Vol.1240 2024年10月5日 週刊あんばい一本勝負 No.1232

いろいろ書きたいことはあるのだが……

9月28日 5時起きで栗駒山。いつもの須川コースしか頭になくて登り2時間、下り1時間半ほど、と心積もりで出発したのだが、昭和湖を通る通常ルートは事故により登山禁止。産沼コースを登ることになり、なんと山頂まで3時間20分。下山も同じくらいの時間がかかって下りてきた。行き帰りもドライバーを務めてくれたFさんにまずは感謝。家に帰ってからFさんを招いて事務所2階で「すき焼きご苦労さん会」。山はきついけどやっぱり楽しい。

9月29日 10時間以上、熟睡した。身体のハリはないが、腰がダル重い。栗駒の下りで、なにかと話しかけてくる高齢登山者がいた。おしゃべ好きのようで、初対面のわれわれメンバーの欠点あげつらいだし、説教まで始まった。「つべこべ言わずに、さっさと前に行け!」と声を荒げてしまった。たぶんいろんなパーティにちょっかいを出して嫌われるタイプの男なのだろう。面と向かって人を痛罵したのは何年ぶりだろうか。なんだか爽快な気分だ。

9月30日 山行の疲れが残っているが、県立博物館で28日から開催中の企画展「稲穂の詩〜秋田と米づくり〜」を観てきた。無料展示なので過度な期待はしていなかったが、コメに関する歴史史料や先覚者の業績、昔の農具展示や写真資料など、「秋田の米づくりの歩みとくらし」を俯瞰するには、なかなかの好企画だ。江戸後期の全国の米を格付けした「諸国産米格付」では294銘柄中、最悪の米と2番目のひどい米がともに秋田米なのには笑ってしまった。このころから「秋田の米は、臭くて劣等」という評価が定まっていったようだ。大正期に入るまでこの評価は大きく変わらなかったのが歴史史料でよくわかった。

10月1日 パソコンの調子が悪い。毎朝起ち上げるたびに不具合が生じて、精神衛生的には最悪の状態が続いている。8年ほど使い倒している機種なので買い替えの時期なのは間違いないが、なんとなくズルズルその時期を逸している。お金の問題ではない。新しいパソコンに向き合う「面倒さ」にたじろいでいる、というのが正直なところだ。

10月2日 内館牧子の新刊『迷惑な終活』(講談社)を読了。相変わらず面白い。今回は「やり残したことにケリをつける終活」がテーマだ。舞台は新潟、年金暮らしの高齢者が高校時代の純愛の相手に会いに行く物語だ。内館の高齢者シリーズは「終わった人」から始まり「すぐ死ぬんだから」「今度生れたら」「老害の人」と来て、今回が5冊目だ。はずれはない。みんな面白い。それにしてもシリーズ累計発行部数が120万部というのは驚異的だ。いまの出版界では間違いなくもっとも本の売れる作家だ。いい人が悪い人になり、悪い人もずっと悪い人ではない。だから登場人物の誰に感情移入しても、そう落ち込むことはない。老後やシニアや定年、終活といった「高齢者世界」の今を軽快でアップテンポな会話体で切り取っていくこのシリーズを、もうしばらくは読みたい。

10月3日 昨夜、晩酌でノンアル・デビュー。ノンアル・ビールは箱買いしたから、いやでも呑み続けなければならない。突然、健康に目覚めたわけでもない。晩酌時の酒が「楽しみ」でなくなったからだ。何を呑んでも「うまい」と感じなくなった。フランス人のワイン離れや日本の若者のアルコール離れはニュースで知っている。30年ほど前の禁煙運動と似たような現象が、いま酒の世界にも起きているのかもしれない。もう10年もたてば、たばこと同じことが酒の世界にも起きる可能性は低くない。

10月4日 いろいろ書きたいことはある。のだが考えが未成熟のままで、うまくまとまらない。読んだ本のこと、新聞記事で気になったニュース、ネットでバズっている事件や話題に対する反論、散歩で出あった意外な光景、ラジオで聞いた意外な事実……どれもこれも、そば打ちの最後のひとコネのようにツルンと玉が丸まらない。これを無理に文章化してしまうと浅薄で一過性の、地に足のついていない青臭い「傷跡」になってしまう。なんでもない日常だが、見えないハードルを日々乗り越えながら生きている。 
(あ)

No.1231

アンネの日記
(文春文庫)
アンネ・フランク 深町眞理子訳
 10日間、寝る前の読書はずっと本書だった。増補改訂版で深町眞理子さんの訳が素人目にも素晴らしいのがわかった。名作と言われる作品だが、ナチス占領下の環境で日記を書き続けたユダヤ人少女の「夢と悩み」に、自分の生きている世界と接点がなかったから、食指は動かなかった。それが、やはりイスラエルのガザ侵攻が大きいのだろう、ユダヤ人って何なのだろうと、本に向かうモチベーションになった。アンネはドイツ系ユダヤ人。舞台は移住したオランダ・アムステルダムだ。けっきょくそこの隠れ家はゲシュタポに発見され、収容所送りになる。アンネの死因は「チフス」で、隠れ家には総勢8人が住んでいた。アンネの家族ともう一家族、それに老人がひとりだ。8人の中で生き残ったのはアンネの父親のみ。意外だったのは日記にはナチや政治に関する記述が少なく、もっぱら同居している17歳の男の子への切実な恋心に多くのページが割かれていたことだ。そういえばフランクリンの『夜と霧』にもほとんど「ユダヤ」という言葉が出てこなくて戸惑ったなあ。それにしてもアンネの観察眼や文章力、社会や家族との距離の置き方は、とても少女とは思えない。これがこの本を世界のベストセラーにした理由なのだろう。ユダヤ人とは何か、はわからなかったが、日記好きとしては、「巻を措く能わず」の面白さだった。

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