Vol.1091 21年11月27日 週刊あんばい一本勝負 No.1083

「低所得 ものが安くて どこ悪い」

11月20日 にわかに昔の「友人」たちからの音信が多くなった。30年以上前の著者だったり、学生時代の飲み仲間だったり、もう顔すら思い出せないような遠縁の人、湯沢時代(小中高)の子どものころの知り合い……といった具合だ。急に一体どうなっているの? コロナ禍が過ぎ、一挙にいろんなものが「ほどけ」て「ゆるく」なりはじめたのか。それとも単なる年齢のせい? 50年近く、同じ場所で同じ仕事を続けている。そのため他者には容易に「懐旧の念」を呼び起こす「目印」になっているのかも。

11月21日 今日は県北の山・房住山(409m)。10月10日の秣岳以来の山行なので、体力が落ちていないか心配だった。寒くも暑くもない快晴の中、フカフカの落ち葉を踏みしめながらの山歩きは、楽しかった。下山して風呂に入り、家に帰り着いたのは3時ころ。中途半端な時間な時間だ。このところ「酒を呑みたい」という欲求がきれいに消えてしまった。夕飯前に試しにハイボールを作って呑んでみた。喉が渇いていたせいもあったのだろう、実に美味だった。お酒はやっぱりうまい。酒もやはり肉体労働をしないと身体にうまくしみこんでくれないのだろう。

11月22日 椎名誠さんの新刊『われは歌えどもやぶれかぶれ』(集英社文庫)は面白かった。なにより書名が面白い。室生犀星の小説のタイトルからとったもので、前立腺を患った室生の夜中の苦闘(おしっこがでない)を描いたものだそうだ。内容も自身の病気に関するものが多い。痛風やピロリ菌、うつ症状に不眠障害、目の衰えから来る緑内障の疑いとコロナ禍の入院、そして熱中症まで、果てしない病魔との戦いと通院生活が綴られている。椎名さんといえば頑強な肉体派で冒険作家の代名詞のような人だが、病魔のオンパレードで衝撃を受けてしまった。プロの物書きなので悲惨で悲痛な病気との戦いも、お笑いの粉にまぶして、クスクス笑いながら読めるのはさすがだ。あの椎名さんでも年には勝てないのだ。

11月23日 今日は湯沢の雄長子内岳に登り、午後からは増田の佐々木農園でリンゴ狩りの予定だった。しかし昨晩の激しい雨で中止となった。中止が決まったのは昨夜9時過ぎで、リーダーのSシェフは雨とわかっていてもギリギリまで中止を決めなかった。これはリンゴ狩りのキャンセルが難しいこともあったが、天気予報の「雨」という予報に関して、そこにあまり信頼を寄せていなかったためだ。自分自身で調べて、かなり具体的で科学的な根拠から、雨の予報でも局地的に晴れたり、時間的に大きな幅があったり、微々たる雨量も一律に「雨」と断定されるケースが多いことを彼は経験上熟知している。これまでの雨予想と山行の経験値から割り出した知恵があり。これがけっこう当たるのだ。「雨予報だが実は晴れている時間が長い」という予測もSシェフのなかにはあったのだろう。一夜明け、朝から快晴。時折雨が混じるがSシェフの予測は外れていなかった

11月24日 散歩中にクラっときて、瞬間、フワリと意識が飛んだ。すぐに元に戻ったが、「そうか、こんなふうに意識がなくなり、そのままあの世に行くのか」と汗が引いた。家に帰ってカミさんに、「どうせ死ぬのなら、ふっと意識が途切れ、苦しまずに消えていくのがいい」としゃべったら、敵は負けずに「ピンピンコロリが理想形だ」という。いやいや、そんな都合よくいくものか。朝ごはんの時、夫婦とも食べものがつかえて咳き込む逆流性食道炎のような症状を呈し、しばし箸を止める。現実的に死ぬとすればたぶんこの「誤嚥」が一番可能性が高い。というのが私の結論だ。

11月25日 少年時代に観た映画でいまも強く印象に残っているのは「旗本退屈男」。市川歌右衛門の、あの額に三日月の傷があるやつだ。でも「旗本」がどんな存在で、「なぜ退屈なのか」、意味は分からなかった。先日、寝る前に「そうか、江戸の太平の世で戦のない身分だから、退屈だったのか」と気が付いた。60年ぶりというのが遅すぎだが。「法皇」という言葉も「出家した上皇」のことだと最近知ったばかり。まな板で刻んだネギをさっとボウルに移す小さな下敷きのような調理器を「スケッパー」。舞台や映画で製作総指揮を執る人のことを「ショーランナー」というのも初めて知った。工事現場に書いてある「凡事徹底」という「気の利いた」四文字熟語も初めだし、「処暑」(徐々に風が冷たくなる)や「図利」(とばく開帳)も、実は最近辞書を調べて分かったこと。なんだか恥ずかしい。

11月26日 海外のサンパウロや香港、パリなどに行った際、意識的にスターバックスに入った。日本とコーヒーの値段がどのくらい違うかの目安のためだ。どこも日本と同じかそれ以上だった。サンパウロはコーヒーの国だ。小さなカップで飲む濃いコーヒーは50円くらいか。それがスターバックスでわざわざ400円近い薄いコーヒーを飲むのか不思議だったが、店内は混んでいた。日本の初任給はスイスの3分の一、と中藤玲『安いニッポン―価格が示す停滞』に書いていた。インバウンドで京都に押し寄せる中国人を優越感でみていたが、あれは「単に日本の物価が安いから」といわれると心中穏やかざるものがある。もう年収1400万円は世界では低所得なのだそうだ。そして100円ショップが存在する限り日本の経済成長はないという。「低所得、モノが安くて、どこ悪い」(自作)と詠みたくもなるが、世界で生きていくには、デフレは脱却しないといけない壁なのは間違いないようだ。
(あ)

No.1083

食と酒 吉村昭の流儀
(小学館文庫)
谷口桂子

 正直なところ昭和の文士のグルメ本はもう散々読んだので食傷気味、池波正太郎で十分満腹という気分だ。でも本書はそういった文士たちの得意げなグルメ本とはまるで違う種類のものだ。とにかく安くてうまいものを死ぬまで楽しく食べたい、という鬼気迫る作家の思いがこちらに伝わってくるのだ。生きて食べて書いた作家の「きまじめな」食遍歴の物語といったらいいのだろうか。日本人の知らざる歴史と庶民の生活を丁寧な取材のもとに書き続けたこの作家の唯一の楽しみが「食べること、呑むこと」だった。だから食と酒について言及すると「吉村昭の文学入門書になっている(出久根達郎)」ところがミソなのである。膨大な著作(随筆、小説、対談)の中から「食と酒」の部分を抜き出し、読み込み、解読する。さらに妻である津村節子の本や証言も裏付けとして何度も登場させ、このノンフィクションに説得力を持たせている。吉村の飲食哲学を端的に表すものとして、高級すし店で無感動な表情で寿司をつまむ少年をみて、「不幸な少年だ。薄気味悪くさえある」と弾劾するシーンがある。また、吉村家にはお手伝いさんが常に2名ほどいたのだが秋田出身者が多く、彼女らにキリタンポの作り方を訊いても誰も知らなかった、という場面もあった。昭和40年代あたりでは、キリタンポといっても秋田県北地方の地域限定料理に過ぎなかったのである。

このページの初めに戻る↑


backnumber
●vol.1087 10月30日号  ●vol.1088 11月6日号  ●vol.1089 11月13日号  ●vol.1090 11月20日号 
上記以前の号はアドレス欄のURLの数字部分を直接ご変更下さい。

Topへ