Vol.901 18年3月24日 週刊あんばい一本勝負 No.893


「ルポ東成瀬村」を書き始めました

3月17日 新聞の見出しだけでは内容を理解できないニュースがある。世界バンタム級のネリの体重超過はその代表。そんなバカなことあるはずないだろう、と思わず記事を読みなおした。パソコンのキーボードが使えない若者が増えている、というトピックスも意味が分からない。スマホですべてが済むのでPCを持っていないのだそうだ。八戸の市営書店がオープン1年目に手応え、という朝日の記事にもびっくり。売り上げは予想を下回っているのだが大成功だそうだ。税金を使って図書館と同じことをする意味は何。腹筋運動には腰痛リスクがある、というのもショッキング。日本バスケットボール協会は「推奨できないトレーニング」として周知を進めているのだそうだ。うさぎ跳びだけではなかったのか。

3月18日 鳥海山ろくの「冬師湿原」スノーハイキング。グルリと湿原を1周すると4時間、重いスノーシューを履いているのでけっこうハード。まるで南極の大和雪原のようだ(行ったことないけど)、というので最初に故・藤原優太郎に連れて行ってもらった。その時の記録を調べてみたら2011年3月5日。東日本大震災のちょうど1週間前。雪原を歩きながら当時のことをいろんなことを考えた。いつものモモヒキーズメンバーに加え今回は地元紙の記者M君も参加。秋大時代からうちでアルバイトをしていて、当時も何度か山行にも参加しているのだが、いきなり4時間はさすがにきつかったようだ。

3月19日 昨日は薄曇りの天気だったが冬師湿原の横には巨大な鳥海山がほほ笑んでいた。雪原を歩きながら、もう数十日たてば、あの頂まで「挑戦」する季節になる。今年の登山計画では計4回の鳥海山登山が組み込まれている。今年はちゃんと頂に立てるだろうか。体調はいいし毎日5キロの散歩も欠かさない。しかし鳥海山はそんな「自然体」で登れるようなやわな山ではない。それ用にちゃんとスクワットや体幹を鍛えるトレーニングしなければ無理だ。冬師湿原を歩きながら「明日からでもちゃんとトレーニングしよう」と誓って帰ってきた。でも昨夜ちょいと飲みすぎ。朝の会議に遅刻してしまった。

3月20日 仕事部屋であるシャチョー室でよく料理をする。夜に集まってポットラックパーティ(料理持ち込み宴会)もやる。昼もこの場所で食べているし調理も同じ場所。不衛生ではないのか、という人もいる。確かに昔はアリやゴキブリあg出てきた。それが一変したのは新聞ガミの存在が大きい。調理や食事の時に下敷きに新聞ガミを使う方法をSシェフから教えてもらった。劇的にアリもゴキブリも消えた。終わると新聞紙は丸めて捨てるだけ。シンプルで実に合理的だ。いささか大げさだが、この10年間でわが身辺に起きた革命的事件である。

3月21日 ずっと取材を続けている東成瀬村のルポを昨日からようやく書き始めた。今月からHP上に連載していく予定だ。とん挫せずに持続できるか不安を抱えてのスタート。才能も知識の蓄積もない凡人には「始める」という選択肢だけが可能性の扉をこじ開けてくれる。

3月22日 先日3メートルを越すという東成瀬の豪雪を見てきたのだが、同じ時期の能代や由利本荘にほとんど雪はなかった。今冬は雪や地域とは関係なく、ひたすら寒かったのだけは間違いない。これはどうやら科学的に証明できる自然現象のようだ。北極の海氷の面積が温暖化の影響で減ると偏西風が蛇行する。そうなると北極の寒気が南下するため日本や欧米で厳冬になってしまう。偏西風というのは寒気と暖気の境の気流だ。夏に北極の海氷が少ないと、冬に偏西風の蛇行が強まり「日本が寒くなる」。

3月23日 午前中は通常の仕事をこなし、午後からは「東成瀬村」の原稿を書いている。今日で4日目だが、この調子なら四月いっぱいで書き終わるのではないか、と捕らぬ狸の皮算用。昨日はずっと雨。ボタ雪まじりの最悪の寒い一日。夕食後、小ぶりになったのを見計らって散歩。帰ってからも原稿の続きを書いていたら11時になってしまった。就眠前の読書は藤沢周平『義民が駆ける』。庄内藩の三方領地替事件に題をとったもの。藤沢ものにしては史料に寄りかかりすぎで面白みのない作品だ。途中で読むのをあきらめる。
(あ)

No.893

秋田犬
(文春新書)
宮沢輝夫

 その昔(大正から昭和初期にかけて)、秋田県北部では秋田犬の闘犬が盛んで、闇で大会が開かれ、賭けの対象になり、高額の種付け料や、土佐闘犬との交配など、裏で大きなお金が動いた。そこに暴力団の介入を招いた。品評会の審査員を買収したり、ライバル犬を毒殺したり、ギャンブルをめぐっての騒動や事件が後を絶たなかった、というから穏やかではない。秋田犬の元祖はマタギ犬(猟犬)だ。両耳が立ち、巻き尾(あるいは差し尾)が特徴で、自立心が強く主人には忠実だが、それ以外の人間にはあまりなつかない。「秋田犬」という犬種名は1931年(昭和6)に国の天然記念物に指定された時に生まれた名前だ。秋田犬の代名詞ともいえる「忠犬ハチ公」についての疑問もこの本で氷解した。ハチ公は渋谷駅前を自分の縄張りにしていた「犬の親分」のような存在だったのでは、というのが著者の見解(駅テリトリー説)だ。宮沢氏は読売新聞記者で、秋田支局時代に「秋田犬」の取材を始めている。本書はそのときの新聞連載を本にしたものではなく書き下ろしだ。取材のよく行き届いた出色の動物ノンフィクションである。

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