Vol.1211 2024年3月16日 週刊あんばい一本勝負 No.1203

ヨーグルトメーカーに救われて

3月9日 散歩コースを変えてみた。ブックオフには何年ぶりに入った。その向かいのコメダ珈琲店も初めて入った。スーパー「ジェイ・マルエー」の建物の上からきれいに太平山の山並みが見えた。よく見ると青空に映えて山並みの間に小さな真っ白い三角形が見えた。奥岳ではないか。ちょっと散歩コースを変えるだけで驚くことばかり。でもこのコースはかなり遠回りなので、再挑戦するには結構勇気がいる。

3月10日 夕食後は事務所で映画を観るのが日常化。映画は1日1本、2時間ほどだから9時までに家に帰ることができる。9時には風呂に入る。日常生活のルールを決めておくのは、ルーズな自分にとっては精神的にも健康面でも重要なファクターだ。「自由という言葉」ほど怖いものはない。「いつでも自由になれるという不自由」ぐらいが一番いい。夜は夏目漱石『吾輩は猫である』と格闘中。こんな難しい物語が国民的文学と言われても戸惑うばかりだ。

3月11日 眠られない夜がある。真っ黒な雨雲のような「不安」と「焦燥」が、思い出したように襲ってくる。その憂鬱を払拭しようと、散歩の時にストレッチや筋トレをして身体をいじめてみた。これがなかなか効果的で、心のモヤモヤが少し吹き飛んだ。心地いい疲労感が涼風のように新鮮な酸素を身体の中に取り込まれた感じだ。心の病には「肉体」で立ち向かうのが効果がある。

3月12日 削除しないメール残量が3千通を超えていた。思い切って全部削除。群ようこさんに『これで暮らす』というエッセイがある。大事に使っている土鍋や腕時計、パジャマや花瓶、皿や万年筆のことを、時代遅れでも、手間暇かかっても、年をとるとその時間のかかることが楽しくなってきた、と書いている。

3月13日 無明舎を起ち上げたのは1972年9月。この2カ月ほど前、県北部では豪雨のため米代川の堤防が決壊した。その現場に取材に駆けつけながら決壊の映像を取り損なうという失態を演じたNHK秋田支局の記者がいた。東大を出てNHKに入局、まだ2年目の山下頼充という若い記者だ。その後、『中島のてっちゃ』という本を書いて無明舎は出版専業社として再スタートを切る。76年秋のことだ。この年の1月、「五つ子」が生まれ、大ニュースとなって列島を駆け巡った。その親はあの秋田局にいた山下記者そのひとだった。彼は秋田局の後、京都局に移動し、そこで鹿児島時代の同級生と結婚。私とほぼ同年代のはずだが、すでに他界している。生まれた五つ子は皆が優秀で、それぞれ社会で活躍しているという。もはや忘れ去られてしまった「虚構ではない人生」をいくつも交錯させながら、70年代という時代を切りとった磯ア憲一郎『日本蒙昧前史』という本で知った事実だ。

3月14日 民間ロケットの打ち上げ失敗のニュースがかまびすしい。月面着陸する宇宙飛行士は4日間も月に滞在する。月面の昼は太陽の直射で最高130度にもなる。夜(日陰)は零下140度だ。そんな世界で、宇宙船や宇宙服を着ているとはいっても「よく生きていけるもんだ?」と思っていた。実は4日間というのはあくまで地球時間の長さで、自転しながら地球を公転している月時間では「地球の1日は月では53分弱」という事実を知ったのはつい最近だ。打ち上げるロケットの発射時間も、月に着く時間が真昼や夜では問題がある。早朝の暑からず寒からず「過ごしやすい月の時間帯」に着くように設定されていた。月に4日間とはいっても、月時間で言うと2,3時間の滞在、というのが正解だ。宇宙に関しては知らないことが多すぎる。

3月15日 ここ5年ほどで最もコスパのいい買い物と言えば、間違いなく「ヨーグルトメーカー」だ。アイリスオーヤマ製でネットで見つけて買った。確か3500円ぐらいだったが、これは本当に便利で重宝している。10日に一回はヨーグルトを作る。1リットルの「おいしい牛乳」を3,4本分、使う。27度に温度設定し7時間待てば1リットルのヨーグルトができる。身の回りにこんなにコスパのいい「機械」はヨーグルトメーカー以外に見当たらない。 
(あ)

No.1203

献灯使
(講談社文庫)
多和田葉子
 「献灯」とは神社社寺に灯明を奉納することだ。大災厄に見舞われ、外来語も自動車もインターネットもなくなり、鎖国状態の日本が舞台だ。老人は百歳を過ぎても健康だが、子どもは学校に通う体力もない。107歳になる義郎は、身体が弱くタコのように軟弱な曾孫の無名が心配でならない。なんともグロテスクな印象のディストピア(荒廃した現在と希望のない未来)の物語だ。駄洒落のような言葉遊びも多く出てきて、どこまで真に受けて物語を受け入れるのか、読んでいる途中で不安になる。(「献灯使」も遣唐使の文字の置き換えなのだろう)。著者の描くこのデストピアの世界では、政府は民営化され、交番は「未知案内」と呼ばれ、虚弱な若者たちの勤労感謝の日は「生きているだけでいいよの日」に改名されている。著者は、読者に対して登場人物と同化したり感情移入したりすることを望んでいない。普通の本の読み方では本書の意味はよくわからない。日本から離れてドイツで暮らす著者ならではのものなのかもしれない。未来の社会は、「大きいこと・強いこと・若いこと」が優れている世界ではない。いまの「8掛け」のサイズを目指す「8掛け社会」こそが未来だ、と著者は言う。私たちは彼女の描く縮小社会に耐えられるのだろうか。

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