Vol.1287 2025年8月30日 週刊あんばい一本勝負 No.1279

絵と踊りを観に青森へ

8月23日 今日は青森市まで行く用事がある。家の壁紙張替えの内装工事が前倒しで今日から工事が始まった。いつものように8時過ぎまで寝床でうつらうつらしていたのだが、職人さんたちがドヤドヤと入ってきて、家の中は便所にも入れない大混雑。年に数度しかない出張の時に限って家が火の車状態なのは何とも皮肉だ。

8月24日 「佐野ぬい」という弘前出身の洋画家がいる。その大規模な回顧展が青森県立美術館で開催中で、同じ時期に勅使河原三郎と佐東利穂子のダンス・パフォーマンスも同じ会場で公演中だ。勅使河原さんの踊りは東京オペラシティでも見ているので、これが2回目だ。常設展示で奈良美智や棟方志功、シャガールの巨大なバレエのための背景画も観ることができた。勅使河原の公演は、この巨大なシャガールの4枚の絵を背景に踊られたもの。お目当ての佐野ぬいの作品も数多く展示されていて大満足。その一方、憤懣やるかたなかったのは美術館が市街から離れているので、交通がチョー不便、公演が終わると自家用車以外、タクシーもバスも何もなくなってしまうのだ。タクシー乗り場で9時過ぎても、タクシーは一台も来ず、何人かの人たちと相乗りで、タクシー会社に直接電話をしてきてもらうことにした。何ともお粗末極まりないが、これが地方都市の現実だ。

8月25日 家の中は火事場状態に変わりはないが、旅先から帰ると、やっぱり熟睡できる。青森での絵画展やダンス・パフォーマンスは素晴らしかったが、ホテルが問題だった。交通の便が悪いので(新幹線の新青森駅とJR青森駅がわかれている)、今回はJR側のホテルをとったのだが、これが大失敗。隣県なのに秋田とは比べものにならないほど中国人のインバウンドが多く、ホテル代は1泊2万円台が当たり前。その中でチェーン展開してるAホテルが駅前なのに安かったのだが、これがひどいシロモノ。要するに3,40年前に隆盛をほこったビジネスホテルが老朽化し廃業寸前のところを安値で買い取り、名前だけ勢いのあるAホテルにかえただけ、のホテルだったのだ。こんなことをして全国にチェーンをひろげてきたのだろう。風呂は洗面所と同じ蛇口、禁煙のはずなのに何十年もの間にこびりついたタバコ臭が鼻を衝く。ますます旅をするのがおっくうになった。

8月26日 散歩時の靴をミズノの堅牢で重いウォーキングシューズに替えた。格段に歩きの安定感が増した。靴の中で足が泳がない。キリっと引き締まった圧迫感が気持ちいい。ずっと暑さのせいで「歩くのがつらい」と思っていたが、そうではなく、あわない靴のせいだったようだ。靴も椅子も安物は「病気の素」なのだ。椅子はレカロとハーマンミラーで、もう30年近く同じものを使っている。だから他のものと比較はできないのだが……。

8月27日 ウォーキングシューズのことについて書こうと思ったが、やめた。今大流行中の「ゼロドロップ」と言われるアルトラ製の靴についてなのだが、今注文中なので、はいてからその報告をするつもりだ。かかと部分とつま先がフラットで、これまでのクッション性の高いランニングシューズの常識の真逆をいく「裸足感覚」のシューズだ。昨夜は未明まで雷鳴がとどろきアイマスクの世話になった。おかげで熟睡できたのだが、朝方は雷鳴の音の激しさに何度か目が覚めた。ちょうど寝る前に読んでいた『魔の山』で、主人公がサナトリウムを抜け出し、吹雪の冬山で遭難しかける迫真の場面を読んだ後、雷に打たれて生死をさまよう夢まで見てしまった。

8月28日 台所と内装工事の終了の日が近づいている。とにかく「穏やかで静かな日々」が早く戻ってほしい。朝飯は食べないが、昼飯は事務所で自分で作って食べる。夜は老夫婦一緒で食卓を囲む。この夕飯が事務所で弁当に代わった。家の台所が使えないためだ。仕事場で夫婦夕食弁当というのも、たまには悪くはないが、やはりまあなんというか、場違いの印象が強い。はやく「ふつう」に戻りたいのだが、カオスの中に居るカミさんの精神状態は、ほとんどジェットコースター状態。うかつに近づけない。

8月29日 三菱商事の洋上風力撤退は田県にとって痛手というか、将来的にも大きな経済被害をもたらす可能性を残した。コロナ禍前、朝日新聞の「フロントランナー」という大きな特集記事で、この洋上風力プロジェクトの代表的な人物として秋田のSさんを大々的に(洋上風力のカリスマ)取り上げたことがあった。まったく知らない人で、「こんなすごい人が秋田にいたんだ」と驚いたのを覚えている。そんな人のバックグラウンドも何も知らない、同じ地元民の自分が恥ずかしく、さっそくSさんのことを調べてみたのだが、不思議なことに、どんな資料にも彼の記録というか、その活動歴を紹介した媒体を見つけることができなかった。ようするに彼自身は洋上風力発電の立ち上げやプロジェクトに直接関知した大物秋田県人でも何でもなく、ただ単に洋上風力のプロモーションのため、巨大企業が「マスコミ用に仕込んだダミー」だったのだ。そうか大企業はプロモーションのためならこんなことまでするのか。しかし、それに簡単にのせられる大新聞社というのも問題だなあ、と不快感が残ったのを覚えている。

(あ)

No.1279

魔の山
(岩波文庫)
トーマス・マン
 魔が差した、としか言いようがない。もう後戻りはできない。上巻600ページ、下巻700ページの大冊だ。おまけにこの文庫は改行なしの11級活字。普通の本の活字の大きさは14級だから、あまりの小ささに眼はショボショボ。昔のオフセット活字でいえば7・5ポイント、号数でいえば6号活字というやつだ。古典の名作と言われる小説は、やはりほとんど改行がないのが特徴だ。一行ごとに改行する小説を書いたのは五木寛之と昔からよく揶揄されていたが、すっかりそのパターンに私たちの世代は毒されてしまい、慣れ切っている。
 肺結核のサナトリウムで療養する24歳の若者の精神的成長を描いたドイツの「ファウスト」と並ぶ傑作だ。上巻をほうほうのていで読み終わっても、まだ主人公は入所から7か月しか経っていないばかりか、最後は愛の告白が前半のクライマックスだ。ドイツ語とフランス語の拙いやり取りを表すため、ここは、全編カタカナ表記だ。これが実に読みにくく、目が疲れ、何度も本を手から落としそうになった。何を好んでこんな苦行を、と思わぬでもないが、ふと、夏目漱石の「吾輩は猫である」と似ている小説に気が付いた。ドストエフスキーのように難しい名前の登場人物がいないのが救いだ。

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