Vol.436 09年1月24日 週刊あんばい一本勝負 No.431


読書家と佐藤信淵

 かなり時間がたったので書いておきますが、ある読者から長い手紙をもらいました。内容は、小舎の本を読み、(社交辞令なのでしょうが)誉めてくださっているのですが、「自分は公務員で、本に割ける金はない。すべて近所の図書館で借り、館になければリクエストを出して買わせています」と得々と述べています。正直なところ不快と諦観のまじった感情が渦巻き、ユーウツな気分になりました。貧しくて本を買えない人がいるのはわかります。図書館で本を借りることにも依存はありません。が、この人は公務員といってもかなり上の部類に属する、普通の生活をしている読書家のようです。そんな人が、本を書いた人(の生活)や街の書店の事情、零細の版元の現実に、まったく考えが及んでいないことに、かなりのショックを受けたました。この人は、ただ単に読んだ本の感想を述べたかっただけなのかもしれませんが、それにしては配慮に欠け、独りよがりで、自慢げな長い手紙に、うがった見方や半畳のひとつも入れたくなってしまいました。
 個人的な興味から「戊辰戦争」のことを調べています。ご存知のように秋田藩は土壇場で奥羽越列藩同盟から離脱、新政府軍につくわけですが、このとき佐竹藩主が選んだ選択には、直接間接にご当地生まれの平田篤胤国学の影響があったとされています。このへんを調べていたのですが、思わぬところで同じ秋田出身、当時の日本思想史に偉大な足跡を記した、といわれる佐藤信淵という人物に興味が移ってしまいました(信淵は平田の弟子でもある)。
 信淵について書かれた小説(たとえば杉浦明平「椿園記」など)を読むと、その多くが、ほら吹き、エゴイスト、頭の粗雑な田舎モノ、といった共通した像が描かれています。わが秋田ではいまも偉人として尊敬されているのですが、評伝を読む限り、かなりいい加減な、行き当たりバッタリ、口八丁手八丁のサギ師です。明治維新後、信淵の思想は明治政府の官僚に注目され、大久保利通などは江戸の改名に際し、信淵が唱えていた「東京」という地名を採用した(という推測)、なども地元では伝聞されているのですが、この人物は思想家や学者といった範疇からははみ出た「異形の人」であるのはまちがいないようです。「日本の名著」(中央公論社)にも平田と同じ巻に信淵の著作「鎔造化育論(抄」も収録されています。これはいわば一種の宇宙論で、その宇宙の中心は日本の天皇、といった内容です(まだちゃんと読んでいないのですが)。
 信淵ファンや生まれ故郷の方々は不快な思いをするかもしれませんが、信淵を「トンデモ男」として激動の時代とともにとらえなおしたら面白いのでは、というあたりが、小生の興味の正体です。
(あ)

No.431

自分探しが止まらない(ソフトバンク新書)
速水健朗

 若者たちの「自分探し」になんて、実は何の興味もない。なのに読み始めたのは、新聞にこの著者が「若者の東京志向が消えた」という興味深い記事を書いていたからだ。この頃の若者は東京に興味を失っている、のだそうだ。2年ぐらい前、ある人が「若者は車に興味をしめさない」という発言もあった。若者を通して見える「今」は直截的でわかりやすい。若者に触れ合う機会の少ない身としては、こうした若者を通して現代の断面を具体的に解説してくれる本は、大歓迎である。本書では、世の中にはびこる若者の「自分探し」を具体的な現象を例にとりながら解明している。海外放浪、路上詩人、自己啓発ムーブメントやフリーター……ここからは確かに日本の現在の段面が鮮やかに浮き上がってくる。夢を追っているうち落とし穴へ転落していく若者たちにも言及しているが、批判的な目を向けるわけでもなく、淡々と多くの事象を紹介している冷静さもいい。少し驚いたのは、こうした自分探しの「源流」を、あの猿岩石の「電波少年」というテレビ番組に見ていること。この視点は新鮮だった。そうか、あのバラエティー番組はそんな時代的背景と要請をもって生まれてきたものなのか。確かに「世界の中心で、愛をさけぶ」とか「電車男」「恋空」といったよく意味のわからないベストセラーも、若者の「自分探し」として読むことができそうだ(読む気はないけど)。

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