Vol.958 19年4月27日 週刊あんばい一本勝負 No.950


この3か月間で本を1本書いてしまった

4月20日 いろいろ先回りしてGW前の準備やら、その後の混乱などを予測して対応を考えているのだが、いざ現実を目の前にするとほとんど「想定外」の力でなぎ倒されてしまう。けっきょくムダなのだが、何も準備をしないで流れに身を任せる勇気はない。つくづく自分を小心者だ。このごろ体調はどこにも問題ない。散歩も週末の山歩きも欠かさずに続いている。しいてあげるなら足の裏全体が少し痛むぐらいか。スリッパをはいても痛みは残っているから「使用過多」による「蓄積疲労」では、とにわか医師は診断している。

4月21日 男鹿三山を縦走することを「お山がけ」という。三山とは真山、本山、毛無山を言う。まともに三山を縦走して帰ってくると20キロ以上歩くことになるだ。真山神社駐車場を出発、真山を経て本山のある自衛隊基地前まで行き、中宮神社のあるやぶの中に分け入って参拝、五社堂経由で長楽寺に帰ってきた。天気は良好で今年も無事「お山かけ」終了。

4月22日 3ヵ月先の話だが、うれしいお誘いをいただいた。友人が、ある憧れの店での食事に「一緒にどう」と声をかけてくれた。とは言いながら、数か月先の「約束」というのは不安の種でもある。そこまで何もトラブルなく過ごせるだろうか。そんなことを真剣に考えるようになったの。自信をもって約束できる「時間」は、今週か来月あたりまで。それより先のものは本当に大丈夫なのか不安になる。

4月23日 新入社員が鳥海山に行くというので、えっ、もうGWが始まったの、と早とちりしてしまった。鳥海山の稲倉山荘がGW前にオープンするので本納品のためでした。鳥海山五合目まで車が通れるようになった、というシグナルが稲倉山荘のオープンなのです。その鳥海山に1週間後に登る予定。小生の足で約4時間、どう考えてもあの急坂に足が持ってくれる自信はないのですが、まあこれは儀式のようなもの、行けるところまで行ってきます。

4月24日 一日一冊の勢いで本を読んでいる。このところは落語家で小説家の立川談四楼の本に夢中で6冊も読んだ。『シャレのち曇り』と『談志が死んだ』は師匠である談志について書いた小説だが、ちゃんと談志のダークな裏側にも触れていてプロ(小説家)の心意気を感じさせる。今読んでいるのは『移民と団地』で、あの安田浩一のノンフィクションだ。その前は警察小説の横山秀夫に夢中になったが、すぐ飽きた(あまりにドラマチックすぎるストーリ)。その前は佐藤健太郎と金子成人だったなあ。本棚で埃をかぶっていた松原耕二や奥泉光の昔読んだ本を再読するのも最近は待っていることだ。幸いなことに内容をすっかり忘れているので十分楽しめる。

4月25日 GWを前にして不気味なほど静かな日々。注文も入らなければ普通の電話もほとんどない。自分以外の世界が消えてしまったように静かだ。今日は午前中から駅ナカのいつものパン屋さんでゲラ校正。自分の原稿なので集中するには事務所以外のほうがいい。帰りはブラブラ寄り道しながら事務所まで帰ってきた。いたるところで桜が満開で、大学の食堂付近では仲良くなったばかりらしい新入生の3人グループがアニメの話で盛り上がっていた。見た目はほとんど中学生なので、すぐに新入生であることが分かる。自分の生意気だった学生時代に思いをはせてしまったが、何も大人びてりゃいいってもんでもなんだよな人生は。

4月26日 アイスバーンで転倒した事件は1月22日。あれからもう3ヵ月も経っていた。今も右手親指の付け根に痛みが残っている。でも病を得ると得なこともある。痛みから逃れるために他のことに一生懸命集中しようとする。この3か月間も、本にするための原稿を1本書きおえた。「作家は不幸でなければならない」といったのは瀬戸内寂聴だが、なんだかちょっぴりその雰囲気は味わうことができた。でもやっぱり痛みというのは心を荒ませる。健康なほうがいい。
(あ)

No.950

名将 佐竹義宜
(角川書店)
南原幹雄

 秋田の近世の基礎を築いた初代秋田藩主・佐竹義宜は清和源氏を祖とする名門武将だ。早くに父義重から家督を譲り受け、豊臣秀吉の小田原攻めにはせ参じ、ここで秀吉の片腕・石田三成の支持を得て、一躍常陸の大大名にのし上がっていく。しかし、その領土の隣には常に徳川家康の影がちらついていた。豊臣政権の存続こそが佐竹の安泰と信じる義宜は石田三成や直江兼続と盟約を結びながら、天敵・徳川との微妙な距離を測っていた。関が原で佐竹はなぜ徳川側に組みしなかった、という答えが本書には書かれている。いやそのことを解明するために書かれた小説といってもいいほどだ。義宜の心は常に石田三成とともにあった。家康にとれば天下統一のカギはこの佐竹をいかにして自軍に引き込めるか否かにかかっていた。どちらも微妙な立場で着かず離れずの関係を続けざるを得なかったのである。本書でも99パーセント、秋田について言及はない。秋田転封以前の義宜の物語なのである。義宜の揺れ動く心理描写が巧みで、どこまでが史実で、どこまでが作家の想像力なのかはわからない。時代小説を読むと作家の史料の読み込みの深さや密度、眼光紙背に徹する洞察力に素直に敬意を表したくなる。

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