Vol.1049 21年2月6日 週刊あんばい一本勝負 No.1041

映画漬けの日々

1月30日 シャチョー室の長机の椅子をピンク系のカジュアルなものに替えた。心がちょっぴり軽くなった。失敗続きでもう作る気のなかったカレーライスに再挑戦。これが見事成功した。今度は肉じゃがに挑戦してみよう。コロナ禍でもっともわが身を慰めてくれたのは料理で、日々エンゲル係数は高くなるばかり。

1月31日 新聞折込チラシに「マスク洗浄機」なるものが売っていた。使い捨ての不織布のものを使っているのだが、それとて1回で捨てず何度も使う無精者だ。山用品のモンベルでも1000円近い値段でマスクを売っていた。メガネが曇らないとのことなので買い求めたら確かに曇り度は低い。マスクの中に折りたたんだテッシュを敷けば曇らない、というネット記事も読んだが、これは効果なしだった。

2月1日 今日から2月だ。毎年毎年登る山が少しずつ高くなるように、時間も年々早く早く過ぎていく。今日は何も予定がないので散歩コースを大変更。広面から千秋公園を抜け佐竹史料館で「秋田藩・恵みとともに」という企画展。アトリオンまで歩き「馬場彬展」を観てきた。没後20年を記念した展覧会ですばらしかった。彼は90年前後に妻の故郷である秋田市に移住、2度ほどお目にかかったことがあるが、「日本の抽象絵画」を代表する人物であった。このところひどい展覧会ばかりみせられ続けたので、久しぶりに留飲を下げた気分。

2月2日 母親が使っていた方言で「とぜねなぁ」という言葉が今も心に残っている。親しい人との別れの時などに使う「寂しくなる」という意味だ。「とぜね」の語源が「徒然ね」であることを本で知りビックリした。東北だけでなく九州でもよく使われる言葉だという。ちなみに「と」は「風景が突然開けて遠くまで見渡せる」という感慨が込められた言葉なのだそうだ。広々とした荒野に一人立つ心もとない不安な気持ちが「とぜね」には込められている。

2月3日 夜はほぼ毎日、映画を1本観る。アマゾンのプライムビデオではいい映画は有料で高い。そこで昔のようにライブドア「ぽすれん」に戻すと、ラインナップがハンパなく、おまけに1本50円から100円と安い。おまけに中近東の映画や南米もの、ミニシアター系の映画が豊富だ。最近観た印象に残る映画は「人生タクシー」(イラン映画)、ジャンヌ・モローの「突然炎のごとく」、「ハンナ・アーレント」、「アスファルト」(フランス映画)、「孤独のススメ」(オランダ映画)……といったあたりか。

2月4日 本の話題が乏しいのは長編小説にかかりっきりになっていたせいだ。ひとつは垣根涼介『ワイルド・ソウル』(幻冬舎)で、戦後のブラジル(アマゾン)移民が日本政府に復讐を仕掛ける冒険小説で、実は再読だ。2つ目は桐野夏生『バラカ』(集英社)で、ドバイのスークで売られたブラジル日系人の赤ちゃんをめぐる物語で、これに東日本大震災が絡まってくる。偶然だがどちらも「ブラジル移民」が共通項だ。桐野の小説はいつもながら簡単に殺人事件が起きすぎで、軽々と人が死ぬ物語は昔から好きになれない。垣根のほうは大スペクタクル活劇で、テロリストを描いた物騒な話なのに、人は一人も死なない。だから最後はヒーローとヒロインが我がトメアスー(アマゾンの村)で劇的な再会を果たす大団円だ。

2月5日 夕食の後、散歩に出るが暴風雪。1月19日の大寒波では風速30m台を初めて経験したが、昨夜はブリザードで前が見えず、顔が凍傷になるのではと思うほどバリバリにこわばった。年とともに耐寒力は衰えているが、いまだに「寒さ」が嫌いではない。マフラーとモモヒキと耳あてとロング丈のダウンコートがあれば「寒さ」はむしろ気持ちいいほどだ。少年時代、悪さをして親父に2階の窓から外に放り投げられたことがあった。真冬で2階の窓近くまで積雪があったから、実は1mほどしか落下してないのだが、どさりと雪の布団の上に落ちた感覚は今もうっすらと覚えている。
(あ)

No.1041

出版翻訳家なんてなるんじゃなかった日記
(フォレスト出版)
宮嶋伸治

 矢継ぎ早に版元は「交通誘導員」「派遣添乗員」「メーター検針員」「マンション管理人」とはこの日記シリーズで当ててきた。タイトルと挿画の面白さで、こちらもついつい買ってしまう。でも残念ながら満足度は低い。愚痴や諦観が幅を利かせ、読むものを暗い気持ちにさせる内容がほとんどだからだろう。いや、それこそがこのシリーズの目指すテーマだ。悲哀や憂鬱があり「誰にでもなれる」「最底辺の職業」のリアルな現場は楽しいことばかりではないぞ、と言われればうなずくしかない。ちなみに前述の本にはそれぞれ「ヨレヨレ日記」「ヘトヘト日記」「テゲテゲ日記」「オロオロ日記」という言葉が続くのだが、本書では書名が劇的に変った。文筆家なので内容はあいも変わらず愚痴と不平と未練のオンパレードだが、それなりに納得のいく現場のやりとりはよく描かれている。同業者みたいなものなので言いたいことはよくわかる。編集者サイドから見れば「翻訳料のほかに印税も取るのだから、少しぐらい安くして」という気持ちなのだろうが、それがどうにも著者には許せない。登場する出版社や編集者ことごとくけち臭くて貧乏くさいのも本書の特徴だ。翻訳本を出せるほどの版元ならもっと鷹揚で物分かりのいい編集者がいるような気もするが、現場には浮世のしがない風が吹きまくっているのかもしれない。この著者は、もし良い編集者と巡り合えていれば、今も翻訳稼業に精出していたのだろうか。

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