Vol.204 04年7月31日 週刊あんばい一本勝負 No.200


男鹿通いの毎日です

 江戸時代、北東北や秋田を旅して膨大な量の図絵や日記を残した菅江真澄という人がいます。彼が残した図絵には十和田湖や鳥海山、男鹿半島の景観などが克明に描かれていて、今見ても大変魅力のある彩色画となっています。この真澄が残した図絵を元に秋田の魅力を県内外の人たちに知ってもらおう、再発見してもらおうというプロジェクトを、国土交通省秋田河川国道事務所というとところで始めました。なぜ国土交通省がこのような事業をやるの? と、たいがいの人が思うでしょうが、「地域との連携による地域づくり」という事業の一環だそうです。そのプロジェクトを無明舎出版が請け負うことになり、とりあえずモデル事業の地として天王町・男鹿市を選び、先週から準備が始まりました。同じ“男鹿もの”として、新しくオープンしたばかりの「男鹿水族館GAO」の本や「なまはげ伝説」の絵本、男鹿半島の付け根にある若美町の「ババヘラアイス」の本も製作中で、無明舎は今、男鹿づいています。
 男鹿半島は奇岩絶壁が連なる海岸美や、寒風山、入道崎などの観光と、「なまはげ」などの伝統行事が残る非常にデュープな土地で、ここに毎日のように調査や取材、撮影に行ったり、打ち合わせに行ったりしています。木曜日の朝も急遽必要とする写真が数点発生し、朝5時に家を出て男鹿に向かい、南磯の海岸をうろつき、最後は「なまはげ」が積み上げたという999段の石段の先にある五社堂まで行ってきました。また、この前の日曜日には、久し振りにシーカヤックを倉庫から引っ張り出し、一人で男鹿半島の海岸を一日中漕ぎ回り、海から男鹿半島を眺めてきました。幸い海が穏やかだったので釣り糸を垂れてみたら小さいけれど次々とアジやサバ、マダイなどが釣れ、その夜の我が家の食卓は大賑わいでした。こんな男鹿通いが当分続きそうです。
(鐙)

男鹿半島の門前地区で観光客を出迎える「なまはげ」の巨大な像

鹿角は魅力的な異文化の町

  何年ぶりかで岩手県に隣接する鹿角市に1泊旅行をしてきました。行きは大館に用事があったので時間がかかりましたが、帰りは国道285号(五城目街道)と高速道を使って2時間10分で事務所まで帰ってきました。
 鹿角は元々南部領だったところで、秋田というより岩手の影響が大きい町ですが、一昔前までは日帰りはとても無理で、車で4,5時間かかるような遠隔地のイメージを持つ方が多い土地でした。
 今回の鹿角行きは、食文化の取材のためだったのですが、秋田とはかなり異質の食文化が進化していて興味は尽きませんでした。町には肉屋さんや着物屋さんが多く(鉱山時代の名残といわれている)、有名なソバ屋さんの暖簾には「南部手打ちそば」と染め抜かれていました。この町で鹿角の郷土料理を研究している「美ふじ」という割烹の加藤照子さんからカンタンなレクチャーを受け、お料理を食べさせてもらいました。「けいらん」は、鳥出汁の吸い物の中に卵のような形の餅(アンコ入り)をいれて食べる鹿角独特の料理ですが、これもはじめて口にして感激しました。町の中に「けいらん屋」さんがちゃんとあるぐらいですから、冠婚葬祭に欠かせない料理ということなのでしょう。
 しかし、なんといっても鹿角といえば有名な「ホルモン鍋」です。超有名店「幸楽」で食べてきました。「ホルモン鍋」が「現代の鹿角の郷土料理」といっていいほど普及しているというのもおかしいですね。専用鍋(ジンギスカン鍋)まで売られているほどなのですが、実際に食べてみると、その美味しさにビックリ。鹿角の人たちのホルモンに寄せる熱い気持ちがよく理解できました。交通の便が格段によくなったことがわかったので、これからはもっと積極的に異文化の香りする鹿角へ出かけようと思っています。
(あ)

美ふじの料理・前菜から。これはすべて味噌漬です

スーパーでは何種類ものホルモンが売られている

「型抜き遊び」はいまも健在

 いやぁ、これは懐かしい。もう40年以上前、小中学生のころの夏休みにラジオ体操に行くと、紙芝居屋のオヤジがこの型抜きを配って(売って)いた。型をちゃんと抜いたやつを次の日に持って行くと、紙芝居がただになったり、水あめをもらったりした記憶がある。型抜きは家で縫い針でやる。運悪く割れてしまうと心臓がバクバクするほど悔しかった。型にはとてつもなく難しいものもあり、それが抜けるとお金をくれる型抜き屋もいた(ような気がする)。ともかく独立した型抜き屋というのではなく紙芝居屋の付属品のようなものだったが、30代の若い人たちに聞くと、最近はちゃんと型抜き屋として独立した屋台で商売しているらしい。写真は今年の土崎の写真だが、子供たちが専用の針で一心不乱に興じていたのが印象的だった。遊びなんてはやりも廃りもないんだよね。
(あ)
一枚100円の型と縁日の屋台

No.200

秋田たべもの民俗誌(秋田魁新報社)
太田雄治

 ある事情でもう数ヶ月間、秋田の食文化を調べ、原稿を書き溜めている。元々興味のあった分野なので苦痛ではないのだが、読まなければならない資料や確認しなければならない史実、会わなければならない取材者がたくさんで、頭はパニック状態である。そんな中で本書に出会ったのだが、これは助かった。参考文献として最高の書物なのである。秋田のソバや獣肉、山菜や漬物、お菓子などについて徹底的に古い文献にあたり、自身もその民俗調査に同行した記録で、地元新聞に230回あまりにわたって連載されたものである。刊行が1972年、これは私が無明舎を旗揚げした年である。刊行1ヵ月後には増刷になっている。もう三十年以上も前の本なのに、基本的な食材の話はきちんとおさえてあり、時間が経ったことで腐ってしまう内容はほとんどないのに驚く。取材先が著者の生まれ故郷である角館周辺に偏していること、語源にあまり関心を払っていないこと、編集校正に若干問題があること、などをさっぴいても、これは後世に残る名著だといっていいかもしれない。著者はもう亡くなっているが、晩年、小舎の『秋田ふしぎ探訪』に原稿を書いていただいたことがある。

このページの初めに戻る↑


backnumber
●vol.200 7月3日号  ●vol.201 7月10日号  ●vol.202 7月17日号  ●vol.203 7月24日号 
上記以前の号はアドレス欄のURLの数字部分を直接ご変更下さい。

Topへ