Vol.984 19年11月9日 週刊あんばい一本勝負 No.976


アマゾン・プライムで映画漬け

11月2日 3連休は「アマゾン・プライム」で映画み放題。昨夜は『ザ・有頂天ホテル』とドキュメンタリーの『二郎は鮨の夢を見る』の2本立て。三谷幸喜の映画は日本版ウディ・アレンで、才能豊かな人だなあと素直に感心。「すきやばし次郎」のほうは外国映画(アメリカ)で、こちらもなかなか面白かった。今年の夏、この「すきやばし次郎」に行ってお鮨を食べた。料理に関しては基礎的な訓練を受けていない素人なので評価には自信がない。さすがにおいしかったが、それがどのくらいのレベルなのかまではわからない。

11月4日 3連休最後は太平山奥岳。朝8時から登り始め、獣臭の濃厚な紅葉の林を抜け、山頂にたどり着いたのは11時半。昔は2時間半もあれば山頂に立てたのだが、もう3時間半は見なければならない。でも最後まで余力を残し、足の痙攣もなく、気持ちよく登ることができた。逆に下山は昔に比べてめっきり不得手になってしまった。下りはできるならヘリでスルスルと里に下ろしてほしい、というのが正直な気持ちだ。ようやく太平山への苦手意識が払しょくできた。ここは一人でも登れる県内では貴重な山になりつつある(登山客が多いため)。

11月5日 散歩途中でどら焼きやハンバーガーを買い食いしたり、「南部家敷」のざるそばもこの夏はよく食べた。その結果、体重はじわじわと増え、止まるところを知らない。今日からまずは「リンゴ・カンテン」定食にちゃんと戻ること。さらに甘ものも禁止。「小太りのほうが長生きするよ」とはよく言われるが、小生の場合はその範囲を3〜5キロほどオーバー。中太りの世界に足を踏み入れている。身体が重くなると健康診断の数値は軒並み最悪。がんばって節制するぞ。

11月6日 ケネディはじめレーガン、クリントン、オバマといったアメリカ大統領はみんな「アイルランド系」。アイルランドは19世紀初め、ジャガイモ栽培で300万人だった人口が800万にまで増えた。それが1840年代に突然ジャガイモの疫病が発生し100万にも及ぶ餓死者を出した。ジャガイモに裏切られて人々は新大陸アメリカを目指した。その移民の数は400万人に及ぶという。その中から大統領が生まれたのだ。寒冷な土地で、冬場は家畜さえエサ不足になるヨーロッパで、かろうじて一年中豚を飼えるようになったのはジャガイモをエサにすることができるようになったためだ。ジャガイモは南米が原産でナス科の植物。日本で普及するのは明治に入り肉食が行われてから。ジャガイモと世界史はかなり深くリンクしている。今そんなテーマの本を読んでいるところだ。

11月7日 アマゾン・プライムのサービスで『ゴッドファザー』三部作を2日間がかりで観た。三部作のどれもが甲乙つけがたく面白いのだが、個人的には二作目が圧倒的だ。歴史の荒波に耐えて残る作品というのは迫力が違う。さすが二〇世紀最大級の映画芸術といわれるだけのことはある。映画に集中しすぎて今日はかなりくたびれ果てた。少しまじめに仕事するか。

11月8日 男鹿にある古い歴史を持つお寺さんの寺院史をつくっている。基礎的な仏教知識がないので四苦八苦の連続。日本仏教の流れを大まかにおさらいすると、まずは空海の真言宗があり、最澄の天台宗がある。真言宗は分派がややこしいので置くとして、私たちが身近な天台宗を中心とした関連仏教には4つの流れがある。日蓮に代表される「法華系」、道元の曹洞宗に代表される「禅系」、法然、親鸞が代表する「浄土系」、最後は真言宗ともかぶるがインドの土着ヒンドゥー教が混じった「密教系」といった具合だ。よく文献に出てくる大乗仏教というのは「誰もが念仏を唱えれば仏になれる」教えだし、小乗仏教というのは「修業を経た人間だけが悟りを開ける」という教え。今製作中の寺院は臨済宗のお寺なので「禅系」に分類できる。禅系の仏教は座禅がメインなので武家好み。武士道や茶道、華道など日本文化に大きな影響を与えた宗派だ。この寺院史が完成するころには少しは仏教知識が豊富になっているだろうか。
(あ)

No.975

失われた居場所を求めて
(三和書籍)
祖田修

 著者は1939年生まれ。70歳のときに大学での研究職を去り、かねてからの願いであった「生活三分法」の暮らしを始めた。「畑づくり」「囲碁」「研究」の日々である。2018年、イギリス政府は孤独、孤立の問題に取り組む「孤独担当大臣」を創設した、という歴史的事実から本書ははじまる。日本においても非正規雇用は37パーセントにまで上り、一人世帯の占める割合は35パーセントになっている。グローバルな経済の波動に翻弄され、結果、多くの人が貧困、格差、孤独の中で苦しんでいる。農村では若者が減り続け、都市では貧困が深刻。若者に仕事がなく、子供がまともな食事ができない「豊かな時代」とは何なのか。それはつきつめれば人間の「居場所としての故郷」が失われつつあることでもある。世界はモノ・ヒト・カネが移動してやまない移動社会になり心の故郷、魂の故郷が人々の中から消えつつある。こうして多くの人が「居場所」を失ったのが現代の無縁社会といわれるものだ。これまで人類がたどり積み重ねてきた地縁、血縁、社縁、情報縁を絆として、それらが統合された「複合縁社会」が今こそ必要なのではないのか。こうしてつながる都市と農村の交流と結合の上にこそ、私たちの居場所があるのではないのか、と著者は言う。

このページの初めに戻る↑


backnumber
●vol.980 10月12日号  ●vol.981 10月19日号  ●vol.982 10月26日号  ●vol.983 11月2日号 
上記以前の号はアドレス欄のURLの数字部分を直接ご変更下さい。

Topへ