写真帖 仙台の記憶
A5判・110頁 定価1800円+税 冊数
昭和三十年九月。まちは、
 子どもたちが遊び育つ場所だった 8
家族に夢を与えてくれた
 デパート屋上遊園地 10
整備が進む青葉通は、
 新しい時代の到来を予感させた 12
まちに熱気と興奮を生んだ、
 東北一周自転車レース 14
マイホームへの夢を託され
 郊外の山は団地に生まれ変わった 16
新しい時代、明るいきざし
 暮らしの夢を買った「仙台初売」 18
バスターミナルとしてにぎわった
 東一番丁・広瀬通の交差点 20
戦前と戦後が入り混じる
 名掛丁・東五番丁角 22
カッコウ時計が時を告げ、
 「荒城の月」が鳴り響いた仙台駅前 24
商店主たちが仮装姿で
 意気込んだ「仙台青葉まつり」 26
市電が走り、人々がゆったりと
 広場を行き交った仙台駅前 28
昭和三十年代。職人の技は、
 暮らしの中に生きていた 30
わずか五十二本から始まった
 戦後の「仙台七夕まつり」 32
ほこりっぽい夏の道をバスが行く。
 昭和三十年代の土橋通 34
町名が変わり、さらに
 変化が続く大学病院前 36
収穫を終えた近郊農家の人たちで
 にぎわった農機具展示会 38
木橋から二層式の永久橋へ。
 技術が変えた「仲の瀬橋」 40
初売の人出でにぎわう東一番丁に
 お茶屋さんの太鼓が鳴り響く 42
戦災後十年。区画整理を終え、
 大きく広がった定禅寺通 44
道路舗装はこれからという時代、
 まちには靴磨きがあふれていた 46
春の大売出しを知らせる
 スクーターのパレードが行く 48
全国お国自慢の山車も加わり、
 大イベントとなった
       「仙台青葉まつり」 50
道路の拡幅に込められた
 新しいまちづくりへの期待 52
道幅わずか五メートル、
 戦前の面影を残す上杉山通 54
街並みは大きく変わっても、
 「町割」は変わらない上染師町 56
今より道路幅はせまかったが、
 市バスも往来したX橋 58
今も市内北部のターミナル
 としてにぎわう北仙台 60
昭和二十七年、初めての国体は
 まちと人々を元気づけた 62
人々の暮らしに寄り添っていた
 「お聖天さん」の延命地蔵 64
正月気分が漂う新伝馬町、
 路上ではもう一つの初売が 66

「いざなぎ景気」の中、八木山は
 仙台を代表する大住宅地へ 68
仕事帰り、男たちは自転車で
 街頭テレビに駆けつけた 70
公園の歴史をたどれば見える、
 寺院、学校、進駐軍 72
通勤・通学の足に大きな影響を与えた
 私鉄五社の二十四時間ストライキ 74
七十年を経て架け替えられた澱橋。
 二つの橋の思い出 76
ゾウやライオンの曲芸を見に、
 多くの市民が集まった移動動物園 78
粋とおしゃれが闊歩する、
 昭和三十年代の仙台駅前 80
映画が娯楽の主役だった時代、
 まち中には大きな看板があった 82
仙台初の大型スーパーの開店に、
 市民は長蛇の列をつくった 84
昭和三十七年秋。市役所屋上から
 勾当台公園、仙台市街を望む 86
新と旧がせめぎ合う
 昭和三十年代後半の長町・鹿野 88
青葉通の大ダルマは、
 年末年始の風物詩だった 90
新幹線工事が進む仙台駅。
 東側はまだ「駅裏」と呼ばれていた 92
ミスコン美女を間近で撮ろうと
 群がるカメラマニアたち 94
春の雪降る勾当台通で、
 戦後復興の歩みを振り返る 96
焼き物のまちから住宅密集地へ
 堤町の変化が物語ること 98
お花畑や牧場、そして動物園、
 仙台の歴史が刻み込まれた花壇 100
青果市場でにぎわった
 昭和三十年代の長町 102
八月五日、曇り空のもと幕を開けた
 昭和二十八年の「仙台七夕まつり」 104
黒い家並みの向こうに、
 いつも白い礼拝堂があった 106

 あとがき 108


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