Vol.844 17年2月11日 週刊あんばい一本勝負 No.836


新入舎員に編集のイロハを教える

2月4日 新入舎員に編集のイロハを教えている。事務的、雑用的な仕事ばかりしてもらっていたのだが、先日の原稿手直しでホトホト自分の「頭脳の体力」(知力とはちょっと違う)が落ちていてことを自覚。このまま自分が独占的に編集をやっているといつか事故が起きる。とりあえず新しい本の編集を3本ぐらいを担当してもらう予定。そのことを仕事先の印刷所のオヤジにも報告したら、「うちも俺じゃなく若いKと直接やってくれ」と言われてしまった。印刷も製本も取次も書店も周りはどこも世代交代か、後継者不足からの廃業を考えている。後継者がいるだけでも贅沢と言われる世界だ。いや後継者がいればその将来まで憂慮しなければならないから、いっそ廃業のほうがさっぱりしていてうらやましい。でも借金があるため容易に廃業もできない業者も少なくない。

2月5日 動物園のある大森山の山中をスノーハイク。初めて行く場所。スノーシューならどんな場所にも行ける。動物園から逃げ出したライオンと山中で偶然出くわす場面を夢想してワクワク。朝は「吉野家」の朝定食が食べたくなった。隣に訛りのキツイ老人が座った。彼はいきなりビールを頼んでケータイで「これから迎えに行くがら」と話し出した。飲む前から酔っている雰囲気だ。彼は明らかに車で来ている。店員は興味なさそうに注文を受け、あとは知らんぷり。こんな酔っぱらいジッコに車でひかれたら死んでも死にきれないなあ。レジで「酒酔い運転ではないか」と店員に注意しようと思ったが、もしそうでなかったら騒動になるのでやめた。朝から気分が悪かった。

2月6日 日曜日は下山後にビールを飲むのが楽しみ。でもビールはこの日だけ。あまり好きではないのだ。世界的には濾過も熱処理もしていないビールを「生(ドラフト)」という。日本のビールは缶も瓶も樽もすべてフィルター処理のみで熱処理をしてないから分類は「生ビール」。フィルターで濾過して酵母や微生物を取り除いている。これを缶や瓶や樽に詰めなおしているだけだ。だから缶も瓶も同じ生ビール。ビール飲みにはこの事実を知らない人が多い。生ビールはやっぱりうまいね、なんて言う御仁も多いが瓶も缶も同じ「生ビール」だ。日本にはドイツのようにビール純粋令のような法律がない。だから副原料(スターチやカルメラ)も使い放題。「第三のビール」は発泡酒など口当たりのいい言葉が使われているが「ビール風味の焼酎」のこと。

2月7日 歯も痛くないし膝や腰も快調。少し眠りが浅いが不眠というほどではない。食欲はあるし便通もいい。体重は設定より高めだが変動幅は少なめで安定。暴飲暴食も影を潜め酒量は「ほどほど」を維持。毎日1万歩は歩くし週末は山で汗を流す……と書くと、いうことのない健康生活だ。でも普段は前述のうちのどこかが壊れている。歯も腰も膝も体重も散歩もスノーハイクも何の「問題なく動いている」というのは期間限定の奇跡のようなもの。散歩で駅まで歩くと、かなりの確率で身体の不自由な人たちと遭遇する。身体が自由に動かせるだけで十分幸せなのだ、と自分に言い聞かせているのだが、事務所に帰ってくると、その初心を忘れて不満や不平をつぶやいている。心配性は母親から受け継いだ遺伝だ。ときどき亡き母を恨みたくなる。

2月8日 連日真冬日で吹雪の日々。これがわが故郷の「冬の光景」なので、とりたてて言うこともないが寒い。寂寥たるモノクロームの風景は身も心も委縮させる。そんな昨日はジェットコースターのような一日。2本の企画がボツになり、入れ替わるように新しい企画が1本。喜んだり悲しんだり。講演依頼のひとつに齟齬が生じウンザリしていたら、新しい依頼が1本あり、これでおあいこ。2本の新聞用の原稿を脱稿しホッとしたのもつかの間、あるゲラに問題が生じやり直し。最終チェックを控えているゲラ3本の、そのすべてに細かいミスが発覚、刊行予定が大幅に狂ってしまった。刊行がズレると資金繰りの問題も浮上する。それにしてもまあこれらが昨日一日で押し寄せては引いていく波のようにやってきた。体力も気力も衰えつつある身には、なんともしんどいが誰も助けてはくれない。

2月9日 忙しさと関係があるのか両肩下の胸の上がかゆい。帯状疱疹の予兆?……山行でリュックの肩紐が食い込み擦り傷ができたものとばかり思っていたが、1週間がたってもかゆみは止まらないから帯状疱疹の初期症状のようだ。ここで素直に病院に行けばいいのだが、歯医者以外は病院には近づきたくない。こうやって症状を重くさせて後悔することになる。万に一つ、放っておくと自然に治ってしまうケースもある。市販の薬を塗ってごまかそうかとも考えている。でも明日になればきっと「劇的に治っている」と信じて、何もしない。

2月10日 ほらあれ、あの文具、なんていったけ、指を湿らせるやつ。スポンジの、朱肉入れのようなものに入っている……昔のデスク上には黒いひじあてカバー(いや、これも名称が出てこない)とセットで必ずあった。最近、新聞や本の頁をくくるときしきりと人差し指を舐めるようになった。指の脂が無くなり、うまくめくれない。特に朝の新聞がひどい。そこで今日からスポンジを水に浸して指に着ける、「あれ」を使うことにした。でも指を浸しながら、その指をまた舐めたりするから度し難い。このスポンジは今も文具屋に売っている。でも、あの黒いひじあてのほうは売っているのだろうか。うだつの上がらない昭和の税務署職員の悲哀がしみこんでいる。 
(あ)

No.836

狂うひと
(新潮社)
梯久美子

 本が売れないのでお金や時間のかかるノンフィクション作品の出版は難しい。ノンフィクション好きには忸怩たる思いがあるのだが、これも時流だから嘆いてもしょうがない。と思っていたら突然すごいノンフィクションが出た。戦後日本文学の金字塔と言われる島尾敏雄『死の棘』に描かれた伝説の夫婦愛の謎に迫った評伝である。本書は650ページ、定価3000円の大部の本だが、奥付を見ると10月30日に初版発行、わずか2か月で3刷までいっている。高額なノンフィクション作品がちゃんと売れている、というのがうれしい。書店は消えたが読者は消えていない。というわけで本書の内容だが、これがすさまじい。名作『死の棘』の愛人をめぐる物語といってもいいだろう。そもそも愛人は本当にいたのか。愛人の存在を記した日記は妻にわざと読まれるように用意されたものではないのか。本当に狂っていたのは妻なのか夫なのか……といったあたりの焦点を当てた評伝の極北のような作品だ。もっとも重要な裏付けとなる直筆の資料類に著者はすべて目を通している。島尾の長男との交流があるゆえだ。この関係がなければだれもが書けなかった評伝である。膨大な未公開資料によって、主に妻ミホの生涯にスポットを当てた渾身の作品である。

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