Vol.1284 2025年8月9日 週刊あんばい一本勝負 No.1276

雨よふれふれ、雷こわい

8月2日 「水不足」が心配になってきた。水不足が暮らしに与える影響は深刻だ。いてもたってもいられなくなり、近くにある太平川の源流をみてきた。河辺ダムのあたりまで遡って川の水量をチェックしてきたのだがカラカラまでは至っていない。帰りに、昔よく通った「山の學校」のあたりも見てきたが、建物の一部にまだ人が住んでいるので荒れはしていないが、周辺の森が、原生林のような状態になっていた。森は手入れをしないと空き家と同じようにすぐに傷んでしまう。

8月3日 事務所の玄関に貼っている社名看板が外れた。暑さのせいで接着剤が溶け出しはがれてしまったのだ。数年前、頑丈な登山靴をコインランドリーのシューズ専門洗い機で洗ったまではよかったが、調子に乗って乾燥もかけたら、靴底がはがれかけたことがあった。それにしても暑さのせいで建物の一部が崩壊するというのは想定外だ。

8月4日 2階のシャチョ―室は建物を建てて10年以上使えなかった。西日がひどく、いくら扇風機を持ち込んでも、こもった熱気を追い払うことができなかった。それが20年程前、窓を断熱仕様の2重窓にし、クーラーをギンギンにきかせて、どうにか人が住めるようにした。ところが今年の夏は猛暑に太刀打ちできず、苦戦している。クーラーを20度(!)に設定しても、午後2時を過ぎると熱気がこもり、いるのが苦痛になる。午後2時から午後6時までが暑さのピークだ。逆にここ数日、暗くなってから散歩に出ているのだが、やけに夜風が冷たくて、心地いいい。まるで秋が来たみたいなのだ。日が落ちると同時に風が吹き出すのだ。これはいかなる自然現象なのか?

8月5日 読みたい新刊が出た。アマゾンで購入し明日からでも読みたい。でも電子書籍だ。最近この手の刊行スタイルが増えているらしいが、版元は幻冬舎だ。紙の本にするにはお金がかかる。電子版ならただみたいなもの。昔、興味本位で買ったキンドルがある。あれで読めるのだろうか。そういえばここ2,3年、紙の本をデジタルにして再出版しましょう、と著者に直接営業をかける、怪しげな出版社があった。最近まったく名前を聞かなくなったが、人のフンドシで相撲を取っている輩なので、まあ長続きするはずはない。それにしても「電子書籍のみ」で本を読んでいる人たちって、そんなにいるのだろうか。

8月6日 病院に行くたびに「血圧が高い」ことを指摘されるようになった。上が150前後、下が90前後だ。薬を飲むようにも言われたが飲みたくない。治るわけではなく対処療法にすぎないからだ。自分で血圧を120台まで下げられないものか考えていたのだが、「メディカルグリップ」という運動用機器があるらしい。医療機器ではなく「運動機器」だ。要するにハンドグリップ運動をしながら血圧を下げるものだ。いかがわしい薬や、怪しげな医療(宗教)機器は信じていないが、これはれっきとした運動用具の一種だ。販売元はあの「通販生活」だし、そうひどい誇大広告でもなさそうだ……と注文してしまった。1,2か月試して、結果をご報告しますので、こうご期待を。

8月7日 地元の新聞社・魁新報社から、8月の終戦記念特集の原稿を依頼された。加藤富夫という予科練帰りの作家で、10年ほどの創作期間で、18篇の作品を中央誌(文学界と早稲田文学)に発表し、49歳で亡くなっている人物についての論考で、テーマは「土俗と戦争」だ。その原稿が8月13日,15日,18日と、3回に分けて掲載される予定だ。加藤は私の高一の時の担任教師でもあった。去年、彼のことを朝日県版コラムに書いたものを、たまたま魁新報の記者が読んでいて声をかけてくれた。朝日の時は、まるで反応のなかった記事だが、ちゃんと読む人は読んでくれている。ぜひご笑覧を。

8月8日 昨夜の雷はかなりの迫力だった。田んぼ(コメ)が心配で、「雨よふれふれもっとふれ」という心境なのだが、雨と雷はまた別物だ。その強烈な閃光は、わが寝室にもろに入り込んでくる。寝室の窓が大きすぎるのだ。そこで先日、こんなこともあろうかと、こっそりアイマスクを買っていた。あの飛行機で配られる安物のペラペラではなく、ガシッとした本格的なもの。これが昨夜は役立った。雨はもう十分なほど降ったので、これでやめにしてほしいが、そうこちらの勝手ばかりも言ってられない。実は毎日、河辺ダム近辺まで車で川の偵察に行っている。2年前のあの豪雨のトラウマなのだが、川の水位は思ったほど上がっていなかった。でも水流の勢いがすごい。夜になると水量は増えるだろうし、山が排出する水量のすごさは、山登りする人には常識だ。降り終わってからのほうが雨は注意が必要なのだ。いまもまだ遠くで雷鳴がとどろき続けている。空は明るく、暑気も消えたが、やはり不気味さは雷が一番だ。

(あ)

No.1276

旅する巨人―宮本常一と渋沢敬三
(文春文庫)
佐野眞一
 この本の親本が出たのは96年、大宅賞を獲ったこともあり、そのころ親交のあった著者の受賞式にも出席している。だから親本で読み、その書評もこの「一本勝負」に書いている。なのに再度読んでみたのは、やはり四半世紀以上経過すると、本の評価も個人的には大きく変わってしまったからだ。当時はともかく今回は、「須藤功」という横手出身の民俗学専門の写真家のことを調べる必要があり、彼の仕えた「宮本常一」や「渋沢敬三」のことをもう一度勉強することになったからでもある。読みだすと前回のことはすっかり忘れているので、勢いのある筆致と、叩き込むようなエピソードに、佐野ワールドに引き込まれそうになったが、こちらも昔に比べて少しは読み巧者になっている。たとえば、アチック・ミュージアム彙報の一冊として出版された吉田三郎著『男鹿寒風山麓農民手記』について佐野は、「貧しい出稼ぎ人の吉田が、東京で煙突掃除人の仕事をしていて、たまたま渋沢亭を訪ね、そこから交流が生まれ、名著が生まれた」と実にドラマチックにその場面を描いている。面白い本の生まれ方なので、吉田の原本(「日本常民生活資料叢書第9巻」に当たってみると、事実はまるで違っていた。こんな場面が数か所あった。素晴らしいルポルタージュには違いないが、取材が少々荒っぽい。でも2度読んでもやっぱり面白かった。

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