Vol.1073 21年7月24日 週刊あんばい一本勝負 No.1065

四連休が始まった!

7月17日 今日は「美郷ディー」。美郷町にある中世の山城・本堂城、六郷城、元本堂城と、町の東西を走る3つの城跡を訪ねた。さらにその途中にある「隠れキリシタン」の洞窟も探検し、帰りは雄物川造山に立ち寄り、古代の官衙・雄勝城の可能性があるという場所へ。六郷城も造山も今は田んぼになって往時の面影はない。最後に金沢柵の隣にある陣館遺跡を見にいったが、「土地の所有者の許可を得なければならないので立ち入りできません」と記念館の方にいわれてしまった。国指定史跡が個人の農家所有なのだ。

7月18日 連日の猛暑。昨日に引き続き今日は県北・檜山地区を探訪。安東氏の居城のあった場所だが国指定遺跡が4つもある。檜山城址、大館跡、茶臼館跡、国清寺跡のうち檜山と大館は取材済み。同じ地区にある国清寺と茶臼舘は場所を見つけることができないでいた。どちらも山中や田んぼの中にある。今回どうにか発見、探訪できた。何度も地元の人や観光案内所、郵便配達の人に訊きながらたどり着いたのだが、地図を読めないというのは決定的だ。昨日の美郷町でも何時間、町をうろうろしたことか。地元の人たちにとっても500年以上前の遺構を突然訊かれても観光名所でもあるまいし、すぐに答えられるわけはないのだ。自力で見つけるしかないのだ。

7月19日 1週間で3回カメムシと遭遇した。1度目は寝室。どこから入ってきたのだろう。2度目は家の玄関。あの異臭で気が付いた。3度目は車中。能代・檜山の山中で車のドアを開けた途端飛び込んできた。なるほど山城取材が原因のようだ。アジアの国々ではこのカメムシを好んで食べる人たちも少なくないという。カメムシという昆虫は存在しない。カメムシ科の昆虫の総称で標準和名ではないのだそうだ。私の言うのは俗称ヘッピリムシこと、クサギカメムシのことだ。

7月20日 新聞を読むとき、まっさきに死亡記事に目が行くようになった。60歳を超えたあたりから新聞の死亡記事をこまめにチェックするようになった。自分の年齢より若い人の死にはダメージを受けるようにもなった。「新聞の死亡記事は我々よりも半時間前に、その縁側を去った人たちの短い人生の要約だ」という文章があった。「ああ、良く見えた彼の一生も、要約すると何と短いものだろうか。もし当人があの死亡欄をみたとしたら、ガッカリしない人はまずいないだろう」と続く。「〈もっとあった。もっとあった〉彼は社会に向かって、そう抗議したいだろう。しかし彼の人生は、結局、このように短く散文的なのに過ぎない」。実はこれは作家・遠藤周作の本に書いてあった言葉だ。

7月21日 最近TVなどで「占い」をもてはやす番組が増えている気がする。うさん臭い占い師が跋扈する時代は、決まって閉塞感に苛まれ、長いトンネルの出口が見えない時だ。ある人が「占い=ウソで、占い師=詐欺師です。どんな良心的な占い師であっても、不安を煽ることで何かに頼りたくなる「心のスキマ」に入り込んで相手からお金を奪う行為に変わりはない」とブログに書いていた。まったく同感だ。「占いは統計だ、という考えもありますが、そうであれば最初から統計学を学んでください。よくわからない占い師に(お金)を注ぎ込む必要はありません」とも続ける。わずかの隙間から入り込んだ細菌が、細胞をジワジワと破壊するまでにそう時間はかからない。たかが占い、ではない。

7月22日 猛暑のため日中の散歩は無理。薄暮になりかけたところを見計らって出かけるのだが、夕方からは風が出てきて昼の熱風を吹き飛ばし体感温度はずいぶん違う。今日から4連休だ。自分のやりかけの仕事はいろいろ残っているが、やる気が起きない。暑さのせいにすればみんな許してくれる、という甘えもある。やらなくても誰も困らない仕事だから、別にやらなくていい。でも貧乏性なので、心苦しい思いもある。困ったものだ。

7月23日 お休み中、録画していたNHK「グレートレース」を数本まとめてみた。1回2時間の番組なので映画を観るのと同じくらいのエネルギーをつかう。世界を舞台にした過酷なサバイバルレースが、昨日見たのは『超高速サバイバル沖縄200キロ』。沖縄本土で繰り広げられる精鋭の日本人ランナーたちのバトルがなかなか面白かった。さらにグレートトラバースの田中陽希の『大冒険パタゴニア』も見どころ満載。田中は植村直己と同じ明治大学出身。エンドロールには撮影者の名前に平出和也の名前があった。あの過酷なパタゴニアのレースに密着して撮影できるカメラマンというのは世界でも限られている。世界のトップクライマーがカメラを回しているのだから、さすがだ。
(あ)

No.1065

アイヌ学入門
(講談社現代新書)
瀬川拓郎

 秋田駒ケ岳は消え残った雪が馬の形をしているので「駒」という名前が付いた、というのは定説だ。ところが池内紀さんの本で「アイヌ語のコマケヌプリ(塊の山)が語源」という説を紹介していた。秋田の駒ケ岳には山頂はない。山塊を総称しての名称だ。なるほど、これは説得力がある。もうひとつ驚いたのは、あるアイヌ語研究者の論文だが、角館を流れる「檜木内川」もアイヌ語だという。アイヌ語で小石を意味する「ピ」から派生した言葉だそうだ。植生による純粋な「檜」から派生した地名もあるのだが、基本的に秋田などに広がる「比内」や「檜木内」の「ひ」は、アイヌ語語源が多いのだそうだ。中世の武将「檜山安東」の「檜山」ももともと秋田にあった地名ではなく青森「十三湊」周辺の地名だそうだ。古墳時代、東北地方にはたくさんのアイヌが住んでいた。北海道の狩猟民族の人たち(アイヌ)が、本州で大流行している「鉄製品」を求めて、徐々に南下してきたため、だそうだ。そんなこんなで本書を読んで、東北地方とアイヌの関係を勉強中だ。知らないことを知れば知るほど脳は若返っていく……ような気がする。

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