Vol.482 09年12月12日 | 週刊あんばい一本勝負 No.477 |
女子高生とファッションと小売業 | |
ずっと長く「ふしぎ」に思っていたことが溶解した。 もう40年も前のこと。生まれ故郷の秋田県南部の人口3万に満たない湯沢市から県都・秋田市に移り住むことになった。大学入学のためである。 めでたく大学生になり、新入生の自己紹介があった際、同じ新入生の女子学生たちの美しさ、スマートな身のこなし、垢ぬけた服装センスに、度肝を抜かれた。その美しい女性たちは秋田市の女子高出身者のグループだった。これまでの人生で見たことのないカッコイイ女性たちで、生まれ故郷で接した女子高生たちとはなにもかも雲泥の差があった。 といっても湯沢の女子高生たちも私にとってはまぶしいくらいにきれいで近づきがた存在だった。制服に真っ白い帽子(国体の選手が被るようなチロリンハット風のも)をかぶり、美人が多く、近隣地域でもオシャレとして高名な女子高生たちだった。それなのに、もっと……ショックは大きかった。 「まったく別の生き物ではないのか」とさえ感じてしまった、あの「格差感」は、いったいどこから来たものなのだろうか……これが40年間じっと「ふしぎ」に感じていたことだ。いまはすっかり秋田市民になり仕事柄、日本全国を歩いている。だから確信を持って言えるのだが、秋田市の若い女性たちのセンスが、特別にいいわけはない。逆に現在では秋田市と湯沢市の若い女性のファッションにほとんど差はない。東京の若い女性と比べても、当時のように極端な地域格差や乖離感を感じることは、ない。とすれば、若いころに感じたあの異常なまでの「格差感」は、なんだったのだろう。 先日、湯沢市のお隣の町・横手市の居酒屋で同年輩の友人たちと歓談した。横手市の友人が「若いころ、湯沢の女子高生たちが垢ぬけてきれいで、憧れだった」ときりだしたのに驚いた。横手市は湯沢市より大きな町で、もちろん高校の数もずっと多かった。しかし湯沢にあって横手にないものがあった。そのため横手の女子高生ファッションは湯沢に差をつけられ、圧倒的に見劣りしていた、と友人はいうのだ。当時、湯沢の小さな町には、町とそぐわないほど大きな洋品店があった。「大丈」というミニ・デパートで、呉服屋さんが大きくなった洋服屋さんである。その「大丈」の存在が若い女性のファッションに決定的に影響を与えた、と友人はいうのだ。横手にその手の大きな洋品店はなかった。が、昭和40年代後半になると、秋田県の南部では逸早く、横手市にジャスコが進出した。これで若い女性のファッションセンスは一挙に逆転、横手がトップになり、湯沢の女子高生に憧れる雰囲気は消えてしまったのだという。 「小売業の力ってすごいよね」というのがその時の友人の結論だった。 そうだったのか。40年もの間、「ふしぎ」に思っていたことがあっさり解明された。心の中に大きな穴があいてしまったような一抹の寂しさもあるが、得心がいったのも事実だ。 大きなデパートが2つもあり、洋服店も沢山あった当時の県都・秋田市と、「大丈」一店だけでもっていた湯沢市の女子高生のファッションでは、もとより勝負にならなかった。ただ、それだけの話なのである。 その証拠に、昭和も50年代に入ると日本国中に同じような洋服を売るチェーン店が出来はじめると、地域間のファッション格差は一挙に縮まった。どこへ行っても女子高生は女子高生、そこになにほどかの格差を見出すことのほうが難しくなってしまって現在にいたる。 私が目撃した光景は、もしかすると貴重な昭和の揺籃期の日本のターニングポイントだったのかもしれない。 (あ)
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