Vol.955 19年4月6日 週刊あんばい一本勝負 No.947


リヒテルの泊まったホテル

3月30日 珍しく集中して原稿。本にしようと思っている秋田の雑学本のものだ。原稿はできるだけメモふうにざっくりと書き殴っておいて推敲しながら形を整えていく。こういう書き方が自分には合っている。書く前はどうしても身構えてしまう。なかなか書き出せない。これじゃあだめだと思って始めたのが「殴り書き戦法」だ。何にも考えずに書きたいことを箇条書きに並べていく。並べ終わると自分の書きたいことの道筋が見えてくる。というわけで原稿を5本、土曜日一日で書いた。

3月31日 日曜なのに山歩きなし、陰気で寒々した雨が朝から降り続いている。今日も原稿を書く予定だったが、そんな気分になれない。集中力は持続しない。原稿を書けないままネットで過去の自分の文章を探していると昔の日記が。もう20年ほど前のエアロビクス日記で、拾い読みをしているうちにやめられなくなった。とにかく忙しい日々を過ごしている。毎日、2,3本の打ち合わせをこなしスポーツクラブに通い、夜は外で酒を飲む。時間が空けば東京出張で、本当にこんな生活をしていたのか。50代初めの働き盛りだからこんなものだったのかもしれない。自分の老いの現実を突然目の前に突き付けられたような、ちょっと複雑な気分だ。

4月1日 最後は自分一人で静かに仕事場で老いて穏やかに消えていくのが理想だったのに、70歳を目前にして、まだあくせくと仕事場でのたうち回っている。仕事の質も量も随分と変わったのに、こちらがやるルーチンの大方は昔のまま。雑用は増える一方だ。体力があり、大きな病気をしなかったことが現役でいることに甘んじる結果になったのかもしれない。跡を継ぐ人間に「道をつけてから消えたい」という欲張りな感情に支配されていることもある。このままだと80歳になっても引退できない可能性もある。「潔さ」というものが欠けているのだ。

4月2日 雨続きで腐っていたが、今日は何と雪。寒いのか温かいのか感覚も鈍くなって体感センサーもうまく反応しない。気分転換にシャチョー室でひとり料理教室。Sシェフから教えてもらったギョーザを作った。ローストビーフにも挑戦。スーパーで買った牛モモ肉をフライパンで焼き目をつけ湯煎、それで完成だ。肉の中心温度をはかる温度計まで買ってしまった。

4月3日 生命保険をかけているのだが貯蓄タイプのやつで、毎月けっこうな金額になる。もう70歳になるのだから掛け捨てで十分ではないか。周りの友人たちに訊くと「死んだときに葬儀代が出る程度で十分」という人たちが多勢だ。80歳に払戻金をもらっても何の足しになるのか。払戻金を期待して、これから10年を生きていくのは「空しい」。ということで、いま見直しを進めている最中だ。はてさて、どうなりますことやら。

4月4日 ピロリ菌の有無を確かめる呼気検査で病院。病院通いもすっかり板についた。ところで、美郷町に出店するモンベルの概要がほぼ決まった。これで仙台まで行かなくて済む。でももう品揃えや利便性はネットのほうが数段いい。店で買う必然性がなくなったのも事実だ。もう一つ、石井スポーツは投資ファンドの手を離れヨドバシカメラが買収した。一人の客の印象でしかないのだが、モンベルのカラーは統一されていて、センスもいいし値段もそこそこ。それに比べて石井スポーツは、カラーはバラバラ、センスは乱雑、店内イメージも明るくはない。店員のプロフェッショナル度は高いが初心者はとっつきにくいイメージがある。ヨドバシカメラの安売りイメージがこれに加味されると登山客の足は遠のくだろう。

4月5日 もう30年前になるが秋田市の児童会館で「20世紀最大のピアニスト」と称されたリヒテルが「突然」コンサートを行った。本当に「突然」で、本人の意向により2週間前に決まったものだ。チケットはガリ版刷りのような粗末なもので5千円。小生はこの歴史的なハプニングのコンサートを聴いていて、それが自慢なのだが、このときリヒテルが泊まった駅前のホテルはもっとすごい。練習用のピアノが宿のドアから入らず「ドアを壊してピアノを運び入れた」ため、文化的理解度の高いホテルとして一躍有名になったのだ。先日、その部屋を見たいなあと思い立ちフロントで尋ねると、そんな人は泊っていないし、部屋を壊した話も聞いたことがない、と一笑に付されてしまった。30年前の歴史的事件を知るホテル内部の人間が代替わりでいなくなったのだろう。それにしてもこれだけの(誇っていい)事件が組織内で継承されていない会社組織というのは問題のような気がしないでもない。 
(あ)

No.947

世界史を変えた薬
(講談社現代新書)
佐藤健太郎

 いやぁ、この本には参った。実に多くの知見に触れることができた。まさしく書名に偽りなし、実にためになる本だ。「あの薬がなかったら、世界の運命は変わっていた!」というオビのコピーは掛け値なしに正鵠を射ている。その世界史を変えた薬は「ビタミンC」「キニーネ」「モルヒネ」「麻酔薬」「消毒薬」「サルバルサン」(梅毒の薬)「サルファ剤」(細菌感染症役)「「ペニシリン」「アスピリン」「エイズ治療薬」。
 それぞれの項目で驚くべきエピソードが紹介されている。特に驚いたのが「人類最後の敵」と呼ばれたエイズの治療薬を世に出した満屋裕明博士(熊本大学教授)のこと。史上初のエイズ薬は彼がアメリカ国立がん研究所に留学中に発明したものだが、製薬会社が断りもなく特許を取得し、そのため満屋の名前は発明者の名前から消えてしまったという。その後、満屋は次々にさらに有効なエイズ新薬を開発し、特許を取得し、廉価で世に送り出すことになる。秋田出身の「万年ノーベル賞候補」のスタチン剤の遠藤章への言及もあった。史上最大と言われる売り上げを記録したスタチン剤だが、世に出て30年、今もノーベル賞は受賞していない。本当に医薬が人類に貢献したかどうかは、長い年月を経てみないと判定が難しい、というのがノーベル賞を授与できない理由では、と著者は推察している。

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