んだんだ劇場2004年3月号 vol.63
No18
僕の『道徳』の授業

 今年度、教務副主任を任されています。よく人から「教務副主任って、えらく出生してね。どんな仕事をしているの?」と尋ねられます。僕は自分の学級を持っていません。今年度、(道徳の授業をやってみたい)と思い、年齢が一番近い先輩の同僚の先生に相談しました。先輩の先生は快く僕の気持ちを受け止めてくれ、「私の代わりに、道徳の授業をやってほしい」と言ってくれました。2年生のあるクラスで、道徳の授業をすることになりました。
 道徳の授業内容を考えました。僕は教科書のない道徳の時間が好きです。道徳の授業内容を考えるとき、必ず副読本を一読します。どれも素晴らしい内容ですが、イマイチ僕の心に届きません。【僕の心に届かないものは、生徒の心にも届かない】と勝手に思い込み、どのような内容を取り上げようかなぁと考えました。そのとき、心の中に1つの挑戦する心が芽生えてきました。
『自分の体験を道徳の授業で、取り上げることができないだろうか』
 これは、1つのアイデアでした。自分の全ての体験に道徳的な価値があると思いませんが、何か道徳の授業で取り上げることができる体験をしているだろう…と、これまでの生き様を振り返りました。すると、自然と"家庭教師の体験"が想起しました。道徳の授業で、取り上げることができる気がして、自分の体験の教材化を試みました。 ※家庭教師の体験は、「んだんだ劇場」のバックナンバーに(上)(中)(下)と掲載しています。
 道徳の授業では、必ず道徳的な価値と呼ばれるものがあります。(例えば、友情・向上心・公共心・思いやり・支えあい…)これらの価値を生徒と一緒に考え、高めあう時間が道徳の時間と思っています。家庭教師の体験の道徳的な価値は何だろう…と考えました。自分の体験に、道徳的な価値を見出すことは、少し照れ臭さを感じました。<夢・目標・友情・障害者理解・挑戦…>など、道徳的な価値を考えました。でも、どれもしっくりと自分の気持ちに合いません。自分の体験の中に道徳的価値を見出すことは、家庭教師の体験を再生させ、そのときの感情をつぶさに感じ取っていくことでした。家庭教師の体験で、僕が一番伝えたいことは何かと考えました。ふと、【向き合う】という言葉が頭を過ぎりました。
【自分自身と向き合う・友だちと向き合う・社会と向き合う】
(これだ!!)と思い、早速、学習プリントを作りました。
向き合う

  組 氏名          
@ ○○○○○○と向き合う。○に当てはまる言葉を入れよう。
A もし、自分だったら、どのように思いますか。
B 集まってきた友だちの気持ちは?
C あなたが友だちなら…
D 「向き合うこと」について

 授業前、教師よりも1人の挑戦者でした。授業が始まると、担任の先生から「今日の道徳の授業に、ゲストティーチャーが来ています」と紹介してくれました。少し照れながら「宜しくお願いします」と言って、生徒に学習プリントを配布してもらいました。黒板にデンと、今日の授業のタイトル「向き合う」を黒板に貼りました。「今日は、早速、@をやってみよう」と授業を始めました。学習プリントへの記入は、Excelでまとめました。こちらのページを参照してください。
「今日は、僕の体験を通して、向き合うことについて、みなさんと一緒に考えていきたいと思います」と言って、家庭教師の体験をコンパクトにまとめた文章を生徒に配布してもらいました。その文章を1人1文読みで読みました。
(下記の文章は、月刊誌「みんなのねがい」1999年12月号に掲載されたものです)
時給:無料

  大学一年の九月の終わり頃。大学生活にも慣れてきて、ぼちぼちアルバイトを始める友だちが増えてきました。そういったフインキに流されるように、僕も何かやってみようと考えました。そこで思いついたのは家庭教師。友だちの中に、家庭教師をやっている人もいて、話を聞くたびに家庭教師への憧れがどんどんと膨れていきました。僕の教える子どもはどんな子?成績の良い子、それともあまり芳しくない子?男の子・女の子?小学生、中学生、高校生…考えるだけで楽しくなりました。簡単に斡旋されている友だちをみて、すぐに斡旋されるだろうと思っていました。 
近くの家庭教師斡旋所に行き、応接してくれた人は四〇歳くらいの貫禄のある男性。 
 「いろいろ問題がありますね。一つはことばの問題。あなたの言っていることば、子どもは聞き取れますか。あなたは障害をもっていますよね」 
 「ハイ、脳性マヒです」 
 「そっか。こちらの信用問題があって、君のような人間を斡旋して、信用を損ねたら、どうするのですか」 
 結局、履歴書も受け取ってもらえないまま帰されました。意外な結末。まぁ、ここでダメでも…と思い、市内四つの斡旋所に行きました。どこも同じ結果。さすがの僕も大きなショック。この気持ちを友だちに話して、今度は友だちと一緒に行きました。ようやく履歴書を受け取ってもらったけれど、同じような条件で、僕よりも遅く登録した友だちが斡旋されている現状。やはり、無理なのかなぁと思い、何度も諦めかけたけど、どうしても諦め切れませんでした。 
 大学二年の五月頃、思いきって友だちに呼びかけ、放課後、学生会館の一室を借りて、僕の気持ちを聞いてもらいました。十四人が集まりました。このとき「みんなの前で自分の考えを言えて良かった」「ガクちゃん(僕のあだ名)の力になりたい」と言う友だちにとても勇気づけられました。 
 この日から、週一回のペースで話し合いが続きました。「家庭教師を求めている親というのは、成績を上げることを求めているので、ものの考え方を求めていない。障害を持っている人にも教えることができると分かることと、実際に雇うことは別」と友だち。お互い、思っていることを素直に話し合いました。四回目の話し合いで、まずはビラを作って配ってみることにしました。 
 「お願いします」と、一言ひとこと、ていねいに「家庭教師やります」と書いたビラを街頭で配り、近くのスーパーマーケットや郵便局、市役所、社会福祉協議会にも掲示してもらいました。子どもに勉強を教えたい、生身の子どもと接することでいろいろと勉強したい、この気持ちを「時給:無料でやります」と書いて、蛍光ペンでひときわ目立たせました。このビラ配りを、週一回のペースで、三回やりました。街頭での反応は、「うちは子どもがいないけど」「子どもが大きくなってしまって」「がんばってください」と、思っていた以上の感触。しかし、かかってくるのはいたずら電話ばかりで、なかなかホンモノの電話はかかってきませんでした。 
 「○○という喫茶店で会ってくれませんか。家庭教師のことでお聞きしたいことがあるのですけど…」すっかり落ち込んでいたところに吉報の電話。友だちと一緒に喫茶店に行って、親子三人と面接。「ビラを見て、どんなお人なのか、知りたくて…一緒に話してみると、とてもユニークなお人で、なんかホッとしました。良かったら、今度の水曜日、家に来て、ウチの子どもに勉強を教えてくれませんか」。 
 帰り際の友だちのことば。「良かったネ、ガクちゃん」 

 授業の雰囲気は、僕の授業では珍しいくらい、物静かでした。涙を浮かべながら、学習プリントに記入している女子生徒もいました。一見、重苦しい雰囲気を僕は快く感じていました。生徒に多くのことを語らせることなく、学習プリントに記入する時間をとりました。
 きっと、僕は<自分と・友だちと・社会と>向き合ってきたからこそ、現在の自分が在るように思います。「向き合う」ことは、誰にでもできることではないでしょうか。「向き合う」ことは、とても辛いことのように思います。決して、楽しいものではありません。しかし、「向き合う」ことで、人は新しい発見をして、成長していくものと思います。僕は、いつも向き合っているように思います。それは、人にサポートをしてもらわなければならないからです。階段の上り下りでも、人に「一緒に上ろう」と声をかけなければなりません。そのとき、(本当に、上りたいのか。上る必要があるのか)と、自分自身と向き合います。そして、(誰に声をかけようか。どのような言葉をかけたら、快く一緒に階段を上ってくれるのか)と周囲の方と向き合います。このことは、余りにも日常的なことであり、いつも深く考えていませんけど…無意識的に「向き合っている」ことになるのでないでしょうか。
 家庭教師のことも、向き合いました。20歳前後。今までの学校生活で、友だちと違うことを極端に嫌いました。何でも、一緒にやってきました。しかし、家庭教師の壁にぶつかり、一緒に大学の講義を受けている学生が家庭教師をできて、僕ができない現実にぶつかり、障害者として、今後どのように生きていけばよいか、真剣に考えました。(障害があるから、できないことがあること)を受け入れていくことが大人になることなのかなぁ…と。でも、それは違っていました。友だちは家庭教師斡旋所で、僕は街頭でビラをまきました。方法論の違いと気づきました。方法は人と違いますが、家庭教師をやっていることは紛れもない事実。このことを学生時代に身に沁みて分かった僕は、大きな自信を得ました。揺るぎがない自信です。真剣に向き合ったからこそ、得ることができたと思います。このことを生徒に伝えたかった…ビラの反響が大きく、友だちに家庭教師を斡旋していました。もう、笑ってしまいます。
 この授業を通して、教師の経験を道徳の教材化することできることを実感しました。僕の体験をまとめて、道徳の本を作ることが夢です。


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