Vol.793 16年2月13日 | 週刊あんばい一本勝負 No.785 |
世間は知らないことばかり | |
2月6日 芝居を観ないようになってからしばらくたつ。耳がよくないのか役者のセリフが早くて聞き取れない。その反動なのか、場面が動かない舞台のような密室劇ふうの映画が好きだ。代表的なものは『キサラギ』。死んだアイドルをめぐる密室推理劇映画だ。洋画でも電話ボックスで展開する映画があった。昨夜観た『明烏』も面白かった。ワンスチエーションで物語は進行する。落語の「芝浜」の内容を品川の場末のホストクラブの控室に置き換えた物語だ。カメラは据えっぱなしで映画の定石は無視。台詞が乱射され、やりすぎの演技が逆にリアル。結末は最初からわかっているのに意外な展開に目が離せない。ストーリーは「芝浜」なのに題名は「明烏」というのも粋といえば粋な配慮だ。感動的な舞台を100円(レンタル料)で観ることができた。 2月7日 天気は期待していなかったのに青空が広がった。秋田市近郊にある大滝山のスノートレッキング。スノーシューを履いて青空の下の雪山を歩くだけで無上の幸せだ。日曜日に山の予定が入っていると確実に一週間の時間の流れが違う。緊張感が生まれ、目標ができ、いい区切りができる。一週間にはいろんなことがある。小さな事件も事故もあれば社会を揺るがす世間の動きもある。それを日曜日の山歩きできれいにリセットする。土曜日の過ごし方も変わる。週日やり残した仕事を土曜日に片付けて日曜は山遊びに専念しようという意識が働く。週の中にアクセントがある、という生活は大切だ。 2月8日 先週(31日)、猛烈な吐き気。食あたりだと思うのだが、1週間過ぎた今も「おなら」がとまらない。おならと食あたりは関係あるのだろうか。おならは嘔吐の翌日からずっと続いている。特に「歩いている」ときにひどい。散歩も山歩きもプッププップとメンド臭いことおびただしい。いったいどうなっているのか。今週は新刊が2本できてくる。おならをしている場合ではない。 2月9日 新刊ができてきた。アルバイトのM君まで緊急出社してくれる。そんな状況なのに小保方晴子著『あの日』(講談社)を読みふけってしまった。内容がどうしても気になったわけではない。なんだか「紙の本の力」をこの本で再認識したかった、のだ。この本はある意味「ネットや電子書籍では不可能」な、出版の可能性を持っている。日本中から全否定され、笑われても、本という最後の砦で世間と渡り合うことができる、という可能性だ。弁明し、反論し、攻撃に転じることもできる。メディアや世間に一方的にすべてを奪われた人間が、最後に手にすることのできる「希望という名の武器」が本なのだ。ネットや電子書籍ではこうはいかなかっただろう。紙を束ねた具体的な物体でなければ頼りなく抽象的で世間から無視されていただろう。崖っぷちで死んでいくしか方途が残されていなかったひとりの人間を、「出版」という行為が踏みとどまらせてくれた。 2月10日 去年の秋口、市内飲食店でオコエ瑠偉を見た、と書いたのだが、どうやらあれは大間違いだった。その2日後に仙台で楽天の入団発表があったのでイメージが短絡してしまったのだが、よく考えると身体の大きさがまるで違う。オコエのような横幅はなく、スマートな長身の少年だった。「あれは陸上競技のサニブラウンではないのか」というのがわがおちょこちょいの次の推論だった。ところが先日、山仲間の女性から「身長185センチを超えるフィジーの中学生がいる」という情報があった。ラクビ―の有望選手だという。そういえば一緒にいた女子たちが女子高生というには若すぎた。あれは中学生のグループだった。ということはオコエでもサニブラウンでもなく「フィジーのラクビ―少年」というのが正体だった。粗忽ものの勘違いということで、ひらにご容赦を。 2月11日 もう何年もネクタイを締めていない。普段もネクタイを締める習慣がない。なのに100本近いネクタイを持っている。最近は冠婚葬祭の類にも出席しないし、ノーネクタイでも無礼とはみなされない風潮がある。そこでクローゼットに眠っているネクタイを引っ張り出し、気に入ってる10本ほどを残し、すべて捨てることに。ネクタイとは無縁の半生だが買うのが好きだ。外国に行くたび免税店でネクタイを買いもとめた。だから溜まる一方で、一度も使ってないものばかりだ。それはともかく20年後、ネクタイはまだ残っているのだろうか。 2月12日 昔の人が「村」を創るとき、どのように森や山を拓いたのだろうか。40年ほど前、アマゾンの日本人入植地の山焼き風景を見て驚いたことがあった。ジャングルに火を放ち1週間、放っておいたまま自然鎮火を待つ。その焼け跡に陸稲を植え、1,2年土を慣らしてから熱帯作物を植える。炎々とジャングルが燃え続けることは広大なアマゾンでもありえない。日本も似たようなものだったのだろうか。そうではなかった。まず森の木の枝を丁寧に切り落とす。切り落とした枝が乾燥したころを見計らい、火を放つ。木を1本1本切ったり焼いたりするのは無理なので、こんなふうにして焼畑を作り、そこにアワやヒエを植える。コメは水が必要なので湿地帯や水たまりのある場所でしか栽培できなかった。現金収入はたきぎ用として切り出した木に印をつけ川に流し川下にある町で売る……。当たり前の暮らしの中で、どうして? と思うとわからないことばかり。自分はなにも知らないままで死んでいくのだろうか。 (あ)
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