Vol.899 18年3月10日 週刊あんばい一本勝負 No.891


好みの本に当たり続けた1週間

3月3日 ジバサを初めて食べた。男鹿の人たちはこの海藻をよく食べるらしい。味はギバサよりちょっと水っぽい。ギバサはアカモクで、ジバサはホンダワラ、まったく違う海藻である。同じく誤解されているのがカスベ。煮ても焼いても食えないカスの魚から名前が付いたといわれるガンギエイの甘辛煮だ。これを山形では「からかい煮」というきれいな名前で呼び、食する。近江商人が「唐(中国)の貝」といって法外な値段をつけて商売していたのが由来のようだ。山形では重要なたんぱく源として、かつ「年貢」としても認められていた魚だ。。

3月4日 気が付けばこの10年、身に着ける下着はほとんどユニクロ。さらに毎日使う財布は「モンベル」製でメッシュの「スリムワレット」を愛用。色の違う黒、カーキー、ネイビー、チャコールと四つの財布を季節毎に使い分けている。値段は762円。毎日使ってもへたらず、擦り切れず、軽くておしゃれなデザインなのに目立たず、自己主張しない。史上最強のコスパ財布だ。今日は町内会役員引継ぎの会がある。1年が経つのは本当に早い。

3月5日 よく見る夢に「約束した日時を忘れて焦りまくる」というのがある。小生、ケータイ電話を持っていない。いや旅行などの際はPHSを持って出るのだが普段はまったくもたない。それで不自由はないのだが、やはりいろんな局面でケータイを持っていないことで起きる不手際を想像して怖くなる。これが潜在意識の中に眠っていてチョコチョコ夢に出てくるのではないのだろうか。それとこの頃寝ていると口が乾く。糖尿病や何らかの疾病への不安もないわけではないが、単に部屋が乾燥しているだけ、ということもある。病院に行くほどでもないので放っているが、なんだかちょっと気にかかる。

3月6日 もうすぐパラリンピックが始まる。今、全盲の作家の小説集を演習中。そういえば視覚障害を持ったアスリート(マラソンとアルペンスキー)を描いた麻生鴨『伴走者』(講談社)は面白かった。目が見えないのにマラソンを2時間30分台で走り、前を滑る伴走者の「声」のみで時速100キロのスピードで斜面を滑り降りるスキーヤーの物語だ。著者は元NHKのディレクター。TVの前のパラ観戦もいいが、この本を読むとパラリンピックが100倍おもしろくなること請け合い。

3月7日 仕事はひと段落。精神的には重石のなくなった凧状態。時間に余裕ができたのでせっせと本を読んでいる。最近は新刊がかなり充実している。『秋田犬』が当たったあたりから『上を向いてアルコール』『伴走者』『極夜行』『アマゾンの料理人』『縄文人に相談だ』と仕事をさぼっても読みたくなるような「私好みの本」が目の前で身もだえしている。

3月8日 秋田市のど真ん中を流れる旭川の横、アパホテルの真向かいに「北斗製氷」という会社がある。学生時代から同じ場所にあったから、ゆうに半世紀以上続いている企業だ。家庭用冷蔵庫にすぐれた製氷機が標準装備されている時代、氷を作る会社が今も存続していることにいつも不思議な印象を持っていた。しかしどうやら「氷」の世界は素人ではうかがい知れない深くて濃い世界のようだ。プロにしか作れない「氷」の需要は社会に広くある。固くて冷たくて透明で溶けにくい氷は、家庭では絶対に無理な「作品」なのである。コンビニで「ロックアイス」が有料で売られているのはその証拠。プロとアマの差がもっとも歴然としているのが「氷の世界」だ。

3月9日 ずっと雨続きで散歩もできず本を読む。なんとなくこれはすごい本ではないのかと読み始めた。書名がいいからだ。予想通り「巻を措く能わず」の当たり本だった。角幡唯介『極夜行』。太陽の昇らない冬の北極を一頭の犬と命がけで旅をした四ヵ月の記録。彼の傑作『空白の五マイル』を凌駕する作品だ。この高度情報通信社会では冒険や探検が成立すること事態が奇跡だ。探検のテーマを見つけることがすでに大冒険なのだ。読後ただただ「闇と氷の世界」の壮絶さに呆然。プロローグが大学病院分娩室の長女の出産シーンから始まるのにも度肝を抜かれた。最後のほうで出産シーンの意味が明かされるのだが、彼は探検家であると同時にプロの物書きでもある。行動と文章が幸福な結婚をした、本書はまれなケースだろう。
(あ)

No.891

高倉健
(講談社)
森功

 ベストセラーは半年や1年待って、どうしても読みたければアマゾンのユーズドで安くなった頃を見計らい買う。基本的にベストセラーにはあまり興味はない。本書も買おうかどうか最後まで迷いアマゾンで安くなっていたのを確認、買うことに決めた。余談だが、「注文する」をクリックするとほぼ同時に、PCにうちの本の注文メールが入った。注文主の名前は「高倉健?」。高倉健の本を注文したら高倉健から返事が来た。よくよく名前を見ると「健」の後にもう一字ある別人からのメールなのだが、あまりの偶然に驚くやら焦るやら。いやいや、現実にこんなことってあるんですね。本は最後まで高倉健の「核」にまで達することなく周辺をグルグル回っているだけ、という不完全燃焼な後味だ。著者を責めるわけにはいかない事情は分かるが(徹底的な秘密主義や資料不足、困難なダークな世界の取材)、親族や闇社会との付き合いの濃さだけが読後に浮かび上がってしまった。もともとこの役者には強い「裏社会志向」があり、それは闇社会から役者の世界に転じた安藤組の組長とちょうどコインの裏表のような因果といってもいいのかもしれない。

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