Vol.1285 2025年8月15日 | ![]() |
資料本が面白い! | |
8月9日 雨のせいなのか昨夜は冷房不要。仕事場の窓を開け、冷房なしの1日が始まった。夜の読書は、とんでもないものにつかまって苦戦中。トーマス・マン『魔の山』(岩波文庫上下)を読みだしてしまった。この本だけで軽く1か月はかかってしまうかもしれない。途中で放り出したくないのだが、今ようやく上巻の半分まで読み進めた。といっても主人公がサナトリウムに入ってから、まだ2週間ほどしかたっていない。先が思いやられるが、ドストエフスキーのように難しい名前の登場人物が多くないのが救いだ。
8月10日 今日更新されたHPトップ写真は事務所の応接室だ。ここにソファセットがあったのだが、布張替えのため外に持ち出され、だから空っぽ。こんな光景は珍しい(今は元通りソファが鎮座している)。奥に見える「絵」はもう4半世紀変わらず、そのままだ。ということは「飽きない、好きな絵」ということなのだが黒田征太郎さんのリトグラフである。青森での個展を観に行き当時15万円ほどで買ったもの。額装は廃校になった小学校の木材を再利用したユニークな手作りだったが、「額装は売れない」と断られたので、似たような木材を調達し、作ったオリジナルである。 8月11日 我が家に突然、現役の大臣や日銀総裁がふらりと遊びに来たら……と想像するだけで楽しいのだが、昭和9年9月、これは男鹿の小さな集落で実際に起きた「事件」。訪れたのは時の日銀総裁・渋沢敬三、後に農商大臣になる石黒忠篤農林次官、そして高名な民俗研究者ら一行8人。男鹿の開墾小屋で百姓をする吉田三郎の、その営農や生活に興味を持ち、ただそれだけの目的で、吉田の山中の自宅を訪ねてきたのだ。もちろん集落は上や下への大騒動だ。この翌年、渋沢の主催する民俗学博物館「アチック・ミュージアム」から、吉田は立て続けに名著の誉れ高い『男鹿寒風山麓農民手記』『男鹿寒風山麓農民日録』を出版する。渋沢敬三とは、あの千円札の渋沢栄一の孫であり子爵だ。吉田はその後、満州事変の年に渋沢に招かれ、アチック・ミュージアムの管理人兼農業指導のような立場で東京保谷にある渋沢邸に移り住み、終戦直前までそこで暮らした。戦後は男鹿に帰り、そこで農村改革のための運動や、民俗、民具の研究に従事し、昭和54年、73歳で没している。そのへんは半自叙伝『もの言う百姓』(昭和38年刊・慶友社)に詳しい。生まれて初めて大臣やら日銀総裁といった「偉人」を目の当たりにした当時の男鹿の人たちの驚きは想像に余りある。 8月12日 「読書」といっても、夜、寝床で好きな作家や、興味あるテーマの本を読む、純粋に趣味的なものと、原稿を書くためや仕事の参考のため、いやでも読まなければならない読書の、2種類がある。仕事上読まなければならない本が意外や面白くてドはまりしてしまう、というケースが増えてしまった。ジャンルから言ってもまるで興味のない学術的、専門的な本が多いのだが、読みだすと面白くてやめられなくなる。特に理系の本が面白い。食わず嫌いで敬して遠ざけていたジャンルなのだが、若いころからもう少しこうした本も読んでおけばよかったなあ、と今悔やんでも遅いか。 8月13日 お盆休み中、今年は明確に「やること」がある。原稿書きなのだが、これがまったくはかどらない。原稿料もない、締め切りもない、趣味的「仕事」なので、どこかに甘えがある。やはり原稿料や締め切りというシバリが仕事には必要だ。とはいっても「やらねばならない仕事」だ。自分を鼓舞して、他のことをなげうって、これを仕上げなければ次のステップに進めない。そんな気合だけは十分にあるのだが、パソコンに向き合うと、まあ明日でも遅くない……と、とたんに投げやりになってしまう。毎日一歩一歩、牛歩のように前に進むしかない。憂鬱ではあるが、これが老後のかすかな希望でもある。一行でもいいから、よし、今日も書くぞ! 8月14日 中古屋さんで、衝動にアイパッドを買った。スマホを持っていないので、外に出た時に使える用に買ったもの。書を捨てて街に出よう、というスローガンはいまも魅力的だが、書よりも魅力的な「外」は、そうたやすくは見つからない。映画も音楽も「書の一部」だ。この年になってグルメも旅行も趣味もない。アイパッドが「書を捨てて街に出る」きっかけになってくれるのが望みだ。 8月15日 60年代に市街にやたらと公園がつくられ始めたのは「庭付きの一軒家」が減ったため、と考現学の近和次郎が書いていた。お金を出して景色を買いに行く旅行が流行してくるのと同時期だという。タダだと思っていた自然や景色は実は有料だったのだ。大リーグの試合をテレビで見ていると、観客にかなりの日本人観光客らしき人たちがいる。あれはわざわざ日本から観光ツアーで現地を訪れた人たちなのだろうか。現地の日系人が日の丸の旗のようなものを持って応援するというのは考えられない。今和次郎なら、この現象を、どう分析するのだろうか。日本の若ものは、軽々とアメリカまで野球を観に行く。金も時間もゆとりもある特別な人種だ、というわけでもなさそうだ。彼らは日本でどんな仕事をし、どのくらいの収入があり、なぜそんなにも大リーグ(大谷)が好きなのか。将来にどんな希望を持っている若者たちなのか、ずっと知りたいと思っている。 (あ)
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