Vol.1039 20年11月28日 週刊あんばい一本勝負 No.1031

不況は飲食店を直撃する

11月21日 晩酌の定番は「小番(こつがい)」という本醸造酒だ。値段も手ごろでぬる燗で飲む。自分の身体にピッタリとあったうまい酒だ。由利本荘・矢島にある酒蔵(出羽の富士)で杜氏さんの名前を酒名にしたのだそうだ。甘口でスルリと身体に入るのでほんわかと幸せで温かな気分になる。「和食みなみ」に、この酒をボトルキープしようと思ったが、エラソーな常連客風のやり口はヤボだ。昨日は「みなみ」のカウンターでおとなしく呑んでいたが、メニューに「小番あります」の文字があったので、カウンターからずり落ちそうになった。うれしい。この酒は秋田市では駅前のS酒店でしか買えない。「みなみ」に通うのが2倍楽しくなった。

11月22日 今日の山行は房住山。いまは朝の5時。運転手でもあるので昨夜は早めに就眠、体調はいい。最近は苦手の早起きもそれほど苦ではなくなったが、「眠られない」と思い込んでしまう癖は治らない。朝ごはんは冷凍していたご飯をチン、半分を卵かけ、残りをお茶漬けにして食べる。流動食のようなものだ。天気がちょっと心配だが、雨の産呼応もそれなりに乙なもの。ではいってまいります。

11月23日 一緒に山に登っているA長老が「最近は山に登っていても登っているのか下っているのか、よくわからない」とおっしゃった。山の達人の境地になりランニング・ハイならぬクライミング・ハイの状態だというのだ。「いやいやそれは単なるチホー(痴呆)でしょう、チホー登山ですよ」とまぜっかえすと、若い者は理解できんとばかり無視。A長老は迷言のヒットメーカーだ。先日も毎年登っている山が「年々標高が(勝手に)高くなっている」とぐちる。去年は軽々と山頂に立てた山が、今年は息切らしてヨレヨレになって登る。老化と言ってしまえば身もふたもない。やっぱり山は毎年高くなっているのかもしれない。A長老の言葉には含蓄がある。

11月24日 昔、秋田大学医学部の学生がアルバイトに来ていた。彼女は言葉の端々に「エビデンス」という言葉を多用した。「タバコの害ってエビデンスがないんですよね」とか「その会合のエビデンス次第ですね」といった具合。なるほど、この言葉は医療関係者たちの日常語だったのか。最近はいたるところで「デフォルト」という言葉が飛び交っている。「あ、それデフォルトですから」と若者にバカにされたり、印刷所から「その枠をデフォルトにしましょう」という具合に使われる。外国語を日常語に暖用することを嫌う向きもあるが、エビデンスもデフォルトもけっこう適切な意味とタイミングを包括した言葉だ。日本語で「結果」とか「基本設定」のように言い切ってしまうと意味が限定的になるからだ。けっこう使い勝手のいい外来語なのかも。

11月25日 前歯にガタが来た。久しぶりに歯医者さんへ。歯医者さんに行くのは抵抗がない。一回の治療でほぼ完治するような仕組みになっているからだろう。一回でダメなら週一回の治療が続く。いまはほとんど大きな問題箇所はないので、その日のうちに治ってしまう。その気楽さがいいのかもしれない。歯医者に行くのはいいリフレッシュで、ほとんどマッサージ感覚だ。

11月26日 日本シリーズは4戦で決着。テレビ観戦の楽しみがなくなった。プロ野球中継はよく見るが地域柄、巨人戦が多い。そのプロ野球がつまらなくなったのは「TVで巨人戦しか見てないから。OBの説教じみた解説とアナウンサーの不必要な絶叫が野球を安っぽく見せている」(奥田英朗)というのはその通りだ。球場で直接ファンのチーム選手を罵詈雑言でやじるのは「選手の凄さを想像する物差しをちゃんと持って畏敬の念があるから」とも奥田は言う。選手を呼び捨てにするのはそれが屋号だからで、屋号に「さん」はおかしい。知り合いでもない選手をやじる行為は逆に「選手をレスペクトしているから」という奥田のスポーツ論には共感点が多い。プロ野球チームの存在しない田舎に生まれたことを、ときどき悔やむ。でもTV観戦でもそこそこの満足感はある。

11月27日 歯医者で治療後、夕食を食べようと同じビル内の居酒屋に行くと「休業中」の貼り紙。隣の店にも同じ張り紙があった。やむなく前に行ったことのある赤ちょうちんを目指したが、何とここも閉まっていた。定休日の表示がないから辞めたのだろうか。しょうがない、全国チェーンの居酒屋に入った。客はいないのにメニューの3分の一に「売り切れ」のシールが貼っていた。出てきた料理はチンしただけのレトルト料理で安くて速いだけのエサだ。少しマシな店は100パーセント予約なしでは入れない。不況のしわ寄せは飲食店を直撃する。職を失った飲食関係者に次の働き口はあるのだろうか。
(あ)

No.1031

サウスバウンド
(角川文庫)
奥田英朗

 奥田英朗という作家を一言でいうと映像やゲーム、マンガよりも小説の優位性を高らかに証明した存在だ。私にはそう思える。本書は子供の目から描かれた家族小説だ。自称作家で仕事もせず、反権力の過激派で公安にいつもマークされている父親。小学6年生の主人公・二郎にとってやっかいながらも嫌いになれない不思議な父親だ。二郎には不良中学生との戦いや、家の家計への心配、母親のヒミツや妹のことなど、子供ながらも悩みは尽きない。そんな家族がある日突然、沖縄の西表島に移住することになる。しかしここでも父親のトラブルは絶えない。リゾートホテル建設業者との反対運動、市民運動家との確執、学校の転入問題、新たに分かった家族の秘密……こうした出来事が子供の目を通して鮮やかに描かれていく。とにかく湿っぽさのない痛快さがずっと風のように吹いている爽快な家族小説だ。ちょっとありえないようなシチュエーションであっても、小さなディテールの積み重ねで、なるほどこれもありかな、と思わせる著者の筆力はさすがだ。読み終わるころには涙が止まらなくなる。小説が一番効果を発揮する心理描写を徹底的に駆使し、登場人物たちの葛藤をダイナミックに際立たせる力がこの作家には備わっている。

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