Vol.1047 21年1月23日 週刊あんばい一本勝負 No.1039

尊敬する人たちの死が続く

1月16日 去年の暮れからパソコンの調子が悪い。動作が遅くなって仕事に差し支えが出るほどで、プッツンと突然フリーズして、あとは知らんふりだ。もうほとんどお手上げで、パソコン修理やトラブルをレスキューする専門家に連絡。しかしいつも「駆けつけ救助」してくれるK氏も、今度ばかりは様子が違って苦戦している。「新しいウインドウズのバージョンを削除してみましょう」と提案され、そのとうりにすると、どうやらいつもの状態に戻ってくれた。

1月17日 半藤一利氏に続いて安野光雅さんの死去が報じられていた。「もう人が死んでも悲しむ年ではなくなった」のだが、なんだかやっぱり、いわく言いがたい寂しさが心に吹き寄せてくる。2002年だからもう20年前、NHKラジオ「日曜喫茶室」でご一緒させてもらった。安野さんは司会のはかま満緒のご意見番で、番組が終了後、「わざわざ秋田から来てくれたから」と夜遅くまで付き合ってくれた。包容力があり、好奇心に満ち、絶えず笑顔で、まったく偉ぶらない安野さんの大ファンになった。そうか94歳になられていたのか。ご冥福をお祈りします。

1月18日 本に書いてある価格表示は「本体○○円+税」といった消費税を抜いた金額で記すのが一般的だ。しかしこの4月から消費税込みの総額表示が「義務化」されることになる。うちでは30年前に出した本が当たり前のようにいまも売られている。これを全部「税込み総額表記を義務化」となれば大変な混乱と費用と労力を要することになる。財務省では「外から見て総額がわかればいい」という見解を示しているが、当分は「貼り込みシール」でカバーしていくしか手は思い浮かばない。

1月19日 凄まじい吹雪。これだけの暴風雪を短期間に何度も経験すると、いやでも「地球の温暖化」に思いをはせてしまう。子供のころ、豪雪地帯だったので大雪は当たり前、でも冬や雪を怖いと思ったことはなかった。年々自然が狂いはじめている。その端緒は自分たちが生み出したのだから復讐されているようなもの。何とも後味が悪い。

1月20日 考古学者の佐原真の本を読んでいたら「イノシシが家畜化されブタになったのは弥生時代」と書かれていた。その根拠が面白い。縄文時代にはなかった歯周病が弥生のイノシシの骨から発見されたからだ。面白いなあと思って知人に話すと、古代の城柵・秋田城の水洗トイレはどうなるの? と反論されてしまった。この古代水洗トイレで見つかった寄生虫から、当時の日本人が食べなかったブタを常食する人(渤海使)の往来が確認された、というのが秋田城の売りだ。この説明がしにくくなるという。丁寧に佐原の本を読むと、「弥生・奈良以降16,17世紀までブタの記述は消える」と書かれていた。日本人は古代にブタを家畜にしたが、どうやら自分たちでは食べなかった」ようなのだ。友人にはこの説明で納得してもらった。ニワトリも早くから家畜化したが、これもほとんど食べなかったというから不思議だ。

1月21日 自粛なんてへっちゃらと公言してきたのだが、やっぱりどこか閉塞感が少しずつ鬱積している。突然、河辺にある温泉「ユフォーレ」で温泉に入ってきた。このユフォーレにはスポーツジム施設もあり、プールや休息所、レストランもある。ここの年間パスを持っているのだがコロナ禍でずっと行けなかった。久しぶりに会員証を引っ張り出したら、1月12日で期限切れ。年間パスは1万8千円くらい。これだけ気持ちいいのなら今年も更新しよう。温泉で身体を温めて食堂で天ざる中華を食べ、帰り際、トレーニングルームに寄ると常連のSシェフが一心不乱に自転車をこいでいた。

1月22日 ちょっと不思議な本を読んだ。ホームコメディ風の家族小説だ。藤野千夜著『じい散歩』(双葉社)は夫婦合わせて180歳になる仲がいいのか悪いのかわからない夫婦と、3人の全員独身の中年の子どもたちを描いた小説だ。さしたる事件は起きず、それぞれの特異なキャラクターだけで成り立っている。じいこと新平は散歩が趣味で健啖家。妻は90歳の夫の浮気をしつこく疑う健忘症。長男は高校中退で引きこもり。次男はしっかり者で自称・長女。末っ子は事業に失敗して借金まみれ。もうこれだけでハチャメチャ家族コメディは出来上がったも同然だが、なぜか「じい」と「次男」以外はうまくキャラクターが立ち上がっていないのだ。そうこうするうち不完全燃焼のまま物語は終わってしまう。何か起きそう……と期待して読み進むが、それ以上には進展はしない。キャラクターの駒がうまく動いてくれない。ヘンな小説だなあ、と思いながら最後まで読んだのだが後半、気が付いた。これは著者のリアルな現実を描いたノンフィクションなのだ。著者は「自称・長女」こと次男なのだろう。なるほど、そう考えると無理やり面白くする「技術」を使うと全体がウソ臭くなる。現実にちょっとずつウソを混ぜ入れていくのが小説家のやり口だが、これはほとんど著者の身の回りで起きた現実で、ウソをまじえずディフォルメしただけなのだ。そう考えると面白い家族像がくっきりと像を結ぶ。
(あ)

No.1039

骨が語る日本人の歴史
(ちくま新書)
片山一道

 発掘された古人骨を調べ、当時の人の様子を明らかにする学問を「骨考古学」というのだそうだ。著者はその第一人者である。縄文人の耳垢は水分で湿っているが、弥生人の耳垢は渇いて乾燥している……といった類の旧来の歴史学に残る伝聞を、本書ではさすがに科学的な視点からきっちりと検証している。真面目な面白本という感じだ。その時代時代に生きた「人間の生身の姿」を復元し、そこから歴史をひも解いていく刺激的な論考に興奮を禁じ得ない。日本は東西南北に海岸線が伸び、山岳が深く交差する独特の地理と気候がある。日本人の身体はそんな時代性と地域性に彩られ、輻輳した模様を描きながら育まれてきた。そんな中でも現代日本人は身体的特徴に限ってみれば歴史の中では突飛すぎる存在なのだという。背が高く、顔が小さく、顎が細く、足が長くて大きい。こんな人間は長い日本の歴史の中でも存在したことはない。太平洋戦争後の70年の間に登場した新人種といっていいのだそうだ。逆に江戸時代は、現在の中学生程度(平均158p)の身長しかなく、大顔で大頭、長頭、すんづまりの丸顔。全歴史の中でも最も小さな日本人なのだそうだ。本書は縄文と弥生に多くのページが割かれている。旧来の歴史学に根強く残る誤謬や国民作家・司馬遼太郎の史観にも疑問を呈している。

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