Vol.951 19年3月9日 週刊あんばい一本勝負 No.943


時代小説とピロリ菌

3月2日 TVでは「おいしい」という言葉が氾濫している。実に便利な言葉ではあるが、「おいしい」の語源って何なんだろう、と調べたが、これがよくわからない。井上ひさしの『国語元年』にこんな記述があった。イエズス会の神父たちが刊行した『日葡辞書」中に〈イシイ=うまいもの〉という言葉がある。これに「お」をつけたのが「おいしい」では、と推測している文章があった。どうして「お」をつけたの、と言われる向きもあろうが、この「イシイ」、当時は女性のみが使う「婦人語」といわれる言葉だったのだそうだ。女たちはこの形容詞に丁寧な「お」をつけて、たぶん、おしゃべりに興じていたのだ。

3月3日 散歩の途中、学生時代にうちでアルバイトをしていたH君とバッタリ。エッ千葉で高校の先生をしているのでは……と一瞬混乱したが、哲学の先生の「最終講義」が大学であり、その聴講に来たのだという。こちらは大学中退(除籍)で単位もろくに取っていないロクデナシなので、そうした大学のセレモニーとも無縁なので知らなかったが、最終講義という儀式があったか。夜に一杯やることにしてH君とは別れたのだが、なんだかちょっぴりH君がうらやましくなった、春の夕暮れだった。

3月4日 河辺にある「一ノ沢山(532m)」へ。太平山系列の三等三角点のある国有林だが、今年は雪が少なく、そのため逆に道に迷って頂上に行きつくことができなかった。登山道を探して崖を上り下りするのもアドヴェンチャーだ。ピロリ除菌作戦ももう3日目。薬の副作用はほとんどない。逆流性胃炎や下痢も懸念されたのだがまるっきしの肩透かしだ。むち打ちによる(と予想された)頭痛も首のレントゲンで異常なしと言われ、ほぼ正常な状態に戻った。これまでのボンヤリ・モードは一体何だったのか。

3月5日 買ったばかりのICレコーダーを紛失した。同じものを買いなおすことにした。失くした日のことははっきり覚えている。バックを持たず上着のポケットに入れて外出した。行った先の飲み屋やタクシーの領収書があるので遺失物の連絡はしたのだが、どちらも「そんなものはない」で終わり。そっけないこと夥しい。買えば4,5千円のものだから一軒余計に飲み屋に行ったと思えばいいのだが、学習能力のない自分のふがいなさは消えてくれない。

3月6日 家の洗濯機が悲鳴を上げて突然壊れてしまった。コインランドリーのお世話になっているのだが、これがけっこう高い。一回約800円から1000円は取られるのだ(乾燥なし)。新しい洗濯機を量販店から買ったのだが設置は今週末。いやはや洗濯機ひとつでてんやわんやだ。夜は「和食みなみ」で宴会だ。「みなみ」の小上がりがようやく「堀座卓」になった。この2月いっぱい工事のため休業していたのだが、そのお祝いを兼ねたモモヒキーズ有志の宴会である。足を延ばしたいから堀座卓にしてほしい、と前からオヤジに要望していたのが聞き入れてくれた。その誠意に報いるための一献だ。

3月7日 中津文彦『天明の密偵』(文春)を読了。面白かった。サブタイトルは「小説・菅江真澄」。平成16年に刊行された本だが、なぜか秋田ではほとんど話題にならなかった。端正な筆さばきで時代考証もしっかりした一級の時代小説なのだが、肝心の菅江真澄の秋田時代が「ほぼまったく」といっていいほど登場しない。秋田が出てこないと秋田の人はまるで興味を示さない。それは内館牧子の『終わった人』も同じだった。主人公は岩手県人だったので仙台や盛岡の書店では刊行後もずっと平積みでベストセラーになっていたが、秋田の書店では刊行後数か月で店頭から消えてしまった。秋田が主役でないとシンパシーを抱けない、という気持ちはわからないわけでもない。でもちょっと狭量で排他的で田舎臭い。著者の中津文彦は元岩手日報の記者だ。岩手日報出身の作家というのは何人もいるが、わが魁新報出身の作家というのは寡聞にして知らない。

3月8日 ピロリ除菌作戦が終了。わずか7日間なのだが副作用の漠とした不安があった。処方箋には「下痢」「味覚障害」「軟便」などに注意と書かれていたが異変は何も起きなかった。少し食べすぎただけで胃酸過多になるタイプなのに、この間(投与期間)、三回も外食しているのに胃のトラブルはない。薬の中に「胃酸を抑える強い薬」が含まれていたからだろう。となると薬剤投与が終わると、また胃酸が出すぎて苦しむことになる可能性もある。ピロリが死んだかどうかを確認するのは1カ月後。それまでは慎重に食生活を管理する必要がありそうだ。 
(あ)

No.943

世界史を変えた新素材
(新潮選書)
佐藤健太郎

 午前中にデスクワークを終え、午後からは散歩がてら駅前まで出て、駅ナカでコーヒーを飲みながら2時間ほど本を読んで帰ってくる。このパターンが最近定着しつつある。読む本はずっと科学ジャーナリスト・佐藤健太郎の本ばかり。この人の本にはずれはない。歴史と科学と文明の交錯を描くグローバル・ヒステリーは中毒性を持っている。この人の本を「全部」読むつもりで、けっこう本気になっている。毎日パン屋に通う一番の理由はこれだ。最初は佐藤健太郎『世界史を変えた薬』(講談社現代新書)をなにげなく読み始めたのがきっかけだった。自分の気分と本の内容の平仄があっていたのだろうが、たちまちのうちにはまってしまった。急きょアマゾンで著者の代表作となった『炭素文明論』(新潮選書)を注文。この人の書くものは全部面白そうだ。文章に小細工がないし、書きたいことを簡潔に面白く伝えてくれる科学エッセイというのは珍しい。このジャンルで「簡潔で面白い」文章を書ける人というのは限られてるからだろう。

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