「梅津政景日記」読本
四六判・340頁 定価2500円+税 冊数
 序
梅津政景日記のおもしろさ
 政景の略伝
 梅津政景日記
 佐竹氏の出自と義宣
人名のむずかしさ
 侍の呼称
 百姓・町人の呼称
義宣の転封と石高
 政治の時代と転封
 義宣の石高
 義宣の御座次第と位階
下野国秋田領
 秋田領薬師寺の拝領
 秋田領薬師寺の郷廻り
 義宣の薬師寺
石垣のない久保田城
 常陸譜代の石垣普請
 政景の大御所拝謁
久保田城下の成立
 城下の発祥
 侍町の形成過程
 町人町の形成過程
久保田城下の堀川普請
 霧に包まれた堀川普請
 堀川と突切り普請
家格の形成過程
 秋田藩の家格制
 引渡と廻座
 一騎・駄輩・不肖など
当高制の形成
 秋田藩の当高制
 渋江内膳政光の秋田田法
 当高の形成過程
津軽境目の国境争論
 国境解決の動向
 八森境目の交渉
 比内境目の交渉とその結末
一国一城令の形骸化
 一城令の公布
 秋田領の一城令
 一城令の形骸化
中世の残滓
 はなと耳をそぐ刑罰
 二つの枡
 神栽神慮
 人の売買と質もの
義宣の兄弟
 弟、角館城代葦名義勝
 妹、大納言高倉永慶室自性院
 二弟、川中島領主岩城貞隆
 三弟、檜山城代多賀谷宣家
義宣をめぐる女  
 生母宝寿院と正室・後室
 悲劇の側室岩瀬御台
 秋田の女房衆
義宣の茶道
 師匠古田織部
 利休承伝
鷹野に暮れた義宣
 在国と鷹野
 鷹と鷹場
 鷹野の世界観
世子義継の勘当
 世子となった義継
 義継の廃嫡
 義継の行方と北家の始末
次の世子岩城義隆
 亀田藩主岩城義隆
 岩城家の関係
 多賀谷宣家の岩城名代
 多賀谷家の措置
参勤の本質
 参勤の原形
 義宣の参勤
 江戸詰と江戸屋敷
 参勤の本質
江戸へのぼる道
 山脈を越える二街道
 バイパス沼館海道
 義宣の参勤の道
 情報の道
 

将軍秀忠の好情
 好感の萌芽
 好情の醸成
 義宣の律儀
将軍最高の贈り物
 歴史のなかの鶴
 鶴は最高の贈り物
江戸のサロン数奇
 江戸の茶の湯サロン
 義宣の数奇屋と将軍御成り
 茶の湯サロンの社会的機能
堂々たる病気
 単身赴任の文化
 堂々たる病気
越後普請の明暗
 越後普請の背景
 がれもこない越後普請
 義宣の動静
家康の死と義宣
 敵とされた義宣
 死の床に招かれた義宣
 生きかえった家康
 本多正信の越後のさば
北国の大名三人衆
 家康がたばねた三人衆
 将軍秀忠と三人衆
福島正則の処分と義宣
 義宣の上洛
 処分発表の現場
 哀愁の結末
徳川和子入内賀使の旅
 北陸路を上る
 和子入内の京都
 帰途と海路
本多正純追放の筋書
 正純排除の背景
 最上領公収の上使正純
 正純の由利転封
百三段と秋田領引替え
 突然の引替え
 幕府の動向
 秋田領の引替え地
本多正順の末路
 由利転封の正純
 正純の末路
梅津政景の死
 政景の最後
 霊界に昇華

 あとがき 


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