カウナスという街

 リトアニア第二の都市カウナスはネリス川とネムナス川に挟まれた街である。カウナスの新市街地は東西に突き抜ける一本の大通りを中心に碁盤の目のように街が形成されている。その通りとはリバティー・アベニューと俗称されるライスヴェス通り。この通りの東端に位置するのがカトリックの聖ミカエル教会である。美しい菩提樹並木が一直線にのびる、このライスヴェス通りは歩行者天国となっており、通り沿いにはレストラン、カフェ、ブティック、銀行、郵便局などあらゆる店々が軒を連ねている。噴水の飛沫やアコーディオンの音色が念願の春の訪れを祝う。
 ライスヴェス通りを西に進むと旧市街に向かうヴィリニアウス通りに接続している。ヴィリニアウス通りの地下道をさらに進んだ先に旧市街の旧市庁舎広場やカウナス城、サンタコス公園があり、ネリス、ネムナス両河川の合流点を見晴らせる。その新市街と旧市街の狭間にある地下道手前に、塀に囲まれた邸宅と庭園が存在する。これが旧大統領官邸である。
 なぜ首都でもない第二の都市にこのような建物があるかといえば、カウナスは1919年から1940年の足掛け22年間、リトアニアの事実上の首都となっていたからである。厳密には憲法上、首都はヴィリニュスということになっていたのだが。ドイツ帝国陸軍占領下の1918年2月16日はリトアニア最初の独立記念日で、このときロシア帝国からの独立を果たす。しかし1919年第一次世界大戦終結後にソビエト連邦とポーランドの間で戦闘が勃発して、両国の狭間に位置するヴィリニュスも戦場となる。混乱の中でポーランドがヴィリニュス地域を占領し、中部リトアニア共和国という日本でいえば満州国のような傀儡政権を樹立。つまりリトアニア共和国は肝心要の首都を喪失してしまったことになる。そこでリトアニア政府は臨時首都としてカウナスを定めた。そして1940年にヴィリニュスに再び首都機能が戻って悲願達成といいたいところであるが、その実はリトアニア・ソビエト社会主義共和国の首都としてヴィリニュスが戻って来たのであった。すなわちソ連によるリトアニアの併合である。これはリトアニアにとってはあの悪名高き独ソ不可侵条約、いわゆるモロトフ=リッペントロップ協定の結果であった。
 22年間の臨時首都としてのカウナスにおいてカウナス旧大統領官邸で実質的に政務を執った大統領はたったの3人といわれている。
 雲一つない快晴となった5月の初日。ライスヴェス通りに足を運ぶとオレンジ色のテープが通りの両側沿いに果てしなく張られている。そして通りを歩く人々の喧噪も心無しか普段より大人しめ。前日とは打って変わった街の様相に驚きながらも、5月1日の日付で思い出したのは、本日はメーデーだということ。レイバー・デイともノン・ワーキング・デイとも言われる労働者の日である。さすが人権擁護の地ヨーロッパ。すべての店舗を閉め切って労働者に休暇を与えるだけでは飽き足らず、ビニールテープまで張り巡らして意地でも働かせまい、働くまいという姿勢は天晴である。月月火水木金金の日本人とは雲泥の差である。
 こんな根拠のない妄想に耽っているところでリトアニア人の友人に遭遇。彼の話でこの想像力豊かな推測はいとも容易く崩壊した。実はビニールテープはこの日開催されるカウナス・マラソンのコースの仕切り線ということだった。いずれにしてもリトアニアではメーデーが祝日となっているのは確かである。労働者の権利保護と勤労への感謝という、似ているようで少しニュアンスの異なる祝日のコンセプトにも国民性の違いが垣間見えるような気がした。
 このマラソン大会はリトアニア語で「Ir stok u? garb? Lietuvos!(イル・ストク・ウジュ・ガルベー・リエトゥヴォス)」と呼ばれている。直訳すると「リトアニアに敬意を表して起立して」。コースは旧大統領官邸からスタートしてライスヴェス通りを通って聖ミカエル教会、通称ソボラスの周りを一回りしてUターンする。参加者の年齢層は幅広く、小学生くらいの子供から70歳は越えているであろうお年寄り、更には犬まで参加している。
 余談になるが、このマラソン大会はリトアニア人の国民的パイロットであるステポナス・ダリウスとスタシス・ギレナスの大西洋横断飛行80周年記念事業の一部である。1933年7月15日、2人のパイロットは飛行機「リトアニカ号」でアメリカ・ニューヨークを出発して無着陸で37時間11分かけて大西洋を横断。ちなみに、『翼よ!あれが巴里の灯だ』で有名なチャールズ・リンドバーグが初の単独無着陸横断に成功したのが1931年である。しかし目的地カウナスに辿り着くことなく、ドイツ・ソルディン近くの村(現・ポーランド領)での墜落事故で帰らぬ人となってしまう。ダリウス36歳、ギレナス39歳という若さでの事故死だった。現在、リトアニアの10リタス紙幣の表側には2人の肖像が、裏側には大西洋を横断するリトアニカ号が印刷されている。
 80周年記念として旧大統領官邸では2人のパイロットの業績を称える写真展が開かれている。マラソン大会のスタート前には彼らについてのクイズ大会が催され、リトアニア前大統領のヴァルダス・アダムクスが出題する場面もあった。
 マラソンといえば、4月15日にアメリカでボストン・マラソン爆破事件が起きて一ヶ月も経っていなかったが、カウナスのマラソンでは警備などの姿も見受けられない。前大統領の周りにはSPらしき人もいないようだ。穏やかな春の陽気の中、ランナーの足音と見物人の話し声がカウナスの街に響いていた。
聖ミカエル教会正面にある地図。カウナスはネリス川とネムナス川に挟まれた内陸の都市










ライスヴェス通りの菩提樹並木。1キロ以上に渡ってのびている










カウナスの旧大統領官邸前で演奏するリトアニアの鼓笛隊










旧大統領官邸を出発するランナーたち。リトアニアの国旗色の帽子を被ったおばさんが手を振ってくれた










ステポナス・ダリウスとスタシス・ギレナスの記念碑。ヴィタウト通り沿いの森林公園内にある










マラソン大会の開会式に姿を見せたリトアニア前大統領のヴァルダス・アダムクス

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●No.1 リトアニアの3.11
●No.2 世界を知らない私と私を知ってくれている世界
●No.3 キョーゲン・イン・リトアニア

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