Vol.1021 20年7月25日 | 週刊あんばい一本勝負 No.1013 |
4連休なんて、迷惑なだけ | |
7月18日 東京の感染者の数が300近いことを山行の途中で知った。ここ数年、東京に行くたびに「外国に来たみたいだ」と感じることが多くなった。とても秋田と同じ国とは思えない。人も物も金も何もかもがここにだけ集中し、それを当たり前のことのように思って暮らしている人間がいる。この思い上がりにはいつか鉄槌が下るような気が個人的にはしていた。だから東京へ行く頻度は5年ほど前からガクンと減った。このコロナ禍で東京は昔の人間臭い魅力を逆に取り戻せるのではないのか。とひそかに期待もあるが、ことはそう単純ではなさそうだ。熟れて熟して腐っていく。無常とはそういうことだ。 7月19日 山のない日曜日はゆっくり朝寝。これで1週間分の疲れがゆるりと消えていく(という妄想で元気になる)。午後からは8月に出すDM通信の原稿書き。途中、バイクで旅行中の関東の方から「事務所に寄りたい」という電話。やんわりとお断り。散歩、夕食、TVナイター観戦。寝苦しい夜だったが熟睡。身体の命じるままに生きている。 7月20日 今週は実質半分しかない。木曜日から中型連休が始まる。外出もコロナ云々で面倒だし、家で映画でも見ているしかないな。長期的にものを考える基盤が、このところ揺らいでいる。安定の悪いゴムボールの上にいるような、形容の難しい居心地の悪い日々だ。自然の中に入り込んで清涼な空気を杯いっぱいに吸い込んで、気分良く過ごしたい。 7月21日 新入舎員(息子)が母親の実家で畑づくりをしている。誰も住んでいない空き地なのだが、その整備も兼ねてのこと。地方出版と農業はよく似ている。土を耕して、そこから毎年恵みをもらう。地方の出版も似たようなものだ。いまはまだ土作りの段階のようで、SシェフやA長老のアドヴァイスや協力で毎日せっせと農作業に励んでいる。晴耕雨読というのはひとつの生き方の理想だが、このコロナ禍でそうした生き方を求める人がぐんと増えていくのかもしれない。 7月22日 梅雨が明けないので周辺にまといつく閉塞感もなかなか払拭されない。70歳にもなって自分は何をやっているのか。無力さと自責と諦観の中で、右往左往している。若い人に希望を語り続けられる大人になりたかったが、そんな力量が自分にはないことを知らされるだけの日々だ。 7月23日 一日に数本ある電話は、半分が他県の書店から「在庫の有無」の確認。もう半分は個人の電話注文。基本的にはHPで在庫の有無や品切れ本の確認はできる。メールで来る注文にはそうしたものはない。もう電話はなくてもビジネスは成り立つのかもしれない。でも声を聴いて対応しなければわからない読者側のビミョ―な「こだわり」というのもある。だからないがしろにできない。 7月24日 4連休は「もちろん」どこへも出かけない。久しぶりに出すDM通信の編集締め切りと重なり、連休前日に緊急に本の出版が決まったためだ。その本を通信やチラシ、宣伝広告に急きょ追加しなければならなくなった。本の書名は読売新聞秋田支局編『あきた地域医療最前線』というブックレットで定価は1000円。発売は8月下旬あたりになりそうだ。広告宣伝や通信には締め切りがあるので、本よりも数か月前から作業は始動する。というわけで4連休はこの新刊のアタフタ作業で吹っ飛んでしまった。 (あ)
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