Vol.733 14年12月13日 週刊あんばい一本勝負 No.725


いろんなことが積み重なって時は過ぎていく

12月6日 DM発送から1週間が過ぎた。この1週間が注文の山場で、特に週初めがピーク。そして10日間ほどで「騒動」は収まり日常に戻っていく。今回のDMは金曜日発送だった。そのため週初めの注文がそれほどでもなかった。届いたのが土日だったからだろう。ということは来週初めに2回目のピークがあるかもしれない。それに期待しようか。DM注文もさることながら今週は来客の多い週だった。広島の大学から著者が見えたり、市内の面識のない老人がフラリと来舎、山仲間の若い夫婦が突然顔を出したり、、仙台から研修女子大生も来た。この間、ずっとおしゃべりしていたわけで、コミュニケーション濃度の高い一週間だった。

12月7日 横手市にある保呂羽山(438m)。本格的な雪山登山のスタート。秋田市から横手市に向かうに従って雪の量が次第に増えていく。スノーシューは持ってきたものの、大丈夫だろうか。「少年自然の家」前から登りはじめたが思った以上の深い雪。ラッセルを交代しながら深さ70センチもある新雪の中を2時間半。途中の女人堂まではどうにか登ったのだが、ここで力尽きてしまった。すでに12時半を回っていた。頂上に行くのは無理と判断し下山。でも、雪山ってやっぱりいい。うまく言葉にできないのだが、白一色の静寂の世界を歩くのは異次元の不思議な世界を遊泳している気分なのだ。家に帰ると新入社員の誕生日。カミさんが近所の寿司屋さんから出前を取り、赤ワインを1本空けてしまった。新入社員は酒を飲まない。カミサンと2人で酔っぱらい、こちらはラッセルの疲れもあり、あえなく撃沈。

12月8日 朝一番でブラジル・サンパウロから電話があったのだが、あいにく衣替え中で、出られなかった。着信履歴に「010」をくっつけかけなおした。まるでお隣の山形県に電話したかのように地球の反対側に通じた。クリアーな音声でタイムラグもなし。元気な友人の懐かしい声。家族5人で正月明けに秋田に遊びに行く、という。スキーに温泉、ラーメンにきりたんぽが楽しみだそうだ。そうか円安ドル高120円って、こんなことなのか。世界の現実はもろにリアルだ。ブラジルに行くたびにご当地の日系人の方々に一方ならぬお世話になっている。こんなときしかお返しができない。幸い新入社員も小学生のころから日系の人たちにはお世話になっている。彼をフル回転させて接待しよう。それにしても世界の狭さは電話でもわかる。地球って狭い。

12月9日 もう今年は新刊予定もないし、DM発送の山場も越えた。ヒマなのだが、なぜかずっと山のごとく机の前に垂れこめている。喫緊の仕事は何もないのだが持ち場を離れるのが怖いのだ。ここ数カ月、遠くに出かけることもなければ、散歩以外の外出も億劫になっている。「容易に想像できることは、したくない」という気分なのだ。仕事の発端はすべてメールか手紙か電話からはじまる。そのはじまりの現場にリアルに立ち会うのが好きなのだ。持ち場を離れても(自分がいなくても)、日々はつつがなく過ぎて行く。それはわかっているのだが、やっぱり「仕事のはじまり」の現場は刺激的で魅力に満ちている。

12月10日 友人から絵が送られてきた。沖縄の海をモチーフにした立体感のあるレリーフのような絵だ。あまりの素晴らしさに、しばらくコ―フンがおさまらなかったほど。静謐とリリシズムの底に、熱いマグマが煮えたっているような、観る者に落ち着きと勇気を同時に与えてくれる不思議な絵だ。彼の絵は昔から大好きで何点も購入し、事務所にも飾っている。今回の絵は応接間の特等席に置くことにした。個人的なトラブルの仲介を果たしただけなのに、そのお礼の意味で贈られてきたものだ。宮古島の海に感動し、その海を描くために絵筆を持たず、ひたすら数年間、観察だけを続けたはてに描かれたものだそうだ。表現をする人たちのこうした地道な行為に、現代は決定的に敬意が欠けている時代でもある。

12月11日 雨。連日の雪で寒かったが、少しは緩んだ。雪なら散歩に出られるが雨は勇気がいる。傘をさすのが面倒なのだ。「雪に傘」をさす人は秋田ではほとんどいない。新潟あたりは「雪に傘」は当たり前というから、雪質というより「風」の有無が原因なのだろうか。雪と風が一緒に襲ってくる地域で傘は役に立たない。話変わってニホンジカ。北海道のエゾシカは別にして、ニホンシカが雪国で生活するのは簡単ではない、と大森山動物園園長が新聞に書いていた。これは意外だ。山形や青森、秋田にシカが居なかったのにはそれなりの理由があったわけだ。イノシシがいないのも足が短く雪中で暮らすのが難しいため。でもシカの適応能力は貪欲だ。この冬も雪に適応して増え続ける可能性もある。傘がなくてもシカは生き延びるからだ。

12月12日 政治の本は苦手というか、読んでも心の裡にとどめておくことが多い。矢部宏治著『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(集英社インターナショナル)は珍しくイデオロギーを超えた面白い政治本だった。本人は「中道・リベラル」を表明し、ベストセラーになった「戦後史の再発見シリーズ」(創元社)の企画・編集責任者。立花隆さんの本を多くつくっている書籍情報社の経営者でもある。世界史をテーマにする本をつくる編集者なので、なんだかそれだけでも信用してしまうのだが、中味はハードで戦後史の闇に真っ向から切りこんだミステリー小説のような労作。だから「あらすじ」や「結論」をばらすのはルール違反。ぜひ読んでほしい。そうだったのか、と膝を打つこと請け合いだ。
(あ)

No.725

日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか
(集英社インターナショナル)
矢部宏治

 この手の本はイデオロギーに偏っている、と決めつけてしまう悪い癖がある。そのため、けっこうすごいことを言っている本もパスしてしまっている損な性格だ。著者は「中立・リベラル」を本書の中で表明している。大阪の創元社から出版されたベストセラー「戦後再発見双書」の企画・編集責任でもある。立花隆さんの本などを出す書籍情報社という出版社も経営している編集者だ。そんな人が書いた政治の本なので、なんだか信用できる。著者はこれまで「世界史」をメインにした本の編集に多く携わってきた。その視点と見識が本書でも縦横に生かされている。驚くような新事実がちりばめられているのも本書の特徴だ。「戦後70年の謎」がテーマなので、カンどころを書いてしまうのはミステリーの犯人ばらしと同じになってしまうから、やめる。戦後日本を考える重要なポイントは「日本国憲法」と「昭和天皇」と「敗戦国」の3つ、とだけ言っておこう。特にこの3つ目の「敗戦」というのが重要なキーワードだ。第2次世界大戦の敗北で日本は世界の最底辺国に転落した。が次にはじまった「冷戦」というもうひとつの戦争では、アメリカの庇護のもと日本は戦勝国に駆け上がる。実はこの「敗戦」の舞台裏に、今のダメな日本を解読する秘密が隠されている、と著者はいう。

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