Vol.1020 20年7月18日 週刊あんばい一本勝負 No.1012


そろそろ週一で山歩きを復活させたい

7月11日 雨が続いている。思い切って木曜日に山に行って本当に正解だった。あれは奇跡の晴れ間だったのだ。コロナ過と関係はないのだがヒマなので昼からソファーに寝っ転がって本を読んでいる。生島治郎『浪漫疾風録』が面白かったので、1960年代初頭の早川書房周辺で生きた人たち、常盤新平『遠いアメリカ』、小林信彦『夢の砦』といった青春自伝小説を読んでいる。同じ会社、同じ町、同じ時代の空気を描いているのに、作家によって表現はまるで違う。面白い。

7月12日 60年代の話。60年代は私の10代。親と教師と同級生と近所の先輩たちが教えてくれる世界が唯一の「社会の窓」だった。60年代初頭、東京でミステリーマガジンの編集者だった生島治郎や常盤新平、小林信彦の本では「ハンバーガー」や「ピッツァ」がどんな食べ物なのか、意味が分からず首をかしげる編集者や英語の専門家の翻訳家たちの苦悩の姿が描かれている。「レジャー」という言葉もアメリカの小説には「時代のキーワード」のように頻出する。でも誰もその意味が分からなかったという。当時の最先端の東京の編集者たちもこんな程度のことで苦悩していたのだ。なんだかホッとするね。

7月13日 相変わらず1週間が早い。ここ10年間、年4回、一度も休むことなく全国の愛読者に向けて新刊案内などの通信を発行し続けてきた。それが去年暮れ、紙版をやめデジタル版に移行させるため、紙版発行をやめていた。それをもう一度やってみる気になった。これを数千部印刷し配送するには何十万円の費用がかかるが、本の注文も同じくらいある。だから損はしないが、これがけっこうしんどい作業なのだ。年1回か2回なら可能な気もするが、最終的には電子版というところに落ち着くのは目に見えているが、でもやってみよう。

7月14日 秋田駒ケ岳の登山道で男性2名がクマの親子に襲われた。8合目の山小屋からわずか100mほど登山道を登った地点だという。今週中に仲間たちと「駒ケ岳にでも行きましょう」と話し合っていただけに、このニュースはショックだ。クマは確実に人里近くに定住をはじめている。人間の生活の匂いがかすかに残る場所に彼らは身を潜めているのだ。これは恐怖以外の何物でもない。ひとりでのんびり自然を満喫する、なんていうロマンチックな行動はほとんど不可能になりつつある。

7月15日 新宿のライブハウスの舞台クラスターのニュースを見て、これは舞台ではなくホストクラブでしょう、と半畳を入れたくなった。同じ舞台人の歌舞伎やプロの役者からに激しくこのアイドル系の舞台と「一緒にしてほしくない」と批判が上がっているのはよくわかる。ホストは日の当たらないアイドルなのかもしれない。

7月16日 なんだかスッキリしたくて家や事務所にある小銭をかき集めた。それを銀行に持ち込んだら「大きな紙幣に替えるには費用が掛かります」といわれた。カードに入金してもらったら「13046円」。明細を見ると500円硬貨7枚、100円は63枚、50円は34枚、10円が134枚、5円が23枚、1円が91枚。10円が圧倒的に多く次が100円玉だった。硬貨枚数は合わせて352枚。1万3千円って、自分にとってどんな価値のある金額なのだろうか。

7月17日 この日しか晴れ間はないとの判断で鳥海山の小峰・笙ヶ岳へ。故藤原優太郎とよく行っていた吹浦口登山口ではなく稲倉山荘象潟口からのスタートだ。金曜日なのに天気が良かったせいか、けっこうな人手にビックリ。ニッコウキスゲをはじめ、赤、青、白、黄の花々たちがこれを先途とばかりに咲き誇っていたこと。花々に歓迎され天気も良く、おまけに雪渓が多くあるので山の風が冷気を帯びて冷たく絶好のコンデション。3リットルのウォーターパックを用意していったのだが半分も飲まなかった。こんな気分のいい山行は年に2,3度しかない。
(あ)

No.1012

医学生
(文春文庫)
南木佳士

 コロナ騒動で自粛の期間中、ずっとこの著者の昔の本を引っ張り出して読んでいた。気分的に新しい本を読む気になれなかったこともあるが、この著者の本の、安定した質に身を預けてしまった。南木は最も好きな作家の一人だ。なぜこの作家の本が好きなのか、読み返すとわかる。「駄作」がないのだ。眼を低くして、踵を地につけ、舞い上がらない。気負わず、背伸びしない、という文学的覚悟が処女作以来、作品の水準を支えてきた。それと重要な要素はやっぱり「食うために濫作する必要がない」ということだろう。逆に言えば、ほとんどのプロの作家は「食べていくために意に沿わない本も書く」人たちなのである。本書は初期の代表作に数えられるものだが、うかつにも読んでいなかった。なにせ舞台が秋田市広面にある秋田大学医学部である。1970年初期の物語なので、私自身とかなり重なる同じ環境のなかで書かれた小説なので、少し読むのが怖かった。最初から最後まで「秋田」という舞台が重要でネガティブな意味を持つ物語という予備知識も読むのを憚られた理由だ。でも読むと傑作だ。すばらしい青春成長小説なことは間違いない。

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