Vol.1102 22年2月12日 週刊あんばい一本勝負 No.1094

また、アイスバーンで転倒してしまいました

2月5日 散歩の途中、防雪用ムシロで冬囲いした低木から、20羽ほどのスズメがいっせいに顔を出した。私の気配に感づいたせいだ。冬囲いのムシロの中で休んでいたのだろう。顔を出すと同時にチュンチュンとかまびすしく鳴き出した。1メートルも離れていない距離だ。まるで小木にスズメの花が咲いたような具合だ。そのあまりのかわいらしさに家にとって返し、カメラを持って戻ったが、もうスズメはもぬけの殻。目の前にこんな奇跡的なシャッターチャンスがあらわれることは、もうないだろうな。

2月6日 HPトップの「家の写真」は我が家。東側にあった隣家が取り壊され空き地になったため、我が家の横っ腹がむき出しになってしまった。隣家が消えるだけで、まるで無理やり丸裸を強制されたような風景だ。雪がとければここに新しい家が建ち、そこもまた時間とともに見慣れた風景として定着していくのだろう。

2月7日 城東地下道の坂道で滑って転んでしまった。前と違って頭を打たなかったので意識ははっきりしていたが、身体がショックで硬直、数分間まったく動けなかった。とっさに柔道の受け身をとってしまったので、両手首のあたりがキリで刺されたような痛みがある。日曜の午後なので病院も閉まっていた。夜は結局痛みで一睡もできなかった。今日の朝一番で城東整形外科へ。骨に異常はなかったが、これから2週間は痛み止めの薬と炎症用のシップで安静だ。

2月8日 両手首の痛みは鎮痛剤を服んでもすぐにおさまるわけではない。痛風と火傷の両方に襲われたような痛みで、服を着るのが一苦労だ。でも昨夜は鎮痛剤のおかげか熟睡。今日は大事をとって休みを取った。しかし午前中は寝床でウロウロしていたが、「病は気から」と思い直し午後からは出舎した。歯を磨き、ヒゲをあたって、パジャマを脱ぎ捨てたら、気持ちは一気にシャキッとした。仕事場でコーヒーを入れ、新聞の切り抜きをし、メールに返信、郵便物に目を通し、雑用を片付けていると、不思議に両手首の痛みは薄れていった。なんだか気力で病を封じ込めたようで、これはこれで気分がいい。痛いの痛いの飛んで行けぇ〜。

2月9日 朝食を終え、書斎に戻って、NHK衛星放送の再放送短縮版「グレートトラバース15min」を見るのが日課だ。観終わると仕事に行く準備をするのだが、最近はダラダラとテレビの前に座り続けることも多い。このグレトラの後、番組は「ワイルドライフ」「英雄たちの選択」「アナザーストーリー」「新日本紀行」「世界ふれあい街歩き」といった人気番組の再放送が月から金までラインナップされている。ついついもう1時間、テレビの前に釘づけになってしまう。

2月10日 身体に不具合が出ると日常作業が制約を受ける。自然に、静かに本を読んだり、映画を観たりする時間が増える。コロナ禍でもさしてストレスを感じないのは本と映画があるからだ。そんなわけで本と映画の日々なのだが、やっかいなことがひとつ。メッチャ面白い作品に出合うと「誰かにこのことをしゃべりたい」とモーレツな「教えたがり病」が生まれてしまうことだ。時代小説で初めて知った「秀吉の奥州仕置き」の舞台裏や、ほとんど映画製作しない国ウルグアイで制作された「笑わない」ことをテーマにしたコメディ映画の秀逸さも、誰かに話したくてたまらない。

2月11日 3連休の初日の金曜日。今冬初めてといっていい「青空」だ。青空にわざわざカギカッコを付ける特別感というのは、たぶん太平洋側の人達には理解できないかもしれない。家も事務所も大急ぎで窓を全開にし、新鮮な外の風をめいっぱい部屋に招き入れた。よどんだ空気が一掃され、もうこれだけで気分がいい。両手首の痛みはまだ続いているが、鎮痛剤を服んでいれば大きな支障はない。真冬の中に春が間違って迷い込んだような日だ。

(あ)

No.1094

どうやら僕の日常生活はまちがっている
(新潮社)
岩井勇気

 「ハライチ」という漫才コンビの片割れで、デビューエッセイ「僕の人生には事件が起きない」が評判になったため、続いて刊行された最新エッセイを読んでみた。芸人としての著者には何の関心もないが、片割れの方の芸には非凡なものを感じる。最近はやりの取るに足らない身辺雑記を淡々と描いたもの。小さな何でもないものを上手に掬い取る感性や、それを形のある世界観に編んでいく文章力は見事で手練れのエッセイストだ。でも田中小実昌の若者版か、といえばそこまでの才能ではない。共感するまでにはいかないのだ。巻末に小説「僕の人生には事件が起きない」が収録されているが、こちらはまるで面白くない。読み終わって気が付いたのだが、「はじめに」がこの本の評価にミソを付けている。ベストセラーになった前作を「正直10万冊なんて塵だ」と吠えているのだ。このあたりの「非常識」さが「文化度のレヴェル」をあからさまにしてしまったうらみがある。10万部という数字は出版界では大変な数だ。芸能界で人気者になるのとはわけが違う。爆笑問題の太田光が小説を書いても10万部売れるわけではない。このへんの文化的無知がエッセイに奥行きを与えていない原因なのかもしれない。

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