Vol.1116 22年5月21日 | 週刊あんばい一本勝負 No.1108 |
ユニクロ・中華・お山かけ | |
5月14日 ユニクロのレジはセルフだ。クレジットカードを使うセルフ決済は初めてなのでちょっと戸惑った。すぐに若い男性社員がやってきて、脇でうるさく介入してきた。いや自分で出来ますから、と断ったのだが、親切心を拒絶されたのか店員はムッとしたようだ。支払い終わって商品を袋に入れていると、今度は上司らしき女性社員がやってきた。「お客様、袋代はお支払いですか?」とかなりきつい表情だ。もちろん払っている。レシートを見せると、女性店員はポッと赤くなり低頭した。たぶん邪険にした男の店員が意趣返しで「あのジジィ、たぶん袋代払ってませんよ」と上司に告げ口したのだろう。実に気分が悪いが、邪険にしたこちらも悪いか。 5月15日 ひとりで夕食を食べるとき、昔はこれ幸いと外にのみに出かけた。いまはそんな時間あっても近くのスーパーで食材を買い、チョコチョコと自分で好きな調理をして、事務所内で食る。たまには自分では調理の難しい(面倒な)中華料理が無性に食べたくなるが、家で一人中華というのは無理。最近、駅前デパ地下惣菜売り場で「中華6点セット」980円が売られているのを発見。青椒・エビチリ・マーボー・八宝菜・回鍋肉・酢豚の定番中華が弁当箱にきれいに仕分けられて少量ずつ詰め込まれている。これでようやく長年の懸案だった中華問題は解決だ。 5月16日 久しぶりに男鹿の真山、本山、毛無山の3山を縦走してきた。昔から男鹿ではこの3山縦走を「お山かけ」といい、縦走をして初めて一人前の大人として認めれたという。縦走には車2台が必要だ。まずは五社堂のある長楽寺の登山口に車1台を置き、そこから30分近くかけて真山神社にもどり、そこから登り始める。途中でオオサクラソウの鮮やかな色合いとかわいらしさに感動しながら長楽寺まで6時間余りかけて降りてきた。 5月17日 春の山歩きは楽しい。きれいな花々が咲き乱れ、ブナの若葉の瑞々しい薄緑色に心身とも染まってしまう。敵もいる。山菜だ。この時期になると仲間たちの多くは山歩きよりも山菜に全身全霊をかけている。先日、山ですれ違ったグループ登山中の高齢女性に「この山菜、食べられますか?」と唐突に訊かれた。小生、山菜にはあいにくまったく興味ない。正直に「知りません」とこたえたら、件の女性、グループに戻って「あのトーサン、意地悪で教えてくれないのよ」と大声で言い放った。ちなみに食べる山菜は嫌いではない。自分で採らないだけだ。わがモモヒキーズには山菜に関してちょっと変わったルールが適用されている。いわゆるマタギ勘定というものだ。採る人も採らない人も平等に下山後、採った山菜を人数分に分け合うのだ。 5月18日 「高齢になったらやめるべきこと」という雑誌の記事を読むと、その過激さにちょっとたじろいでしまった。「人間ドッグに行くな」からはじまって「親の法事はやらない」「一生ものは捨てる」「石鹸で身体を洗わない(シャンプーも)」「服はたたまず引き出しに」「お墓を手放し仏壇処分」と飛ばしまくる。「炊飯器を手放す」「運動や買い物、健診をやめる」「水を買わない」「無農薬や無添加をやめる」「ダイエット禁止、過度な運動はダメ」「節目のイベントは忘れる」「なんとなく続けている習慣をやめ身辺整理する」……と立て板に水。「ダメ夫の調教は諦める」というのもあったから、記事の書き手は100パーセント女性だ。ちょっとイスラム原理主義者風の「過剰さ」も感じてしまうが、まあ凡庸で当たり障りのない説教よりはずっと気持ちいい。 5月19日 「健康寿命」というものがある。男が72歳で女が75歳くらいだ。その数字に該当すると聞いただけで、なんだかすっかり弱気になってしまった。日本人の平均寿命が50歳を超えたのは1947年(昭和22)。このころ男女の平均寿命の差は3歳ほどだが、今では6歳にまで広がっている。なぜ女性の平均寿命は延びて男性はダメなのか。その理由を「男たちの多くは定期健診を受けるが、女はそれに比して健診を受ける回数が少ないから」という「健康診断有害論」を唱える人がいる。現役医師の和田秀樹氏だ。健診の結果、数値に異常があると薬を服用し身体の調子を崩す人、薬依存によって残っている能力を失ってしまう人、寿命を縮めてしまう人たちが少なからずいるのだそうだ。 5月20日 歩くのが趣味のようなもので毎日5キロは歩いている。夢は「四国お遍路」の旅、というのはウソだが、行きたいという気持ちと流行に乗るのはイヤ、と相反する気持ちが共存中である。昔から四国遍路ものの本は好んで読んでいる。そこにちょっと異色の、いやかなり過激でショッキングな、決定版のような本が最近出た。上原善広『四国辺土』(角川書店)だ。サブタイトルは「幻の草遍路と路地巡礼」。あの「路地」の上原の本である。遍路とは「物乞いをする路」でもあったのだ。こんな紀行文の形(寄り道のほうが本題の遍路紀行より面白い)があるとは、まさに目からウロコ。もちろん著者のテーマは路地(被差別民)で一貫している。そもそも書名の「辺土」とは遍路で生活する者の意で、草遍路、乞食遍路、職業遍路、生涯遍路……と名前はそれぞれだが、いわばプロの遍路に活路を見出した「乞食」の、歴史観に裏打ちされたルポルタージュだった。 (あ)
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