Vol.224 04年12月18日 週刊あんばい一本勝負 No.220


本格的な雪シーズンの到来です

 今日、初めて肉眼ではっきりわかる雪景色になりました。気象庁的な「初雪」観測は10日ほど前にあったような気がしますが、なにせ東京に行っている間に秋田で起きたことは見逃している可能性があるので、確信がもてません。今年は暖冬との予想が圧倒的で、事実この時期になっても雪の姿を見ることはほとんどなかったのですが、いよいよやって来ました。もう50年以上雪と生きてきたので特別な感慨があるわけではないのですが、肉体的には寒さにけっこうダメージを受けるようになりました。それと本格的な雪の前の、モノクロームの薄暗い朝の景色には、精神的にもかなり落ち込みます。冬に青空の多い東京でここ2年ほど過ごすようになったのも影響あるのかもしれません。冬は東京に行きたい願望が圧倒的に募りますから、天候と関係があるのは間違いないでしょう。
 雪は世界のすべての色彩を白黒だけに換えてしまう「魔法の粉」です。墨一色で描かれる中国の幽玄の風景よりは、まだまだ歌舞伎町や香港の夜景のほうがましだと思っていますので、年毎に冬は「憂鬱」な季節になっていくような気がします(若いころは冬が一番好きでしたから)。なんとか昔のように冬を好きになるよう頑張ってる今日この頃です。
(あ)

事務所からみえる太平山の冠雪

東京でちょっと気になったこと

 東京でいつも散歩している江戸川べりの公園から急な階段を上っていくと有名なホテル椿山荘がある。ここの庭園はなかなか見ごたえがあり散歩の途中の休憩地点として重宝している。椿山荘から少し下ると講談社野間記念館。いつもは通り過ぎるが「村上豊の世界」展開催中なので寄ると、これがなかなかよかった。いわゆる「作品展示」ではなく、挿絵、書籍の装丁、絵本の原画などが主な作品ですべて画家から講談社に寄贈されたもの。絵を作品として描くのと、雑誌や本の挿画として描くのはまったく意味が違う。そのへんの「ゆるさ」が逆に作品に詩情をもたらしていて好感がもてた。
 事務所マンション真横に「ムギマル」というマンヂウカフェができたのも個人的には大きなニュース。元は根岸にあった女性に人気の、おしゃれな雑誌で取り上げられた饅頭屋さんだったようで、買い食いしてみたらこれがウマイっ!一個100円で、これは近場なだけにクセになりそう。
 最後は羽田空港。例の完成したばかりの第2旅客ターミナル、とにかく歩かされる。歩くのは得意なので苦にはならないが、お土産物を買わせたいためだけに作り上げたターミナルでは、と疑いたくなる施設である。気になったのは「はたして本屋の出店はあるのか」ということだったが(第1は山下書店があるので、もう本屋は置かない、という危険もあった)、かろうじて丸善が出店していて、まずはホッとした。本屋の隣が万年筆専門店で、これはちょっとうれしいが、万年筆の需要なんてあるのかなあ。
(あ)

本屋と万年筆屋さんが同居

ハタハタ釣り真っ盛り

 先週の日曜日、小春日和のようなぽかぽか天気の中、秋田県南部にある金浦漁港にハタハタ漁の写真撮影に行ってきました。資料写真として撮っておこうと思い、昨年の男鹿北浦漁港に引き続き、今年は金浦を訪ねてみました。ハタハタは昨年同様今年も豊漁で、北浦では獲れすぎのため「沖止め」になったほどです。そんなことを考えながらドライブ気分で車を走らせましたが、金浦漁港では思いがけない光景が繰り広げられていました。漁港の岸壁から防波堤まで人が立ち尽くしていて、それはハタハタ釣りの人々でした。林立する釣り竿。次々と吊り上げられるハタハタ。驚きながら釣り竿の本数を数えてみると約400本ありました。釣り竿は一人一本ですが、付いてきて手伝う人や見物人もたくさんいて、会わせると1000人はいたでしょう。駐車場からは車があふれ、道路の両側に路上駐車するため渋滞がおき、パトカーまで出動する始末です。
 昨年まではイカリ針での引っ掛け釣り、その前は籠や網ですくうという方法も許されていたのですが、漁師たちから抗議の声が上がり、今年からそれらは全て禁止になり、サビキという擬餌針での釣りしか認められなくなりました。しかし実態は釣りではなく、たくさんの釣り針が付いた擬餌針を海中で上下させ、産卵のため岸壁に寄ってきた魚の体に針を引っ掛けるやり方です。こうして多い人はクーラーボックスが一杯になるほど釣っていました。皆が釣る数を合わせると膨大なもので、これでは漁業権を持ち生活がかかった漁師が怒るのも当然でしょう。はたして来年も、サビキでのハタハタ釣りは許可されるのか興味津々です。
(鐙)

次々に釣れるので釣り人たちは興奮状態

生きているハタハタはとてもきれいだ

No.220

目白雑録(朝日新聞社)
金井美恵子

 本を読み始めた、ものごごろついたころから(30年以上前から)彼女の名前はカウンターカルチャーやアンダーグランドの活字世界でなじみの深いものだった。そして、いまだに彼女の名前はさまざまな活字メディアに現在進行形で載りつづけている。これだけ長い年月、活字文化の一線で活躍し続けてこられるのは、やはり類まれなる才能があったからだろう。「だろう」と推定で書いたのは、実はこれまで一度として彼女の本を読んでいないからである。なんとなく難しそうで(内容も文体も)敬遠していたのだが、今回初めて読んでみた。「馬鹿(マッチョ)と闘う格闘家(しょうせつか)」という帯文に惹かれたためである。帯文は誇張ではなく、のっけから「苛立たしい退屈さしか読後感のない小説を出したばかりの小説家」批判が、ほとんど濁点のない文章で展開されている。この小説家というのは保坂和志のことだろう。ネットなどの書評でやたらと評価の高い作家だが、その本の売り方やキャッチコピーに、あの種の作為のようなものを感じ、警戒して結局読まなかったのだが、本書を読んで「読まなくて良かった」とヘンな納得をしてしまった。とにかく比類なく辛らつで、過激で、痛快なエッセイであるのは間違いないが、やはり彼女独特の文体のリズムに慣れるまでは少なくない時間が必要である。

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