Vol.1119 22年6月11日 週刊あんばい一本勝負 No.1111

自分が変わらなければ、何も変わらない

6月4日 逆流性食道炎の薬をのみ始めて体調はいいが、ずっと食欲亢進におびえている。不安のもとは洋服である。着る服のことが心配なのである。ちょうど服のサイズはLとXLの間で、これまではLサイズで間に合ってきた。これが3キロ太ると服がピチピチになり、ほとんどの服をXLに買い替えなければならなくなる。「やせたい」のではなく「太りたくない」というのが正解なのだ。

6月5日 1957年に制作されたスウェーデン映画「野いちご」を観た。名匠ベルイマンのモノクロ作品で、「死」「老い」「家族」といったテーマは普遍的だ。さらにロードムービーの「はしり」といっていい映画で、これも新鮮な驚きだった。主人公の78年間の人生を1日で描くという構成も私好みだ。ドライブの同乗者も義理の娘にヒッチハイカーの若い男女3人、不毛な夫婦喧嘩ばかりする中年カップルという組み合わせ。ストックホルムからルンドまで、大学の名誉博士号授与に赴く老医師の、その名声とは裏腹な空虚な人生を、1日の出来事の中で描き切る名作だった。

6月6日 日曜日の朝9時、家に電話。まだ寝ていたのだが、高校の同級生から80周年記念誌への原稿依頼だった。それはいいのだが、同級生は私がまだ現役で毎日(週末も)仕事をしているとはつゆ考えもしなかったようだ。そこで日曜の電話とあいなったのであろう。72歳にもなって引退の気配なく、普通に仕事をしている方が世の中的には「変」なのかもしれない。もう引退して家で隠居生活をしている、と考える同級生の方が自然だ。逆に、まだまだこれからが本当の勝負、と鼻息の荒い(煮ても焼いても)食えない老人が当方だ。連絡は家ではなく事務所のほうに、以後、よろしくお願いします。

6月7日 週日ながら県北の田代岳への山行で朝4時半起き。しかし雨はやまず現地で山行を中止。大舘市周辺の観光散策に予定を変更した。こんな機会でもなければ大館の街歩きをする機会はない。桂城公園内の大舘市役所に車を止め公園内をぶらぶら。そこから花岡地区にある鳥潟会館まで足を延ばし、木造としては世界最大級のハチ公ドームを見学。市役所に戻って桜櫓館を見て、近くの石田ローズガーデンのバラ展まで歩く。石田邸があの内藤湖南や安藤省益を見出した狩野亨吉の生家であることを初めて知った。昼は駅前の「鶏めし弁当」で有名な花善へ。食後には駅前をぶらつき、昭和レトロの映画館として有名な「オナリ座」へ。少年時代の煙草の煙もうもうの映画館を思い出した。帰途は伊勢堂岱遺跡に寄り見逃していた縄文遺跡の中の唯一の「中世の空堀跡」を観ることができた。下草刈りが終わったたばかりで二層の深い空堀跡が目視できた。田代岳には登れなかったが大舘を満喫した1日になった。

6月8日 2003年、国立歴史民俗博物館がAMS(加速器質量分析法)炭素14年代測定法を用いて、紀元前10世紀後半には九州北部玄界灘沿岸地域で稲作が始まっていた、ことを発表した。弥生文化は水田稲作の文化だと習ってきたが、縄文時代にすでに稲作は行われていた。これはショッキングなニュースだった。炭素14年代測定法は、炭をはじめ動植物の遺骸から年代を割り出す手法だ。大気中には「炭素14」という放射性元素が存在する。生物は光合成や呼吸、食事などを通じて常に炭素14を体内に取り込んでいる。その生物が死ぬと体内の炭素14は徐々に減っていく。その量が半分になるまで要する期間(半減期)は5730年。約6万年前まで測定可能だというから驚いてしまう。さらに誤謬を避けるために別の方法で測った年代値とクロスチェックをして、年代数値を修正する。お米の歴史を調べていて、この年代測定法に興味惹かれた次第。

6月9日 ちょっと澱んできた空気を変えたくなり、メガネを替えてみた。5年ほど前までかけていた黒縁の重厚なものだ。ついでに散歩コースも若いころよく歩いていた医学部裏からノースアジア大学コースを回る2時間弱のロングコースに替えてみた。夜も野球中継をやめ、上映時間4時間弱という『アラビアのロレンス』を観る。アラブのオスマン帝国からの独立民族闘争を指揮したイギリス人将校の物語だ。当時のイギリスの三枚舌外交という背景を知ってからこの映画をみるのと、知らないでみるのとでは、映画の重厚感はまるで違う。ピーター・オトゥールのどこか尋常でない、イッテしまった目つきに、すごみ以上のリアリティがある。こんな機会がなければ観ることはなかった映画だ。ということで、なかなかに刺激的な一日になった。

6月10日 先日、大舘市の樹海ドーム(今はハチ公ドーム)を初めて見学。東京ドームの大きさは確か4・7ヘクタールで、これは大きさの尺度にもなっている。でも同じドーム球場でもここは1ヘクタールほどしかない。木組みによる天井は見事だが、ちょっと狭いなあ、というのが第一印象だ。ちょうど高校野球のチームが練習していた。一目でレヴェルの高いチームなのが分かった。5,6年前、1週間の休みを取ってプロ野球球団の沖縄キャンプを見学しに行ったことがあった。毎日、プロ野球チームの練習風景を見続けても飽きることはなかった。どこの球団も練習中の動きや全体の移動の流れが洗練されスムーズで、さすがプロと感心した。――あのときのプロの練習風景にそっくりだったのだ。高校生がプロと同じ動きで練習していることに驚いてしまったのだ。高校名を訊ねてみると「青森山田高校です」と応えが返ってきた。なるほど、納得だ。でも、この日は週日だ。かれらはなぜ学校ではなく、このドームにいるのだろうか。
(あ)

No.1111

寡黙なる巨人
(集英社文庫)
多田富雄郎

 書名の意味は「自分の中に(障害によって)新しく生まれつつある不思議な生き物」のことだ。いくら何でも自分のことを「巨人」と呼ぶ著者はいない。この新しい生き物は鈍いし寡黙だが、少しずつその巨人は形のあるものになりつつある。世界的な免疫学者である著者は、2001年、旅先で脳梗塞に襲われ、死地をさまよって生き返り、重度の右半身の麻痺と摂取障害、言語障害の後遺症を持つ身となった。壮絶な闘病記だが、中でも特に「愛国心」や「信仰」「皇室」などに関して真正面から向き合っている随想には共感が持てる。国を愛する心は、自国の文化を享受し、生まれた町や村を懐かしみ、国の歴史を客観的に見ることから、自然発生的に生まれる。押しつけ教育では育たない。天皇は祭祀者として日本文化の奥深くに流れるアニミズム、エコロジーの思想に重要な役割を果たしてきた。明治時代に定められた皇室典範などにとらわれ、女帝を禁じたり、天皇を大元帥として三軍の長にする愚はたくさんだと怒る。長い歴史を生きのびてきた、宗家としての伝統やしきたりのほうが政治的配慮によるにわか作りの法律よりうまくいくに決まっている。政治や権力からやっと自由になった皇室が、本来的な意味で日本文化へ果たす役割がはっきりとしてきた、というのが著者の考えだ。なるほど明瞭だ。

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