Vol.1123 22年7月9日 週刊あんばい一本勝負 No.1115

やっぱり庄内はいいなあ

7月2日 朝4時起きで酒田へ。友人の写真家Sさんと鶴岡・羽黒山の古道(階段ではない裏登山ルート)を歩くためだ。庄内はもう梅雨が明けて猛烈な暑さ。登山客は我々だけで静かな古来からの参詣道を1時間半かけて登ってきた。アカショウビンや猛禽類、イノシシの泥遊び跡、ドクダミやエゾアジサイの咲き誇る森の中を、たっぷりと堪能。下山後、近くにある明治維新の鬼っ子・清川八郎の記念館を訪ね、さらに欲張って最近できたばかりの酒田駅前の市立図書館も見学。それでも飽き足らずなんと土門拳記念館にまで足を延ばしてきた。夜は庄内の山の後に必ず打ち上げをする中華料理店「香雅」。もう息子さんの代に替わっていたが、父の味を引き継いで、相変わらずおいしい。長い庄内の一夜だった。

7月3日 ホテルはいつものリッツ&ガーデンだが朝バイキングがコロナのため中止、定食型式に替わっていた。朝一の飛島行きの船を予約していたのだが「波が高いため航行できない」とのアナウンス。飛島を一人で歩き回るつもりだったが予定がすっかりくるってしまった。そこで最近、鶴岡にできて話題になっている「スイデンテラス」というホテルを見学に。ネットでみるとまるで巨大な空中楼閣で、建築家・坂茂の手になる渾身の作品といっていい。鶴岡駅前でしばし休息。駅前で日蓮関連の宗教団体がアジテーション。あまりの過激な内容に「オウム真理教」を連想してしまった。帰途、国道沿いにある前から気になっていた「石原莞爾墓」を見学。なるほど石原も大変な日蓮信者だったようだ。

7月4日 最近あまり商品の宣伝コピーが話題になることがない。メディアが多様化し、ひとつのもの(言葉)に夢中になる環境がなくなったのも原因だろう。若いころ、「おいしい生活」や「人間は犬に食われるほど自由だ」「私はコレで会社を辞めました」「想像力と数百円」とか、まあ見事に時代の空気を切り取り、言語化したコピーがいろいろあった。岩波新書の新刊『読書会という幸福』(向井和美)のオビ文コピーは「わたしがこれまで人を殺さずにいられたのは、本があったから」。こんな直截的な惹句こそ、いま求められているコピーなのかもしれない。

7月5日 ザックに続いてカメラももう限界。先日の小白森の山行で内部に雨が入ってしまった。新しいカメラはオリンパスの「タフ」という防水機能の付いたアウトドア用のものを買おうと思っている。できれば中古品でなく新品を買いたい。

7月6日 他人と比較する習慣があまりないのだが、自分のことはけっこうケチな性分だとは思っている。でも今月に入って山用のザックを二つ買った。マムートの25リットルと40リットルのもの。さらに山で使うデジカメも思い切って買い替えた。オリンパスのタフ6というバリバリの新品だ。ザックとカメラで約10万の出費。ここ最近ではもっとも大きな買い物だ。

7月7日 天邪鬼としか言いようがない。猛暑の中、毎日のように外に出ている。クーラーの効いた机の前にずっと座っていると気が滅入る。毎日昼に食べている蕎麦つゆは御所野のイオンタウンの専門店でしか売っていない。それを買うだけのために車で出かけた。途中の駅ナカで不在者投票を済ませ、ちょこまかと文具や惣菜を買い、急いで車に戻り、事務所に戻って、昼をとる。外出はするが外でランチはない。自分で作って(そば)食べるランチがうまいからだ。

7月8日 話題の本、井川意高著『溶ける再び』(幻冬舎)を読んだ。あのバクチで会社の金106億円を「溶かした」大王製紙前会長の本だ。4年弱の獄中生活を終え、シャバに出てすぐにまたバクチをやり出し、3千万の元手で9億円を稼いだ武勇伝から、本書は始まる。面白くないわけがない。で、その9億円もすぐに溶かしてしまうわけだが、まあ一言でいえば「狂っている金銭感覚の持ち主」の一言だ。後半は井川一族排除のクーデターを指弾しているのだが、まるで説得力がない。「お前に言われたくない」というのが正直な気持ちだ。本の最後が安倍元首相との熱い(暑い)エール交換で終わっているのも、かなり気持ち悪い。
(あ)

No.1115

四国辺土
(角川書店)
上原善広

 歩くのが趣味のようなもので毎日5キロは歩く。夢は「四国お遍路の旅」、というのはウソだが、行けるなら歩きたい道ではある。だから昔から四国遍路ものの本は好きで、いろんな種類の人たちの遍路旅を紙上で楽しんでいる。そのストックに、ちょっと異色の、いやかなり過激でショッキングな本が出た。本書のサブタイトルは「幻の草遍路と路地巡礼」だ。あの「路地」の名著を連発している上原の本だ。これが面白くないはずがない。がそれにしても被差別民問題と遍路は何か関係があるのか。硬派のノンフィクション作家と、ちょっぴり生ぬるい四国遍路の旅、というのが私の中で像を結ばない。ミスマッチではないのかと疑いかけたが読み始めて、なるほど、とすっかり納得。遍路とは信仰とは別にもう一つの「物乞いをする路」でもあったのだ。こんな紀行文の形(寄り道のほうが本題の遍路紀行より面白い)があるとは目からウロコだが、もちろん著者のテーマは路地(被差別民)で一貫している。書名の「辺土」とは遍路で生活する者の意で、草遍路、乞食遍路、職業遍路、生涯遍路……と名前はそれぞれだが、いわばプロの「乞食」である。すぐれた紀行ルポだ。

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