Vol.1247 2024年11月23日 週刊あんばい一本勝負 No.1239

初雪・ひこばえ・昭和のモノ

11月16日 明日から天気が崩れそうなので前岳・金山滝コースに挑戦してきた。駐車場は珍しく満杯で、路上駐車の車も。山中の気温は17度前後で、心地いい風もあり、水をほとんど消費しない最高の環境だ。登り2時間ジャスト、下りは1時間20分という理想的なコースタイムで山行を終えることができた。下山途中、F女史と遭遇、雑談。木々から葉っぱが落ち、眺望がよくなり、登山道も広く、歩きやすい。今月初の山行だったが、まったく体力は落ちていない。ノンアルも体にいい影響を与えているのかもしれない。ミスは時計を忘れたこと。時計は山行ではけっこう重要な役割を果たしている。

11月17日 昨日の山行で不思議な体験をした。前岳は標高が低いのに結構ハードな山だが、昨日は、「あれ、もう女人堂、もうちょっとこのまま歩いていたい」と思ったいる自分がいて驚いてしまった。山歩きというのは自然環境と体力とが、どれだけうまくシンクロするかが、かなり重要なファクターだ。「……早く着かないでほしい」なんて、山を歩きをしながら思ったのは久しぶりだ。もうこんなことはないかもしれない。

11月18日 10日ほど前、散歩中に立ち眩み。「えっ脳梗塞?……」と不安に襲われた。付け焼刃だがデスク横に常備している「応急手当ハンドブック」を読んでみた。いざという時の一次救命措置というのは、けっきょく「119番とAED(自動体外式除細動器)」の二つしかない。ケータイを持っていない自分はどうやって119番を呼ぶのか、大きな問題だ。やはりケータイは必携なのか。「AED」に関しては、よく理解できた。目の前に現物を出されても躊躇なく作動できそうだ。でもアクシデントが起きたら、その時はその時。できるだけ体調不良を起こさないよう備える。これが一番の方法のようだ。

11月19日 朝起きたら2階から見える屋根が真っ白、初雪だ。年々、年とともに寒さに弱くなっていく。昨日、郊外を車で走っていたら、見渡す限り、青空の下、青々とした田んぼが広がっていた。ちょっと見には「今は田植えか」と錯覚するような光景だ。この時期に「青々」という表現も変なのだが、要するに「ひこばえ」である。初雪の季節に、昔もこんなふうに青々とした田んぼが広がっている風景は、記憶にない。初雪と、まるで田植え時のような青々とした田んぼの取り合わせは、何とも奇妙な印象だ。このひこばえを利用して雪国でも「二期作」ができないか、という稲作研究のニュースがあったの。ひこばえの米っておいしくなさそうだ。

11月20日 『桐島聡逃げる。』という本を読んだ。サブタイトルは「悲しき49年の逃亡生活」だ。連続企業爆破事件のテロリストとして今年、死の3日前に本名を明かして逝った人物の、その謎の潜伏生活を追ったもの。久々のタイムリーなノンフィクションだな、と期待大だったのだが、自分の期待したものとは別物で、釈然としないまま、それでも最後まで読んでしまった。ところで、新しいパソコンになってから、異常なほどクソメールが増えてしまった。これも腹が立つ。毎日、50件ほどのゴミを削除するのに、けっこうな時間を奪われている。なんかいい方法はないのか。

11月21日 友人が「もう、この年になると食べ物のいただきものは有難迷惑だね」という。食べるものは年とともに決まってきて、かつ少食になる。豪勢なブランド食品をもらっても、もう「腹が回らない」。食指の動かない食べ物をもらっても「誰にもらってもらおうか」と悩むことも多くなった。毎年、お世話になっている数名の方にお歳暮のようなものを届けている。やはり食べ物だ。来年から、それはもうやめようと思っている。友人の言葉には説得力がある。

11月22日 「置き本」の命名者は故・池内紀さん。要するにトイレの中で読む本のことだ。私も数冊をトイレに置いておき、その日の気分でパラぺらページをくくるのが日課だ。今の置き本は、出久根達郎『隅っこの昭和−−モノが語るあの頃」(草思社文庫)。昭和といっても戦後の話。モノの欠乏から戦後は始まり、モノが過剰に出回って昭和は終わる。わらづと、ちゃぶ台、ざるにたらい、ズロースもあれば肥後守、往来手形にDDT、練炭、七輪タブ、福袋と、味わい深い100篇近いエッセイで構成された昭和への愛借文集である。なかには「竜馬暦」「麻幹(おがら)」「特攻花」といった、こちらが全然見当のつかない「モノ」も交じっている。
(あ)

No.1239

苦海浄土
(講談社文庫)
石牟礼道子
 7章立ての本なのだが、毎日1章ずつ読み続け、ちょうど1週間かけて読み終わった。最初の「椿の海」の出だしが「山中九平少年」の話で、たまたま彼の生年が私と同じ昭和24年。こんな小さな事実が、この幻想的で詩的な、かつ難解な熊本弁で綴られた名作を読み続けられた、きっかけになった。少年は16歳で、大の野球好き。でも目も耳も不自由で、言葉も話せない。ここを入り口に石牟礼の道案内に導かれ、人類が経験したことのない産業公害の悲劇の世界に迷い込んいった。かろうじて散文として抑制が保たれつつも、ほぼ詩文の世界といったほうがいい。崩壊し、引き裂かれる患者とその家族たちの現実が時としてユーモラスに描かれ、凄惨なノンフィクションを予想して、身構えて読み始めたのだが裏切られる。エコロジーや反公害、土着主義といった世界観とはまるで無縁の、美しい「水俣弁」の詩的洗練された言語空間が広がっていた。聞き書きでもなくルポルタージュでもない。石牟礼道子の私小説なのだ。最終章「満ち潮」に登場する茨木妙子のタンカにおもわず涙する。この本を公害悲惨告発のルポだとか、怨念の書だというのは「粗雑極まる感性」で、逆にそうしたことを拒む自律的な文学作品として読まれるべき、という渡辺京二の解説に納得。

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