Vol.1246 2024年11月16日 | 週刊あんばい一本勝負 No.1238 |
「苦海浄土」を読了した! | |
11月9日 珍しくブレザー着用で横手まで行ってお話をしてきた。帰りに横手の友人を訪ねたら、ピースボートで一人世界旅行中とのこと。彼は私より5歳ほど年下で、にかく活動的な人だ。社交的で、一瞬で初対面の人と友達になれる特技を持っている。まちがいなく定年後の生き方の見本のような人だが、彼の持っているキャラクターは誰でもが持てるものではない。でも彼のアクティブな行動力を見ても羨望はない。彼しかできないことをやっているだけなのだ。あんな人生でも不満や不平、他者への嫌悪はあるのだろう。
11月10日 土曜日なのに、年一回の庭の選定作業。車のディーラーさんが来舎したり、週日よりもバタバタした週末。夜はお世話になっているFさんへの感謝を込めて駅前のチェーン店「串カツ屋」で軽くいっぱい。もう脂ものは体が受け付けないのだが、たまにはこうした店で、老いさらばえた心身を活性化させるのも意味ないことではないだろう。日曜の今日は快晴だ。 11月11日 夜の散歩中、信号のない横断歩道で2回、連続で轢殺されそうになった。一度目は若者が、別の車に気を取られ、クラクションを鳴らしながら猛然と横断歩道に突っ込んできた。人(私)がいるのに気がついて急ブレーキ。危なかった。2分後、別の横断歩道で、今度は軽自動車がゆっくり横断歩道に侵入。私を確認すると、なんと逆にスピードを上げ突っ込んできた。ブレーキとアクセルを踏み間違えたのだ。ドライバーは老女で接触ギリギリで止まった。「くわばらくわばら」と昔の漫画雑誌で読んだようなセリフがおもわず口から出た。「くわばら」というのは確か、雷さまが嫌いな「桑」のことで、雷を防ぐための呪文だった、かな。夜の散歩はもうこりごり、本当にやめなければ危険だ。 11月12日 めでたく「後期高齢者」の仲間入りしたが、出版の師匠だと思っている津野海太郎さんが、ジブリが発行する雑誌『熱風』に、「もうじき死ぬ人」というエッセイを連載中だ。津野さんに言わせると、後期高齢者の75歳は要するに老人の入り口で、老人には出口というべき「もうじき死ぬ人」という80代中盤の年齢層が存在する、のだそうだ。この年になると「老人でいるのに飽きてしまい」、すぐそばに死が近づいているのがわかる年頃だという。津野さんは私のちょうど10歳年上。なるほどなあ。 11月13日 家の2階の屋根のハリが落ちてきた。根元の木が腐っているので、改修工事は大変だなあ、とユーウツな気分になった。災害保険が下りるかも、と保険会社の人に来てもらうと、「大丈夫です」との返事でホッとする。建築現場の人手不足が云々される昨今だが、うちにはお世話になっている工務店があり、すぐに動いてくれそうだ。大都会だとこうはいかないだろう。 11月14日 秋は到来物が多くなる。今週もネギやダイコン、自分で釣ったという大きなタコの足をいただいた。タコの足は初日はカルパッチョで、2日目はお刺身でいただいた。催促するわけではないが「キノコ系」の到来物はまだない。いただいたらどんな料理で食べようか、今からつばを飲み込みながら考えている。キノコといえば、やっぱり鍋だろうな。鍋といえば少年の頃よく食べた「芋の子汁」を、今年はまだ食べていない。なめこ入りの芋の子汁というのも、いいなあ。 11月15日 石牟礼道子『苦海浄土』(講談社文庫)をようやく読了。7章立ての本なのだが、毎日1章ずつ読み続け、ちょうど1週間かけて読み終わった。最初の「椿の海」の出だしが「山中九平少年」の話で、たまたま彼の生年が私と同じ昭和24年。こんな小さな事実が、この幻想的で詩的な、かつ難解な熊本弁で綴られた名作を読み続けられた、きっかけになった。少年は16歳で、大の野球好き。でも目も耳も不自由で、言葉も話せない。ここを入り口に石牟礼の道案内に導かれ、人類が経験したことのない産業公害の悲劇の世界に迷い込んいく。崩壊し、引き裂かれる患者とその家族たちの現実が時としてユーモラスに描かれているのだが、凄惨なノンフィクションを予想して、身構えて読み始めたのだが、それは裏切られる。美しい「水俣弁」の詩的洗練された言語空間が、そこには広がっていた。聞き書きでもなくルポルタージュでもない。石牟礼道子の私小説だ。最終章「満ち潮」に登場する茨木妙子のタンカにおもわず涙した。チッソ社長が謝りに来た時の、妙子の挨拶なのだが、ほとんど高倉健の任侠映画のラストシーンなのだ。 (あ)
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