Vol.920 18年8月4日 週刊あんばい一本勝負 No.912


重い山靴を履いて散歩する

7月28日 太平山登山の予定だったが朝起きると左足首に痛み。昨日までは右足首が痛くて「痛風の後遺症」ぐらいに思っていたが、まだ痛風が残っていると判断して中止を決める。雲一つない晴天。朝5時起きですべての準備を整えていたのだが、仲間の迎えの車をみて「迷惑を掛けたら」という恐れからリタイアを決めた。一月ほど前、長老Aさんが合流地点で「足に違和感がある」と突然言い出して、家に戻ったことがあった。自分も同じ立場に立たされると「苦痛だけの山登り」をするのは失礼だ。さて、今日一日、ヒマになった。なにをしようか。

7月29日 直前の山リタイアに自分自身が一番ショックを受けた。すべての準備をととのへ、車に乗り込む直前に「こりゃダメだ」と断念したわけだが、プロ野球選手が肘や腰の違和で出場を見合わせるって、こんな感じなのかもしれない。それぐらい我慢して出ろよ、とファンとしては言いたくなるが、「その後」のことを考えると出てはいけないのだ。何もすることが亡くなったので読みかけ(読みちらかし)の本3冊を読了した。ヘミングウェイの『武器よさらば』はいろんな意味で面白かったが、第一次世界大戦の予備知識なしに読み通せない。世界情勢のイロハを知っていることを自明に書かれた小説だから、その素養がないと読み通すのはシンドイ。

7月30日 寒暖に関しては鈍い。山歩きするようになってから、重ね着の便利さに目覚めた。でもこの夏の暑さは、そんな程度でごまかせない。この夏はほぼ山用のシャツとズボンで過ごしている。軽くて吸汗、速乾性に優れている。いつもの夏なら、あまりにカジュアルすぎて問題かな、と遠慮していた。今年はそんな理屈は通じない。散歩に行くし、ストレッチもするから、すぐに汗だくになる。いちいち着替えるのは面倒だ。

7月31日 仕事の山は越えた。でも越えた山の周辺に問題がまだウロチョロ。ずっと前に録画していたNHK「大アマゾンー最後のイゾラド」を観る。あの国分拓『ノモレ』(新潮社)の原作だ。本を読んだ後に原作映像を見たわけだが、やっぱり映像の迫力というのはすごい。本で読む以上にイゾラド(文明未接触原住民)の異様な迫力に圧倒された。あんなに感動した本なのに映像に負けていたのを認めざるを得ない。活字人間として実に悔しい。

8月1日 ずっと欲しかった運動靴を買った。ソールの厚い、トレランやウォーキングに使えるもの。値段は1万8千円の20パーセント引き、フランス製の初めて聞くメーカーのものだ。アディダスの革製ウォーキングシューズで30年近く仕事も遊びもまにあわせてきたが、今年の夏はあまりに暑く夜の散歩は半ズボンだ。この半ズボンに革靴がまるで合わないのだ。そこでやむなく運動靴を調達という事情である。軽くてクッション性が高いのはいいのだが、フィット感がいまいち。履いているうちに慣れてくるだろうか。靴と椅子だけは安物は買いたくないのだが、トレラン用としては安い部類のシューズだといわれてしまった。

8月2日 せっかく散歩用のスニーカーを買ったのに、昨夜から山靴を履いて散歩。高所岩登り用の、ソールの堅い、ハイカットの重い本格的な登山靴だ。重くて汗だくになると思ったが、意外や地面とフィットして軽快な歩きができた。この週末、鳥海山新山に登る予定だ。そのための慣らし履きだ。高所用登山靴はもう2年近く履いていない。ストックまでは持たないが、この靴で酷暑の町に乗り出すのはほとんど冒険旅行だ。

8月3日 爽やかな、いつもの、でも久しぶりの北国の夏の朝。気分はいいが今日は一日、いろんなことがある。まずは年1回の庭のせん定。いつもの若い植木屋さんが来て作業をしてくれる。精神科医の医学と哲学を合わせたような「脳と自我」という難しい本も今日できてくる。お盆前なので倉庫のかたずけもやる予定。週末の鳥海山の準備も始めなければならない。毎日のストレッチ、筋トレのやりすぎで少し右ひざに違和感がある。今日のトレーニングは止めて様子を見ることにする。週末の天気が心配だ。予報では日曜は曇りのち雨。鳥海山は長丁場(往復11時間)なので途中雨に降られると難しい判断を要求される。
(あ)

No.912

現代秀歌
(岩波新書)
永田和宏

 便所本(「置き本」というのは池内紀さんの造語)がこの半年以上替わっていない。いつもなら、とっかえひっかえ便所本は変わる。面白そうな本でも短時間で、しかも活字モードに入っていない頭が一挙にのめり込んでいくような面白い本というのはなかなかない。「つかみ」がよければいい本というわけでもない。常備しているのは「江戸の雑学もの」で、これは豆知識用に1冊はある。ずっと長く置かれているという本が本書だ。「今後100年読み続けてほしい秀歌100首」が、自らも歌人であり京大の細胞生物学者でもある著者の見事な解説とともに1冊に編まれたのが本書だ。素晴らしい短歌作品が綺羅星のごとく並んでいる。歌は読まれることによって、さらに生き生きとした力を発揮する、というのが著者の考えだ。「恋・愛」「青春」「新しい表現」「旅」「病と死」「四季・自然」といったくくりで「100年後まで残ってほしい」作品が取り上げられている。作品ももちろんいいが、著者の独自の解釈が魅力的だ。毎日、便所に入り、適当に開いたページを読んでいる。毎回同じページで目が停まったりもする。それでもいつも新鮮で感動がある。この本だけはまったく飽きない発見がある、便所本の不動の4番バッターだ。

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