Vol.830 16年11月5日 週刊あんばい一本勝負 No.822


日が暮れるのがめっきり早くなりました

10月29日 モモヒキーズ新蕎麦会。この時期になるとSシャフが北海道から蕎麦粉を購入、シャチョー室で打ち立てを食べさせてくれる。Sシェフの蕎麦は毎年進歩、プロの域に近づいている。この頃東京でやぶやまつやの老舗蕎麦を食べているので、Sシェフのレヴェルがただものでないのがわかる。珍しく参加者に若い女性もいた。高校でストレッチなどの補助教員をしているHさんだ。いい機会なので彼女から左ひざ痛の元凶であるスクワットの、正しいやり方を教えてもらった。その動きに目を見張った。石油掘削機である。地中に差し込んだ起軸(足)はそのまま頭と尻だけを振り子のように前後させる。足は不動で上体だけが「やっこさん」のように揺れている。これはテクニックがいるなあ。素人がいきなりやってはいけない運動、ということがよく分かった。

10月30日 自分が大学生になるまで生まれ育った場所が、その昔「遊郭」と呼ばれた地域であることを最近ある郷土資料で知った。確かに周辺は料亭や薄汚い料理屋さん、元芸者さんたちの住む小さな家や、よくわからないバラックも蝟集していた。夜は酔っ払いたちが徘徊、家の前で小便をしてトラブルになった。5人家族だったが、家は10部屋以上ある大きさで、半分は飲食業に貸し残る半分に暮らしていた。家自体は父親の兄の所有物で、借家だったわけだが又貸ししていた。ある時、まだ使っていない部屋に女子高生を下宿させる話が持ち上がった。しかし学校側から「場所が場所だから許可できない」と下宿案は立ち消えになった。教育的見地から好ましくない地域であり、私の家自体が元遊郭の建物だったのが不許の理由だった。生家は解体され更地になっているが、周辺には古びた料亭などが数件まだ残っている。

10月31日 横手で講演のようなものをさせていただいた。開演まで時間があったので会場周辺を散策した。横手は母親の実家で少年時代から毎年のように遊びに来ていた。母が亡くなる2年ほど前、「母親が生まれ育った呉服屋を見たい」と突然言い出した。母親の母親だから明治も初期の人だ。呉服屋もその当時の話だから雲つかむような話だ。母を車に乗せ、住所を頼りに周辺を車で回ったが見つけることはできなかった。ところがこの日、こともあろうに会場の裏手にひっそり「きものの尾張」とい看板の呉服屋を発見。心臓の鼓動が高鳴った。引っ越していたのだ。母に知らせようと思い、ああ母はもういないんだったと現実に引き戻された。

11月1日 週末、夕方から友人と飲み始め、途中から数人が加わり夜中2時近くまで飲んでおしゃべり。翌日は二日酔いで昼まで寝ていた。起きたら声がガラガラ。次の日は朝から来客が続き夕方まで6人の接客、グッタリして一日が終わった。夕食を終えて散歩に出た時、のどが痛いのに気が付いた。ふだんは一声も発しないで一日が終わることも珍しくない。それがこの数日、いろんな人とずっとしゃべり続けている。普通の人よりも声帯も弱いのかもしれない。机にはこういう時のために「のどスプレー」が用意してある。身体の疲れと違って「のどの疲れ」というのは一種心地いい爽快感もある。

11月2日 運転中にポケモンゴーに夢中になり子供をひき殺した、というニュースには震えた。怖い。夜に散歩をしていても横断歩道はよほど注意してからでないと渡れない。ほとんどの車が徐行しないからだ。車の性能が良くなり急ブレーキで止まれるようになったから、とタクシー運転手は言う。直前までスピードを出し迫ってくると、こちらは思わず横断歩道の真ん中で立ちすくんでしまう。車はさも迷惑そうにブレーキをかけ一時停止する。なんだかこちらが悪いことをしたみたいだ。こいつらがゲームをやりながら運転するのだから「事故は必ず起きる」。そろそろ散歩には携帯電飾器が必要になりそうだ。面倒くさいったらありゃしないが馬鹿な奴らに殺されるのはまっぴらだ。

11月3日 「文化の日」だ。祭日はなるべく仕事場に出ないことにした。昼近くまで寝床の中でグズグズ。せめて祭日くらいは仕事から離れるように心掛けている。それでも心配になって、やっぱり一度は仕事場に顔を出す。職住近接の厄介なところだ。長居はしないことにしてさっさと散歩にでる。散歩から買い物に切り替えることもある。それにしても陽が早いので一日があっという間に終わってしまう。仕事をしている一日のほうが長く感じられるくらいだ。左ひざの調子はだいぶ良くなった。

11月4日 朝は見事な小春日和。なのだが昨夜、鳥海山は大雪で通行不能、という連絡が五合目にある稲倉山荘管理者から入った。今日、冬ごもりする山荘の「無明舎本コーナー」撤収のため、新入社員が山荘に向かう予定でタイヤはスパイクタイヤに履き替え、準備していた。で今朝、再度、管理者から、どうにか上がれそうです、という連絡があり、無事出発。里は小春日和に酔っているのに山は雪嵐。山は別世界だ。週末はその別世界の鳥海山横の八塩山に登ってくる予定。2か月ぶりの山なのでもう緊張している。
(あ)

No.822

漂流
(新潮社)
角幡唯介

 430ページの大著だが、読み応えも十分ある。活字が小さく21行詰め、これって昔の本みたいだ。沖縄の遭難した漁師の足跡を追っかけたルポだが、その取材執念たるや「ノンフィクション作家いまだ健在なり」と敬意を払いたくなる。久々に本格的ノンフィクションを読ませてもらい満腹感がある。でも、これだけ長期取材し何度も沖縄や海外を訪ねているとなると、1900円のこの本が何冊売れれば元が取れるだろうか。余計なことだが気にかかる。それはともかく海の遭難は3日が限度。遭難者の90パーセントが3日以内に死んでしまうのが常識だそうだ。本書の影響で引き続き冒険ものをモーレツな勢いで読み始めてしまった罪な本だ。ハイエルダール著の『コンチキ号漂流』を手始めに、S・キャラハン著『大西洋漂流76日間』(早川書房)。脱線するがこれは面白かった。本書は37日間漂流し、その時のことを取材しようとした、その本人はまた海に出て行方不明だった、仲間とともに救出された話だが、その話を聞こうと訪れると、何と本人はまた海に出て行方不明中だった。ようするに漂流の実態を本人に確認できないまま、次々と周辺取材を続け、空白を埋めていく物語だ。この膨大な本人不在の「空白の周縁」がおもしろい。キャラハンの76日は漂流した本人の体験記。救命ゴムボートでたったひとり。モリでシイラを獲り太陽熱蒸留器で水をつくり鉛筆でつくった六分儀で緯度を推定し、助かった30代のヨットマンの実話だが、漂流した本人が不在の漂流記というのも実に面白い。

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