キョーゲン・イン・リトアニア

 これまでの人生で狂言を鑑賞した機会はたった1回。高校の芸術鑑賞会という行事だった。たしか和泉元彌氏らによる狂言で「萩大名」「棒縛り」という演目だったと記憶している。2回目が何と外国、しかもリトアニアになるとは想像だにしてなかった。
 春の足音がやっと聞こえ始め、日没がだんだんと遅くなり始めた4月27日。リトアニア南西部の都市マリヤンポレの文化センターで開催された在リトアニア日本大使館主催の狂言公演に参加してきた。マリヤンポレはマリヤンポレ県の県庁所在地であり、リトアニアの5つの文化区分の1つであるスヴァルキヤ地方の中心都市として知られている。日本人では誰もが知らないであろうメゾソプラノ歌手のヴィオレータ・ウルマーナやバスケットボール選手のダリウス・ソンガイラの出身地でもある。また独特なリトアニア語の方言が存在することでも有名らしい。
 リトアニアでは全2回公演でということで第1回公演が前日の26日にリトアニアの首都ヴィリニュスで開催された。日本大使館主催イベントということで入場無料で観覧できた。何とも太っ腹である。杉原千畝記念館の館長さんがカウナスからマリヤンポレまで車で送迎してくれると友人から聞き、厚かましくも便乗させてもらった。余談だがリトアニアには山がないため、移動中に車窓から見える景色は見渡す限りだだっ広い平野がもっぱらである。カウナス市街地から1時間ほどかけてマリヤンポレ文化センターに午後5時頃到着。近年リフォームされたという新しい文化センターには日本国旗とリトアニア国旗が寄り添うように掲揚されていた。この会館で日本人によるパフォーマンスが行われるのは始めてということもあってか、ホールは約600人ものリトアニア人の観客で埋め尽くされていた。テレビ局からのカメラマンなど報道関係者の姿もちらほら見受けられた。観客の年齢層は40歳以上の方が多かったが、中には若者や子供の姿も。
 午後6時を過ぎた頃いよいよ公演会が開始。開口の挨拶に立ったのは駐リトアニア日本大使の白石和子氏。挨拶文をリトアニア語で読み上げた後、マリヤンポレ副市長の挨拶があり、いよいよ狂言が始まった。今回の狂言師は大蔵流茂山家に生まれ、若者や海外に向けても狂言の魅力を発信している茂山宗彦氏。しかし最初に舞台に出て来たのは和服を纏った謎の外国人男性とスーツを着た外国人女性。彼らはまず狂言を全く知らないリトアニアの人のためにイントロダクションとして説明を任せられているのだった。和服の男性はオンジェイというチェコ人だが正真正銘の狂言師で、彼が英語で説明をして、スーツの女性がリトアニア語への通訳を任せられているというわけだ。会場が大分温まったところで茂山宗彦氏が登場し、本日の演目「柿山伏」についてプロットを説明。狂言の独特な笑い方や泣き方など滑稽なセリフや動作に早くも会場は笑いが溢れていた。狂言「柿山伏」では茂山宗彦氏が主役であるシテを務め、オンジェイ氏が脇役のアドを務めた。演劇自体に通訳はなかったが、2人の演者の身振り手振りに会場はぐいぐい引き込まれていき、あっという間の公演となった。
 茂山氏は「世界中でジャイアントパンダより狂言師のほうが少ない」と冗談めかしておっしゃっていた。そんな中、ある意味「絶滅危惧種」の狂言師がチェコから生まれるというのはまさに縁は異なものまた味なものといった具合である。古い諺にウドが刺身のツマとなるといったそうだが、こちらはチェコ人が狂言師のアドとなったわけである。オンジェイ氏の日本語の声の張り方や立ち振る舞いの上手さといったら素人目にも驚きで、声だけ聞いたら日本人狂言師と全く区別ができないのではないかと感じられるほどである。
 最後に演者2人にリトアニアの伝統衣装を身につけたリトアニア人女性から花束のプレゼントがあり、スタンディングオベーションの中公演が終了した。 
 落語家の故・立川談志師匠が「落語は能や狂言のように保護され解説がつかないと分からない存在になってはいけない」「伝統を現代に」と生前におっしゃっていたそうだが、マリヤンポレで日本の狂言文化を現代の世に中に、しかも遠い異国の地で伝えようとする日本人の熱い情熱に出会えた夜だった。




マリヤンポレ文化センター












正面玄関に掲揚されている両国の国旗












オンジェイ氏と通訳のリトアニア人女性












オンジェイ氏と茂山宗彦氏。『柿山伏』のワンシーン

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●No.1 リトアニアの3.11
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