時給:無料
大学一年の九月の終わり頃。大学生活にも慣れてきて、ぼちぼちアルバイトを始める友だちが増えてきました。そういったフインキに流されるように、僕も何かやってみようと考えました。そこで思いついたのは家庭教師。友だちの中に、家庭教師をやっている人もいて、話を聞くたびに家庭教師への憧れがどんどんと膨れていきました。僕の教える子どもはどんな子?成績の良い子、それともあまり芳しくない子?男の子・女の子?小学生、中学生、高校生…考えるだけで楽しくなりました。簡単に斡旋されている友だちをみて、すぐに斡旋されるだろうと思っていました。
近くの家庭教師斡旋所に行き、応接してくれた人は四〇歳くらいの貫禄のある男性。
「いろいろ問題がありますね。一つはことばの問題。あなたの言っていることば、子どもは聞き取れますか。あなたは障害をもっていますよね」
「ハイ、脳性マヒです」
「そっか。こちらの信用問題があって、君のような人間を斡旋して、信用を損ねたら、どうするのですか」
結局、履歴書も受け取ってもらえないまま帰されました。意外な結末。まぁ、ここでダメでも…と思い、市内四つの斡旋所に行きました。どこも同じ結果。さすがの僕も大きなショック。この気持ちを友だちに話して、今度は友だちと一緒に行きました。ようやく履歴書を受け取ってもらったけれど、同じような条件で、僕よりも遅く登録した友だちが斡旋されている現状。やはり、無理なのかなぁと思い、何度も諦めかけたけど、どうしても諦め切れませんでした。
大学二年の五月頃、思いきって友だちに呼びかけ、放課後、学生会館の一室を借りて、僕の気持ちを聞いてもらいました。十四人が集まりました。このとき「みんなの前で自分の考えを言えて良かった」「ガクちゃん(僕のあだ名)の力になりたい」と言う友だちにとても勇気づけられました。
この日から、週一回のペースで話し合いが続きました。「家庭教師を求めている親というのは、成績を上げることを求めているので、ものの考え方を求めていない。障害を持っている人にも教えることができると分かることと、実際に雇うことは別」と友だち。お互い、思っていることを素直に話し合いました。四回目の話し合いで、まずはビラを作って配ってみることにしました。
「お願いします」と、一言ひとこと、ていねいに「家庭教師やります」と書いたビラを街頭で配り、近くのスーパーマーケットや郵便局、市役所、社会福祉協議会にも掲示してもらいました。子どもに勉強を教えたい、生身の子どもと接することでいろいろと勉強したい、この気持ちを「時給:無料でやります」と書いて、蛍光ペンでひときわ目立たせました。このビラ配りを、週一回のペースで、三回やりました。街頭での反応は、「うちは子どもがいないけど」「子どもが大きくなってしまって」「がんばってください」と、思っていた以上の感触。しかし、かかってくるのはいたずら電話ばかりで、なかなかホンモノの電話はかかってきませんでした。
「○○という喫茶店で会ってくれませんか。家庭教師のことでお聞きしたいことがあるのですけど…」すっかり落ち込んでいたところに吉報の電話。友だちと一緒に喫茶店に行って、親子三人と面接。「ビラを見て、どんなお人なのか、知りたくて…一緒に話してみると、とてもユニークなお人で、なんかホッとしました。良かったら、今度の水曜日、家に来て、ウチの子どもに勉強を教えてくれませんか」。
帰り際の友だちのことば。「良かったネ、ガクちゃん」
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