Vol.1015 20年6月13日 週刊あんばい一本勝負 No.1007


毎日が映画と本

6月6日 毎日、新聞を読むのは「出版広告」に目を通すのが日課だからだ。毎月の本代はけっこうな金額になるが、他にお金を遣う機会もない。でも最近はめったに心躍る新刊がない。新刊がダメとなると昔の本に触手を伸ばすしか手はない。昨日は開高健『珠玉』(文春文庫)を読了。開高が死の直前(89年)に書き遺した、3つの宝石に託した物語だ。評価の定まった本は安心して読める。

6月7日 半そでに衣替え。寝巻も半そで短パン仕様。10時半まで朝寝。少し太り気味なことを除けば体調もいい。先週は1週間に4回、「外のみ」という新記録。内訳は「みなみ」3回、シャチョー室1回。仕事場ランチも日替わりめん類。冷やしにしようかそばでいくか。ジャージャー麺よりスパッゲッティ、と考えるのが楽しい。今日はソーメン。

6月8日 1週間の速さにため息。毎日、本を読み、映画を観るだけの日々。このところ本はけっこういい感触のものに当たっているし、映画もイギリス映画『さざなみ』、イーストウッド監督の『ペンタゴン・ペーパー』と大きなはずれはない。こうなると次から次に調子に乗って触手が伸びていき、結局は質の悪い作品につかまって、しばらく熱を冷ますため本にも映画にも近づかない日々が始まることになる。

6月9日 ソフトクリームを食べたくなって買い求めたら320円。その値段にのけぞりそうになった。150円ぐらいが一般的だった時代のソフトしか知らなかった。最近は自分でアイスキャンディをつくって食べている。ミルクと牛乳だけで出来るから、原価は1本30円くらいのものだろう。もうこれで十分だ。

6月10日 腰の座らない状態が数週間続いている。2022年、無明舎は創業50年を迎えるのだが、それまでに個人で3冊の本を書き上げる予定だ。1冊は「物語風50年史」で、『舎史ものがたり』で30年分はすでに書いているから20年分を書き足すだけ。問題はブラジルのアマゾン紀行。ブラジルではこの数か月で保健相が2人もクビになっている。ボルソナーロ大統領のコロナ対策のまずさは世界でも際立っていて、目が離せない。次は日系人の女性に保健大臣の白羽の矢が立っているとのうわさもある。引き受けたらすぐに首になるのは目に見えている。

6月11日 森功著『ならずもの』(講談社)ははずれ。副題が「井上雅博伝――ヤフーを作った男」だが、本当にこの人物が「天才」だったのか、大いに疑問。逆に実に面白かったのが石井妙子著『女帝 小池百合子』(文春)。長い時間をかけた取材と燃える執念と揺るぎない確信が行間からメラメラと立ち上ってくる。久しぶりの質の高い本格的人物ノンフィクションを読んだ気分だ。連日メディアに登場するこの人物の言動には、つねに「ウソ臭い」戦略が透けて見える。金も時間も使わず選挙運動ができる歓びに打ち震えている底の浅いが表情に露呈してしまうのだ。そのうさん臭さの正体がこの本には見事に描かれている。

6月12日 ヒマなので郊外まで靴下を買いに行き、魔がさして2階の全国チェーンの書店に立ち寄ってしまった。実は書店に行くことはほとんどない。驚いたのは文庫コーナーの新刊の装丁がすべてけばけばしく、どれも同じように見えてしまったこと。その多くが時代小説とミステリーで、菊地信義とか平野甲賀の装丁で育った目には、ひたすら悪趣味で下品以外の何物でもないケバサだ。NHKテキストを3冊ほど買い、奥に「ミシマ社コーナー」が特別展示されていたので、これも3冊ほど購入。ネットではなかなかたどり着けない本ばかり、実物を見なければ読もうと思わない本が確かにある。3足990円の靴下を買いに行って8千円も本を買ってしまったわけだが、まあ本なんて安いものだ。
(あ)

No.1007

按針
(ハヤカワ時代ミステリ文庫)
仁志耕一郎

 侍の江戸時代を生きた英国人ウイリアム・アダムスこと三浦按針の物語である。徳川家康に仕え、その為政にも大きな影響を与え人物だ。しばしば歴史小説や偉人伝、教科書にまで登場する人物だが、ミステリーの早川書房が「時代小説」を出しているのも意外だ。前半は16世紀のヨーロッパの大航海時代の舞台裏が描かれる。按針は英国人で、乗った船リーフデ号はオランダの船だ。当時はスペインとポルトガルが我が物顔で世界を二部していた時代で、そのほころびも出てきていたのだが、イギリスやオランダなど「海賊」とか「盗人」とか、こバカにされていた小国に過ぎない、という時代背景がまずは要諦だ。日本国内も事情は同じでイエズス会やフランシスコ会のパードレが大手を振い、異教徒のイギリスやオランダ人(プロテスタント)はゴミのように唾棄されていた時代なのだ。そんな按針を気に入ったのが天下人、家康だったのである。後半は、日本人になりきろうとする按針の苦闘が主に描かれている。このあたりから物語の構成がちょっとマンガチックになって興ざめする場面も多いのだが、史料がなければ作家たちは想像力を駆使するしかない。最低限、歴史ものを好きな読者たちを満足させるリアリティは担保されているが、按針の人物像が今ひとつはっきりしないきらいはある。それにしても歴史を学ぶには小説が一番だ。

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