、開店当時からほぼメニューが変わっていない。そんなMのメニューにちょっとした変化が。「クマの旨煮」という一品があったのだ。すぐに注文して食べたのだが美味かった。ふっくらとしてジューシーで、関西のおでん(関東炊き)に入っている「牛すじ」や「くじら」を彷彿させる味だった。よくこんなに柔らかくなったね、と店主に訊くと、「二度あく抜きして、さらにミソで煮てから、醤油で味付け」というから手間ヒマかかっている。「お客さんが持ってきたので、しょうがなくメニューに出しました」と店主は謙遜するが、これは定番にしてもいいなあ。

6月30日 長かった6月も今日で終わり。あたふた続きの一か月間だった。一番大きな事件は経理事務所とのごたついていた問題が解決に向かったこと。長く続いた新聞連載が終了すること。日常使用している生活備品類の多くを買い替えたこと。月に3回、歯医者に通ったこと。ある高齢な写真家のネガ資料などの保管場所が見つかりそうなこと……などだ。同じ場所で同じ仕事を続けていると、20年、30年変わらずそのまま、というのは当たり前。それがここにきて、みんな一斉に更新、書きされて、動き出してしまった、とでもいえばいいのだろうか。こうして月日は過ぎていく。

7月1日 岡本喜八監督が原案を書いた映画『助太刀屋助六』をテレビ放映でみた。江戸時代の「仇討ち」をテーマにしたコメディ時代劇だ。ラストシーンで主演の真田広之と鈴木京香が馬で村を去っていくシーンで、何度も二人は「ヤッホー」と歓喜の掛け声をかけ、フェードアウトしていく。山登りでよく山頂で叫ぶ、あれだ。江戸時代、この言葉は本当にあったのだろうか。調べてみると、「ヘブライ語です」という自信に満ちた説がネットに出ていた。ユダヤ教では神のことを「ヤハウェ」という。それがなまって「ヤッホー」だというのだ。お祭りの「ワッショイ」もヘブライ語では「神が来た」という意味で、「ヤ―レンソーラン」も「神が答えた、見てください」という意味なのだそうだ。日本の生活に根ざしたヘブライ語といえば、私の知る限り、あのフォークダンスの時に歌った「マイマイ、オーマイ、ベサソ」というやつだ。これがヘブライ語なのは間違いないのだが。

7月2日 奥田英朗の『普天を我が手に』(第一部)を読了。勢いのある筆致と畳みかけてくるドラマの展開に、21行組み600ページの長編を、あっという間の3日間で読み終えてしまった。これはまずい。続編の第2部刊行予定は9月、それまでお預けなのだ。戦争、侠客、革命、音楽……それぞれの才を持った4人の昭和元年生まれの寵児たちが、交錯しながら昭和を歩く長編小説だ。一部はその4人の主人公たちの親たちの物語だ。大正天皇崩御から太平洋戦争前夜までが描かれている。4人の親たちの中では、若きエリート軍人・竹田耕三の生き方が強く印象に残った。宣伝文句には「昭和史サーガ3部作」の文字が躍る。サーガというのは、ある一族、一門を歴史的に描いた大河小説、という意味なのだろうが、今はもう早く続編が読みたい、という気持ちでいっぱいだ。よくしたもので、同時期に新刊の出た沢木耕太郎『歴のしずく』で、この空白を埋め合わせるしかない。こちらも600ページの長編で、眠る時間が惜しくなりそうな予感はあるのだが。

7月3日 仕事場にCD専用の棚がある。クラッシックを中心に1000枚を超える数のCDがあるが、よく聴くのはこのなかの数枚にすぎない。なんだか勿体ないなあ、とずっと思っていた。そこでこの際、思い切ってCDの多くをジャンル別に分けパソコンに取り込み、USBに落とし込むことにした。それを持ち歩いて車やモバイルにつなぎ、いつでも聴けるようにしようという魂胆だ。とりあえずパソコンにすでに落とし込んであったCDを「落語」「武満徹全集」「JAZZ]「オペラ」などにジャンル分け、各2ギガぐらいのUSBに落とし込んだ。なるほど、これならいつでもどこでも、面倒がらずに音楽や落語が聴けそうだ。本筋のクラッシックは、あまりに数が多いので、16ギガのUSB3本にわけることにした。でも、これが難儀な作業だ。CDをパソコンで取り込むのはけっこう時間がかかる。そこでバイト代を払って友人のFさんに手伝ってもらうことにした。Fさんがこの大仕事を引き受けてくれた時点で、もう大仕事を成し遂げ、肩の荷を下ろしたような気分だ。

(あ)

No.1271

ストロベリー・ロード
(文春文庫)
石川好
 平成元年に大宅賞を獲った著者の代表作だが、実はまだ読んでいなかった。上下巻だが上巻は一晩で読み終わってしまった。60年代に農業移住したアメリカでの2年間を描いた青春期なのだが、「性」に悶々とする青年の純朴な心情がみずみずしく描かれていて、同じ年代のものとして、共感するシーンが多く、読むのが楽しい本を久しぶりに読んだ気分だ。石川さんは去年亡くなったのだが、先日、奥様で作家の殿谷みな子さんと秋田時代の石川さんの思い出話を、東京でたっぷりしてきたばかりだ。その時までは本書を、アメリカ青春移民冒険記の類だとばかり思い、読むのを遠慮していたのだが、石川さんの「ヰタ・セクスアリス」だったとは全く知らなかった。60年代のアメリカで、18歳の伊豆大島生まれの田舎の青年が、すでにこの国を「違和と混乱の世界」と看破し、途方に暮れながら日々を暮らす。登場人物たちが生き生きとしている。アメリカ人がほとんど登場しないのも意外だった。「あの人」や「じいさん」、「平田さん」や「兄」「フランク君」や「牧師先生夫妻」としか表記されない登場人物たちの英語交じりの日本語の会話がユーモラスで悲しい。石川さんが生きていれば、いまのトランプのアメリカをどのような分析しただろうか。『ストロベリー・ボーイ』(文春文庫)という本も出ているが、これは100パーセント本書の続編である。これも一気読み。

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