Vol.1232 2024年8月10日 週刊あんばい一本勝負 No.1224

オリンピックより本を読め

8月4日 国際教養大の女子大生たちに「秋田新幹線こまちの車体デザインはフェラーリと同じ奥山清行」と自慢げに教えたことがあった。ところが女子大生のひとりは北陸出身で、「北陸新幹線の車体デザインもいいですよ」と反論。「いやいや秋田のあの鮮やかな赤にはかなわないません」とムキになって強弁したら、もう一人の女子大生がスマホで調べて、「どちらも同じ奥山さんのデザインです」と申し訳なさそうに教えてくれた。これで私の権威は地に落ちた。最近、『奥山清行デザイン全史』という大型の本が出たようだ。書評で読んだだけだが、その代表作のひとつに「赤い秋田新幹線こまち」も紹介されているのだそうだ。なんだか、ちょっと留飲を下げた。

8月5日 夏休みの疲れがまだ抜けない。身体のだるさはとれたのだが、眠いのだ。くわえてこの暑さだ。外には出たくない。でも恒例の散歩をさぼると、てきめんに寝起きが悪くなったり、食欲が落ちたり、精神的な不満も蓄積してしまう。今週あたりから前岳通いを復活させようかとも思っているが、夏場の登山はリスクが大きい。ましてや前岳は低山のくせにけっこうハードなトレーニング場だ。無理はしないほうがいいかもしれないが、でも行かないことで生じるフラストレーションをどう埋めるかが、それが問題だ。

8月6日 酷暑だが散歩はしたい。夕食後に思い切って外に出てみると、あら不思議、さわやかな風が吹いて実に歩きやすい。この季節の散歩はやっかいきわまりない。それが時間帯さえうまく選べば、快適な散歩が可能になる。薄暮は6時半を回ったあたりから始まり、家に帰るころに夕暮れは終わる。猛暑の中の散歩はこの時間帯が狙い目だ。

8月7日 ずっとクーラーの効いた事務所でダラダラしていた。身体が怠く、眠くなって、何もする気力がわかなくなった。楽しみな昼ご飯をつくる気力もない。変だなあ、熱中症の初期症状みたい……。昨日と同じ雲が赤くなり出した夕方、散歩に出た。動きたくないのだが、このままだと身体が「病人」になりつつある。いつものコースを歩いているうち気怠さはスコーンと抜けた。そうかやっぱりこれは「クーラー」が犯人だったのだ。人生には汗が必要だ。

8月8日 大森山自然公園まで出かけてきた。ここで秋田公立美術大学の学生たちが自然を生かした面白い美術作品展示をしていると聞いたからだが、なんだか「面倒くさそうなアート」なので途中棄権。帰る途中、そばにあるガラス工芸館により、ついでに旧松倉家住宅も見学してきた。市内西部にある3カ所を駆け足でめぐったのだが何度も道に迷った。つくづく市内東部地域のことしか知らない田舎者だ。この半世紀、市内の東側でひっそり生きてきた。西部地区には全く興味ないまま生きてきてしまったのだ。それにしてもこんな小さな地方都市の西と東で、町の雰囲気はこんなにも違うものなのか。いい勉強になった。

8月9日 オリンピックも高校野球もまったく興味ない。だからテレビもラジオもつけず、本を読むのには最高の環境だ。読んでいるのは90年代のベストセラー高村薫の長編小説『照柿』(講談社)。出た当時は重そうなテーマなのでパスしたのだが、ケータイ電話のない時代の骨太な小説を読みたくなった。で、読みだしたのだが止まらなくなった。結局2日間で8ポ2段組み500ページの、おまり好きではない警察小説を読了。作家の凄い人間観察と描写力に、ただただ圧倒された。ケータイ電話の有無はすぐれた物語とは何の関係もないことがよくわかった。人物描写に「ラスコリーニコフのポリフィーリィみたいな奴」という表現があった。この時代の人気小説ですら、読者は『罪と罰』を読んでいるのが前提の書き方をしている。読者のレベルが高く、意味がわからなければ調べろよ、という作家のメッセージも含まれている。いや、もしかすると高村は日本版「罪と罰」を書きたかったのかもしれない。
(あ)

No.1224

夕陽が眼にしみる
(文春文庫)
沢木耕太郎
 93年に単行本で出た「象が空を」というエッセイ集はのちに文庫本で「夕陽が眼にしみる」「不思議の果実」「勉強はそれからだ」という3分冊に再編集され2000年に刊行されている。本体になる「象が空を」は読んでいるはずだが、3分冊の文庫本を読み通しても、過去に読んだ記憶は蘇ってこなかった。恥ずかしい。沢木は文章の「腐りやすさ」について大宅壮一の文章を例にとって、「文章は時代に密着していればいるほど、時代を鮮やかに剔抉していればいるほど、奇妙に古色蒼然とした印象を与える」と喝破している。「夢見た空」というロサンジェルス・オリンピックのレポートも面白かった。ロスのオリンピック観戦記を書くために、沢木はまず東ベルリンとモスクワを訪ねる。不参加を決めた国々を見て、それからアメリカに乗り込む算段なのだ。スタート前に笑顔で他の競技者に握手を求めるカール・ルイスの「演出」を嫌悪し、長崎宏子の「負けた安堵感」を見逃さない。自分が病気をしたせいで瀬古は負けた、という中村の発言を「それはあなたの傲慢だ」と反論する。こんな同時代の才能あふれるスポーツ・ライターがナビゲートしてくれるオリンピックなら楽しいに違いない。それにしても若くしてこんな文章を書ける才能に、あらためて著者に敬意を覚えた。大宅とは真逆に沢木の文章は30年以上たった今もまったく古びていない。

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